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	<title>ファッション &#8211; フランスシャポー</title>
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	<description>パリ移住経験のあるルバンがフランスの情報をお届けします。</description>
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		<title>マリーアントワネットは、実はファッションの女王だった？</title>
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		<pubDate>Thu, 14 Feb 2019 02:31:34 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[francechapeau]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[フランス豆知識]]></category>
		<category><![CDATA[ファッション]]></category>
		<category><![CDATA[フランス]]></category>
		<category><![CDATA[マリーアントワネット]]></category>
		<category><![CDATA[女王]]></category>

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		<description><![CDATA[今日ファッションの都は世界にあちこちにあります。ニューヨーク、ロンドン、ミラノ、東京、アントワープ・・・・・・...]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>今日ファッションの都は世界にあちこちにあります。ニューヨーク、ロンドン、ミラノ、東京、アントワープ・・・・・・。</p>
<p>今日パリは世界で唯一の<strong>ファッション</strong>の都ではないかもしれません。でもハイファッションに限定すれば、パリは現在でも「世界で唯一のファッションの都」であり続けています。</p>
<p>ハイファッションとはフランス語のhaute couture（オートクチュール）の訳で、日本語で言えば高級ファッションです。プレタ・ポルテ、ストリートファッションではなく、注文服を指します。</p>
<p>パリがハイファッションの都となったのは、18世紀の絶対王政のこと。とりわけフランス革命に断頭台に消えた悲劇の女王、マリーアントワネットは彼女の卓越した美的感性によって、パリを現代に続くハイファッションの世界的都市に押し上げるのに貢献しました。</p>
<h2>18世紀後半、パリは世界のファッションの都になった</h2>
<p>今日パリ発のファストファッションは存在しません。</p>
<img class="size-medium wp-image-1028 alignleft" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/three-3075752_1920-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/three-3075752_1920-300x200.jpg 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/three-3075752_1920-768x512.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/three-3075752_1920-1024x682.jpg 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/three-3075752_1920-728x485.jpg 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" />
<p>その一方でパリの街にはハイ・ファッションを作り出す空気が漂っています。イブ・サンローランやシャネルは、パリ以外の街で誕生することはなかったでしょう。</p>
<p>それはパリには他の都市にはないファッションの歴史的伝統があるからです。フランスにおけるファッションのルーツは厳密には中世にさかのぼります。</p>
<p>でもパリがハイ・ファッションの都となった決め手は、17世紀から18世紀にかけての絶対王政の頃のことでした。それにはおよそ３つの要因があります。</p>
<p>１）フランスが贅沢品の生産国、輸出国としてリーダーになったこと。</p>
<p>２）ファッション、インテリア、コーヒー、ココア、お茶などの新しい習慣や食事を含めて、時代の最先端を行くライフスタイルを作り上げたこと。</p>
<p>３）植民地から様々な資源や新しいスタイルを取り入れることができたこと。</p>
<p>太陽王と呼ばれたルイ14世から始まって、ルイ15世、ルイ16世の妻や愛人たちは、パリファッションのトレンドセッターとなりました。ポンパドール夫人は「私の楽しみは金庫に入っている金について考えることではなく、それを出費してしまうことよ」と言っています。</p>
<p>今日のファッションの都、パリを築いたのは王室の伝統だけではありません。とりわけ1715年はフランスのハイファッションの歴史の分岐点でした。</p>
<p>それまで宮廷を支配していたのは堅苦しいまでのエチケットやマナーでした。1715年以降パリには形式を重んじない、自由な気風が生まれたのです。</p>
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<p>当時パリでは上層階級の女性はまばゆいばかりの内装が施された自宅のリビングをサロンとして解放し、顧客を招き入れ、会話を楽しみました。そしてパリにはオープンで都会的な文化が開花したのです。</p>
<p>当時イギリスやアメリカな裕福な旅行者たちはこぞってパリへ旅行に出かけましたが、パリジャンが新しい装いに夢中になっていることを目の当たりにして、強い驚きを示しています。</p>
<p>ある程度裕福な<strong>フランス</strong>の地方に住むフランス人や、外国人も、当時発刊されるようになったパリ発のファッションを読んで、こぞってパリのファッションを真似しようとしました。</p>
<p>こうした自由な気風、ファッションは古くからの宮廷の伝統とブレンドされることによって、パリは世界のハイファッションの都となったのです。その結果フランスでは、ファッションを「装う人の個性の表現」と捉えられる伝統が誕生しました。</p>
