フランス文化にはこんなに面白い特徴があった:会話、視線による男女のいちゃつき

他の文化にはないフランス文化の面白い特徴として、男女間のいちゃつきが挙げられます。

フランス語に「ギャラントゥリー」(galanterie)と言う言葉がありますが、その邦訳が「男女間のいちゃつき」に当たります。

「男女のいちゃつき」とはあまりこなれない感じですが、フランスではエレガントな響きがあります。

フランスでは、公的スペースでも、私的スペースでも、家庭でも、仕事場でも、学校でも、他の国と比べて男女間の物理的距離が近いことに特徴があります。

これを「男女混合の原則」(mixité)といいますが、これは長いフランスの歴史の中で培われてきたものです。

「男女混合の原則」を平たく説明すると、フランスで男女は常に物理的に隣り合い、混じり合っていることが自然だ、ということです。そこに男女のいちゃつきも加わると考えてください。

男女のいちゃつきとはフランス革命以前のフランスの貴族文化が今日のフランスに残した精神的遺産です。

今日のフランスで男女別はご法度

この「男女混合の原則」は性などを含む社会風俗が自由化していった1970年以後さらに強まり、今日フランス文化の真髄を規定している、言ってもいいぐらい重要な原則です。

例えばフランスでは全ての公的空間から男女別を排斥してしまいまいました。フランスには女子中学、女子高、女子大がありません。

フランスの鉄道には男女別の寝台車がありませんでした。男女混合だったのでレイプなどの事件が頻発したため、男女別の寝台車を作るのではなく、寝台車そのものを廃止してしまいました。

トイレに関しては・・・・安心してください、フランスにも男女別のトイレがあります。

フランス社会では男女は一緒にいることが当たり前で、両者は分かち難いユニットを形成しています。そしてこの男女混合の原則において、男女の接着剤の役割を果たしているのが「男女のいちゃつき」です。

ここではフランス人だったら避けて通ることはできない、そして外国人から見ると大変興味深いスペクタクルにもなりうる、フランス文化の真髄「男女のいちゃつき」について、そのメリットと問題点についてご紹介します。

フランス人男女は常に言葉のキャッチボールをしている

フランス人にとって会話の楽しみ=人生の楽しみです。そしてフランス人が会話を楽しむようになったのも、「男女のいちゃつき」同様フランス革命以前の貴族社会の爛熟期のことでした。

17-18世紀にかけて、パリなどの都会を中心に、貴族の女性が自宅にインテリの男性を招いて、会話を楽しむようになりました。これはサロンと呼ばれました。

サロンとはフランスの貴族階級を中心に、主に文学を語るプライベートな場でした。同時にサロンの特徴として、何について語るか、という問題以前に、会話によってお互いが鎖のように繋がっていることを確認すること、が重視されました。

なぜなら人は、同類の仲間たちと繋がることによって、それだけで精神的に満ち足りた幸せな気分を満喫できるからです。当時のフランスの貴族たちが、会話をリキール、音楽、砂糖菓子などに例えている所以です。

その後フランス革命が勃発して、貴族階級たちの優雅で排他的なライフスタイルは大打撃を受けました。それでも紆余曲折を経て、彼らの会話の伝統は革命後のフランス社会に復活し、現在まで続くフランス文化の真髄となったのです。

貴族の女性の家のサロンで展開されたこのプライベートな会話のスペースで、男性は言葉で女性を立てる、という面白い風習も生まれました。

貴族階級のフランス人女性たちも、男性からうまく恩恵や好意を引き出す術をわきまえていました。彼女たちは明確な言葉を使わずに、男性から「はい」の答えを導き出す心理的な技を心得ていたのです。

このような態度をフランス語では「コケット(coquette)な態度」と呼びます。英語ではコケティッシュですが、その語源は、鶏が「こっこっこ」という鳴き声からできた擬声語です。女性が男性を意識して声を和らげ、自分の性的な魅力をアピールすることを意味します。