<h2>技術革新とファッション</h2>
<p>18世紀パリのファッションブレークを下支えしたのは、好調なフランス経済と技術革新でした。とりわけそれまで存在しなかった新しい布、素材が次々と誕生しました。</p>
<p>白いコットンのモスリン、絹や毛のジャージーなどです。</p>
<p>刺繍の入ったベルベットのコート、肘までのズボン、音のするシルクのタフタドレス、パニエによって膨らんだ腰、パウダーのかかった髪型。これらが当時のパリ発の最新のファッションでした。</p>
<h2>ファッションブームの立役者、ローズ・ベルタン</h2>
<p>パリをハイファッションの都に仕立て上げた立役者が、庶民階級出身の女性、ローズ・ベルタンです。</p>
<p>ベルタンは衣服やレース、羽、ボネ、センスなどのアクセサリーを売るばかりでなく、王室を中心とした顧客に対してスタイリストの役割を果たしました。実際ベルタンはマリーアントワネットのスタイリストとしても知られ、彼女は別名「ファッション大臣」として知られるようになりました。</p>
<h2>ロココスタイルから古典主義へ</h2>
<p>1770年マリー・アントワネットは14歳でオーストリア・ハンガリー帝国からフランスに嫁ぎます。当時ヴェルサイユ宮殿を含めてヨーロッパ全ての宮廷で、フランス風宮廷服が唯一の模範でした。もちろんマリーアントワネットも当初はそれに従っていました。</p>
<p>それは前開きのゆったりしたローブ・ヴァラントを盛装用にしたもので、後肩に縫い付けられた幅広い平たいダブルプリーツが流れるような裾のラインに特徴があります。</p>
<p>また逆三角形のボディス、数段のレース、薄い布の裾飾り、パニエで左右に大きくはったペティコートなどもその特徴でした。コルセットで胴体をきつく締め付けて胸を高くすることによって、逆三角形のボディーにほっそりしたウエストを強調させていました。</p>
<p>ところがパリの都会文化が育つに従って、次第に伝統的な宮廷のドレスが古臭く見えるようになって行きました。とりわけ締め付け型のドレスや重々しいガウンは旧態依然とした宮廷のしきたりを象徴しているかのように見えたのです。</p>
<p>そんな中でマリーアントワネットはベルタンを自分の衣装係に採用します。「ファッション大臣」に支えられたマリー・アントワネットは、ヨーロッパのファッション女王として君臨しました。</p>
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<p>とりわけ自由な気質で美しいものや新しいもの好きだったマリー・アントワネットは、率先してコルセットを外してシュミーズドレスを着用しました。</p>
<p>これは当時の宮廷では「革命」と捉えられるほどの事件でした。シュミーズドレスは当時は部屋着のようなもので、公の場で着用することは考えられませんでした。</p>
<p>ところが当時の記録によれば、マリーアントワネットはシュミーズドレスを着て宮廷の要人とも会見したそうです。このような女王のファッションは宮廷に大スキャンダルを巻き起こすとともに、多くの上流階級の女性がこぞって女王の真似をしました。</p>
<p>その後フランス革命が勃発した後シュミーズドレスはパリで大流行します。そしてパリばかりかフランス全体に普及して行きます。</p>
<img class="size-medium wp-image-1030 alignleft" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/David_-_Portrait-222x300.jpg" alt="" width="222" height="300" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/David_-_Portrait-222x300.jpg 222w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/David_-_Portrait-768x1039.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/David_-_Portrait-757x1024.jpg 757w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/David_-_Portrait-728x985.jpg 728w" sizes="(max-width: 222px) 100vw, 222px" />
<p><strong>マリーアントワネット</strong>が流行らせたのはシュミーズドレスばかりではありません。彼女は重たい金やパールのジュエリーを嫌がり、手袋、レースのハンカチ、センス、リボン、ストールなどを愛用しました。</p>
<p>マリーアントワネットは宮廷の重たい装いではなく、パリの都会的で軽やかなファッションを好んだのです。そんなマリーアントワネットのファッションは現在のフランス人女性のファッションにも受け継がれています。</p>
<p>例えばストールの掛け方として、フィシュマリーアントワネット、というスタイルがあります。それは四角いストールを三角の形にして女性の頭や肩にかけることを意味しますが、これもマリーアントワネットが流行らせたスタイルでした。</p>
<h2>マリーアントワネットはファッションクイーンであり続ける</h2>
<p>今日世界中の人々がマリー・アントワネットに抱くイメージは様々です。</p>
<img class="size-medium wp-image-1021 alignleft" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/paris-291604_1920-300x225.jpg" alt="" width="300" height="225" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/paris-291604_1920-300x225.jpg 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/paris-291604_1920-768x576.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/paris-291604_1920-1024x768.jpg 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/paris-291604_1920-728x546.jpg 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" />
<p>日本では悲劇のクイーンとしてマリー・アントワネットは大人気です。マリーアントワネット展が頻繁に開かれています。</p>