今日その特徴が和らいだとはいえ、フランスはもともと男尊女卑の社会です。しかしこのような男女間の会話のゲームによって、フランス人女性に対する社会的圧力が多少なりとも軽減され、フランスの男女が仲良く共存し続けてきたことも否めない事実です。

今日洗練された上層階級のフランス人女性が何よりも望むもの

現在でも日常生活のあらゆる場面で、フランス人男女は会話や視線のキャッチボールを楽しんでいます。会話や視線こそフランスにおける「男女のいちゃつき」の真髄です。

ある上流階級のフランス人女性、マリー・マドレーヌさんについてご紹介しましょう。

マリー・マドレーヌさんは家から歩いて3分ぐらいのところへパンを買いに行く時にも、注意深く身なりに気をつけます。日本で言えばコンビニへ行く、というような感じです。

彼女は自分の女性性が最大限に演出されるように身なりを整えます。

例えば、胸の形が浮き出るタイトなカシミアセーター、ウエストから足のラインが美しく演出できるペンシルスカート、模様の入った網目のタイツ、そして10センチはあると思われるハイヒール、などです。

もちろんマリー・マドレーヌさんは化粧も怠りません。ヘアは少し乱れた感じにまとめています。決してきっちり分け目をつけて髪をときつけるのではなく、ふんわりと自然にまとめるのがフランス式です。

赤いチークと黒いアイライン、そして口紅をつけて、とても美しくセクシーです。

ではなぜマリー・マドレーヌさんはパンや新聞を買いに外出するだけで、ここまでめかしこむのでしょうか。それは彼女が一歩外に出て出会う見知らぬ男性の視線を強く意識しているからです。

彼女は通りで店の清掃をしている男性から、「今日も素敵だね」と言ってもらえることを期待しています。すれ違う見知らぬ男性から「美しい女性ですね」と褒められること以上に、彼女たちにとって幸せなことはありません。(とりあえず!)

それは私が出会った他の多くのフランス人女性にとっても同じでした。

彼女たちは異性からじっと無言で注がれる眼差しを、ことのほか喜びます。もちろんその眼差しには「あなたは女性として魅力的だ」との意味合いが込められています。

このような見知らぬ男性からのお褒めの言葉以外にも、近所を歩いていれば、知り合いにばったり会ってしまうこともありえます。

パリはそれほど大きな街ではなく、同じような社会階層の人々は同じような地区に住んでいます。仕事上の知り合いに道で偶然出会ってしまうことも現実的にあり得るのです。

「私はそんな時、彼女急に老けたね、と思われたくないのよ。」とマリー・マドレーヌさんは考えています。

あまり知られていないことですが、パリの上層階級のおしゃれなフランス人女性が買い物をするような場所をパリの一大観光名地と考えてもいいかもしれません。

例えば1区のサントノレ通りなどでは、パリで長年女を磨いて生きてきたことを実感させる、とびきり美しい、日本では出会うことのないような、女性としての魅力を醸し出す年齢の高めのフランス人女性とすれ違うことができます。

ヴィトンやシャネルのバッグなら日本でも買えますが、日本ではそうそう、こんなに美しい女性たちを見ることはできません。日本人女性にとってもそれは「学び」になるでしょう。

彼女らが通った空気から強いインスピレーションを受けるからです。

このようなファッショナブルなエリアのみではなく、概してパリに住むある程度裕福な階層のフランス人女性は東京に住む同じ年齢の女性には醸し出すことのできないセクシーさを演出することができます。

整いすぎていない身なり、髪型、そして風を切るような自然なジェスチャー、香水、口紅・・こうしたものに加えて彼女たちが女性として生きてきた女性らしさが加わります。

誤解を恐れずに言うと刷れば、国際結婚などでパリに長く住んでいる日本人女性も日本に住んでいる女性以上に美しさを保っています。造形と言うことではなく、雰囲気に関してですが。

パリの空気は女性を綺麗にする、というのは本当のようです。パリに住む女性たちは、フランス人男性と言葉のキャッチボールを長年楽しんで女性として切磋琢磨した結果、そのように美しくなっていったのです。