<p>本国フランスでは少し事情が違います。人々は政治的な目でマリーアントワネットを見ます。</p>
<p>現在でもフランスにはかつてのフランス王政を支持する人がいますが、彼らはマリーアントワネットに親愛の情を持っているでしょう。しかし大半の庶民のフランス人たちは、マリー・アントワネットはフランス王国の女王に値しない外国の女性だった、と冷たく見放しています。</p>
<p>歴史舞台の中心人物であったマリーアントワネットについての見方が、人や文化によって異なるのは避けられません。しかし文化の視点から見たとき、ファッションクイーンとしてのマリーアントワネットを否定する人はいないでしょう。</p>
<p>マリーアントワネットは唯一愛人を持たない堅物の国王の妻でした。そんな夫はマリーアントワネットにベルサイユ宮殿の娯楽係を命じました。</p>
<p>マリーアントワネットのおかげでベルサイユ宮殿はお祭り気分で盛り上がりました。週に２回のダンスパーティーと演劇。それに加えて多くの儀式、晩餐会。そしておしゃれなファッションや遊び・・・・。</p>
<p>当時それまで固定されていた身分や階級の違いは薄れかけていました。お金のあるブルジョワ階級は金欠のフランス王政から貴族の位を買うこともできました。</p>
<p>そんな社会の流動性と閉塞性が混在する中、ヴェルサイユ宮殿を訪れる全ての人にとっても着飾ることの意味合いが変化して行きます。衣装は身分を表現するものではなく、個人としてのアイデンティティーを示すものへと変化して行きました。</p>
<p>そして個人としてのアイデンティティーからファッションを楽しんだ最初の人がマリーアントワネットだったのです。その意味でマリーアントワネットは現代に続くファッションのあり方を規定した最初の女性、と言えます。</p>
<p>ディオールの専属デザイナーを突如退任したイギリス人デザイナー、ジョン・ガリアノ。</p>
<p>彼は2010年春夏のディオールのコレクションで驚くべき斬新なマリーアントワネットスタイルを復活させました。詳しくは下のブログを訪問して見てください。</p>
<p>http://sfair.blogspot.com.sanityfairblog.com/2010/02/john-gallianos-marie-antoinette.html</p>
<p>マリーアントワネットは今日でもフランスのファッションの<strong>女王</strong>であり続けています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
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		<title>フランス人男性とファッション（２）クリストフ・ルメール、日仏のコラボ、21世紀型ファッション</title>
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		<pubDate>Mon, 27 Aug 2018 07:57:04 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[francechapeau]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[フランス人男性]]></category>
		<category><![CDATA[ファッション]]></category>
		<category><![CDATA[フランス人]]></category>
		<category><![CDATA[男性]]></category>

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		<description><![CDATA[&#160; パリは19世紀半ばから100年以上もの間、世界のファッションの都と言われてきました。ところが今で...]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>&nbsp;</p>
<p>パリは19世紀半ばから100年以上もの間、世界のファッションの都と言われてきました。ところが今ではファストファッションの発展によって、そうではないという意見も強まってきました。</p>
<p>ここでは、有名な<strong>フランス人男性</strong>のファッション・デザイナー、クリストフ・ルメール氏のファッション哲学について紹介します。ルメール氏によれば、パリこそが21世紀の新しいファッションのあり方の鍵を握っているということです。</p>
<p>また新しいファッションのあり方には日本も関係します。なぜならルメール氏は日本のファッション大手のユニクロとコラボをしているからです。</p>
<p>なぜルメール氏は日本の会社であるユニクロとコラボをすることにしたのでしょうか。ルメール氏はユニクロと組んで、ファッション業界で何を成し遂げようとしているのでしょうか。そしてその先にはどんなファッションの展望があるのでしょうか。</p>
<p>これらの疑問に答えを出しつつ、21世紀型の新たなファッションの展開の中心に、フランス人男性とフランス人男性が好む男性服があることも指摘します。</p>
<h2>クリストフ・ルメール氏の略歴</h2>
<p>ルメール氏は1965年生まれで2018年現在53歳です。ルメール氏はフランスの東部、ブザンソンで生まれました。元々は成績優秀な文学少年でしたが、偶然が重なり、ファッション業界に入ったそうです。<img class="alignleft wp-image-293 size-medium" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/besancon-346570_1920-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/besancon-346570_1920-300x200.jpg 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/besancon-346570_1920-768x512.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/besancon-346570_1920-1024x683.jpg 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/besancon-346570_1920-728x485.jpg 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>1980年代にルメール氏はイザベル・マランとともにファッションショーを開いたり、D Jをしたり、ファッションブランドのアルバイトをしたりしていました。そしてクリスチャン・ラ・クロワ氏に直接手紙を書き、彼の会社で働くことになりました。</p>