フランス人は日常の小さな出来事に幸せを見出す

アメリカや日本だったら、通りで清掃をしている男性が道歩く女性に「君は美しい」などと言えば、彼はこの女性のプライバシーを侵害したことになり、必ずしも好ましいこととは捉えられません。

フランス人女性は同じように考えません。彼女たちは逆に、そう言われることで女性としての幸福感を感じるからです。

フランス人女性にはそういう男性とのつかの間の会話と視線のキャッチボールを楽しむ心の余裕がある、と言ってもいいかもしれません。

フランス人女性は一般的に、通りで見知らぬ男性から褒めそやされることを喜びますが、それには条件があります。

「それが軽いもので、それ以上の関係に発展しないなら」との条件がつきです。その後しつこくデートに誘われたりしない、という前提の元です。

例えば男性がこちらが無視したと感じて怒ったりしたり失礼な態度をとってきたりしたら、もはや楽しい会話や視線のゲームではなくなってしまいます。声をかける男性側としても、あくまでも相手の女性を立てるという配慮が必要なのです。

バスや地下鉄などの締め切った公共スペースでは、このような男女間の会話のキャッチボールは起こりえません。言葉を交わしたら最後、その後行き着くところまで行ってしまうリスクがあるからです。

パリでは公共の自転車を借りることができます。わざとミニスカートを履いて、男性の視線を楽しむ女性もいるそうです。

この場合も自転車で走り過ぎるので、ハラスメントなどに発展する危険がないからです。

男女別対応に戸惑うフランス人女性

男女の物理的距離が近いフランス人女性は外国で別の状況に直面して驚くそうです。

例えばアメリカや日本で、夫の仕事の集まりに行ったフランス人女性は、自分が妻だけのグループに入れられて女性のみと話をしなければならない、という状況には戸惑いを感じます。

フランスではアメリカのテレビドラマ, Sex and the Cityのような女同士の友情についてのストーリーが生まれにくいでしょう。フランス人女性には女性の友人もいますが、あくまでも中心となるのは異性である男性の存在だからです。

男女のいちゃつきの文化的特徴は、女性として見られることを楽しめる大半のフランス人女性にとっては楽しいものであるのに違いません。しかし稀にそのようなことを嫌うフランス人女性もいます。

女性としての外見、仕草によって男性に評価される、というフランスの文化的伝統を快く思わない女性もいるのです。そんな文化を拒絶して、海外に移り住んだフランス人女性に会ったことがあります。

彼女は太っていて、黒縁の眼鏡をかけており、髪の毛もぐしゃぐしゃで、いつカットしたのかわからず、もちろんすっぴんで、アメリカの大学生のようにジーンズとTシャツで勉強に邁進していました。

テーマはフランスのフェミニズム、です。しかし数年経って有名大学を卒業して大学で教えるようになった彼女の見た目は大きく変化していました。

このフランス人女性は、異国である時フランス人女性としての魅力に目覚めたのでしょう。彼女はアメリカ社会を生き抜くに当たって、フランス人女性としての振る舞いを強くアピールするようになり、そうすることによって彼女は女性としての特別感を獲得しました。

彼女はダイエットをして、髪を長く伸ばし、知的な雰囲気を漂わしており、とてもチャーミングな女性に変身していったのです。一時的には拒絶しても、やはり彼女はフランス人女性としての嗜みを心のどこかに持っていたのでしょう。

フランス式男女のコミュニケーションと職場

フランス文化の面白い特徴である、男女間の会話と視線によるスリリングなキャッチボールは、職場でも起こりえます。

職場とはもちろん仕事をしに行くところです。しかし化粧をしないで、女性らしさが全くない服装で仕事場に行くことはフランスではタブーです。

フランスの高級公務員を要請する国立行政学院を卒業して省庁で働くフランス人女性課長。

大きなイヤリングをつけて、それが時々を立てて床に落ちた時、ミニスカートを履いた彼女は下半身をかがめて、床に落ちたイヤリングを拾います。そんなことが一時間のうち2、3回あります。

シーンとしたオフィスでその物々しいイヤリングの音が響くたび、周囲の男性は彼女を見ます。

もしくはビジネスランチの場面。同じフランス人女性課長は、細い両足を見せつけて男性の反応を楽しむこともあります。

このような行為はパワーを振りかざさなければならない女性上司にとっては、男性からの嫉妬を懐柔する武器ともなりえます。

ただ男性上司の下で働く、自身にパワーのない女性の場合、このフランス文化の面白い特徴である男女のいちゃつきが、そのままハラスメントもしくは自分の劣った立場を強化させてしまう要因ともなりうるのです。

それについてフェミニストが指摘しているので見ていきましょう。

なぜ男女のいちゃつきは社会問題になりうるのかーフェミニストの視点

男女のいちゃつきはフランス文化の面白い特徴です。同時にそれは両刃の矢です。ある一定の距離が維持できれば、女性にとっても楽しいのですが、一線を超えてしまうと困った事態になりかねません。

日本人女性を含め、外国人女性はそのようなフランス文化に戸惑うこともあるでしょう。

特に若い女性たちが、通りで年上の男性から「素晴らしい」「綺麗だ」「美人だ」などと言われ続ければ、メスという部分でしか見られていないと感じ不快感を抱くこともあることでしょう。

フランス人女性の中でも同じように感じている女性たちがいます。いわゆるフェミニストと言われる学者たちです。

その代表格、ミッシェル・ペロー女史は、フランス文化の面白い特徴と言える男女のいちゃつきの伝統を見直すべきである、と発言しています。

ペロー女史は言います。「もちろん男女のいちゃつきはまずもってフランス王政以来のフランス文明、文化の表現であり、尊重されなければなりません。」

「フランスには男女のいちゃつきの文化があるため、英米と比べると、女性の社会進出が進んだ現在でも、男女間の軋轢が少ないのは事実です。」

しかしペロー女史は男女のいちゃつきの伝統にはデメリットもあることを指摘します。

「フランスの男女のいちゃつきには素晴らしい側面もあるのですが、同時に古くからある男尊女卑を助長する面もあるのです。」

「フランス人の男性は扉を開けて待つことによって、先に女性を通します。そして花束を渡します。・・こうした男女のいちゃつきを通じて、フランスの男性はフランス女性を権力の外側に置こうとしているのです。」

ペロー女史によれば、男女間の愛は大切にしないといけませんが、男女間のいちゃつきはやめたほうがいい、となります。

ペロー女史は、男女のいちゃつき、というフランス文化に固有な特徴のため、フランス人女性がフランス人男性と対等に渡り合うことができずにいる、と指摘しました。

これに対しては、フランス人男性ばかりではなく、男女のいちゃつきが楽しくてやめられないフランス人女性も、ペロー女史に反撃しました。

男女のいちゃつき文化と女性の権利拡大を主張するフェミニストの間には、超えることのできない壁がありそうです。

男女のいちゃつき、男女の平等。この二つは今後フランスでどのように進展していくのでしょうか。他の国にはないフランス文化が提示する、面白いテーマです。

フランス人は男女のいちゃつきをやめられない

フランスの会話や視線による男女間のいちゃつきは、単なるお遊びではありません。それはフランス文化の面白い特徴の一つです。

エリック・ロメール監督による「愛の午後」(l’amour Apres midi)という不倫映画があります。30歳の既婚の主人公の男性は、安定した仕事を持ち、娘もいます。そして再び妻が妊娠します。

その時主人公の男性は友人の元恋人と関わりを持ちますが、彼らは肉体関係を持つことはありません。この映画を見ると、フランス人が不倫の実際的な行為よりも、想像によって欲望を刺激されることを好むことがわかります。

まさしくフランスでは「不倫は文化」なのです。それを日本のある芸能人間違って解釈してしまいました。

この欲望を掻き立てられて刺激されることを楽しむ、というフランス人の根本的な国民性を変えることは不可能でしょう。

フランス革命ですらフランス人の国民性を変えることができず、男女間で無為に会話や視線を楽しむ、という貴族社会の名残が現在でもユニークで面白いフランス文化の特徴として健在し続けているのですから。