<p>ルメール氏はラ・クロワ氏のメゾンで多くを学ぶとともに、彼の目指すファッションの方向はオート・クチュールに代表されるきらびやかな虚構の世界ではないことも自覚しました。</p>
<p>1991年に、ルメール氏は自分の名前を冠した『クリストフ・ルメール』というプレタ・ポルテ（既製服）のブランドを立ち上げました。ちなみにこの会社は日本でとても高い人気を得ました。2000年に入るとルメール氏は自分のブランドを一時休止して、大手メゾンのアーティス・ティックデザイナーに就任します。</p>
<p>とりわけエルメスの専属デザイナーに就任した際には、当時それほどまでに有名なデザイナーではなかったために、周囲に驚きをもって迎えられました。しかしルメール氏はスカーフと革製品が大半の売り上げを占めるエルメスにおいて、プレタポルテの売り上げを順調に伸ばしエルメスの売り上げに大きく貢献しました。</p>
<p><img class="alignleft wp-image-295 size-medium" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/briefcase-1578138_1920-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/briefcase-1578138_1920-300x200.jpg 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/briefcase-1578138_1920-768x512.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/briefcase-1578138_1920-1024x683.jpg 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/briefcase-1578138_1920-728x485.jpg 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" />ルメール氏は2006年には自身のブランド『クリストフ・ルメール』を再開しました。2015年にブランド名を『ルメール』に変更しました。彼はファション業界で横行する大企業化を否定し、現在まで、完全独立起業のオーナーであり続けています。</p>
<p>ルメール氏はエルメスを2015年に退任したのち、2016年にユニクロとの新ライン『Uniqlo U』をスタートさせました。ルメール氏は現在水曜日と木曜日はユニクロに出勤し、そのほかの３日はルメールで働きます。週を二つの仕事に区分するのはたやすいことではありません。それまで集中していたのに別のことに頭を切り替えないといけないからです。</p>
<p>でも信頼のおけるスタッフに支えられて、この困難を乗りきっています。ルメール氏がユニクロとのコラボを始めて以来、公私のパートナーである、アジア系の女性、サラ・リン・トランさんが『ルメール』のコレクションのデザイン、ブランドイメージ、商品化までを一貫して監督してルメール氏を支えています。ルメール氏のファッションに影響を与えたのは、1920年代のファッション、アジアなどだそうです。</p>
<h2>世界のファッションの都、パリを規定する３つの条件とは？</h2>
<p>ルメール氏は、現在グローバル化、ファストファッションの進出で「パリがファッションの都ではなくなった」という意見に強く反対します。なぜならルメール氏は、過去、現在、そして未来も、パリは世界のファッションの中心地であり続けると考えているからです。ルメール氏はパリ以上にクオリティーの高い洋服を作れる場所はない、と言い切っています。<img class="alignleft wp-image-296 size-medium" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/eiffel-tower-1280022_1280-300x169.jpg" alt="" width="300" height="169" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/eiffel-tower-1280022_1280-300x169.jpg 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/eiffel-tower-1280022_1280-768x432.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/eiffel-tower-1280022_1280-1024x576.jpg 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/eiffel-tower-1280022_1280-728x410.jpg 728w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/eiffel-tower-1280022_1280.jpg 1280w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>ルメール氏は愛国心からパリのファッションを称賛しているのではなく、パリのファッションが一般のフランス人とはかけ離れた、ある種の国際性に支えられていることを強く意識しています。</p>
<p>ではなぜパリが歴史的に世界のファッション都市となったのか、思い返して見ましょう。19世紀半ばから、パリは世界の<strong>ファッション</strong>の中心地として知られるようになりました。これには、三つの要因がありました。</p>
<p>まず、パリには当時世界一腕利きの職人が存在したことです。王政の時代からの洋装の伝統を保持してきたパリの職人は、20世紀後半まで底抜けの技と経験を保持し続けました。そして二十人ほどの腕利き職人たちが、世界を相手にパリのファッション伝統を100年に渡って保持しました。</p>
<p>パリが作り上げる高級ファッション、オートクチュールの顧客は世界の富豪たちでした。イギリス、アメリカ、アラブ人などが中心で、フランス人の顧客は３分の１ぐらいだったそうです。こうしてフランス趣味とはジェット機で世界を飛び回る富豪の人々の趣味を指し、パリは世界のファッションの中心としての名声を誇りました。</p>
<p>それに加え、パリは世界で一番知的、美的な場所でした。そこにはフランスの歴史も大きく影響しています。王政時代には上流階級の女性が仕切ったサロンが栄え、知的な人々の間では会話を楽しむという伝統が生まれました。その結果、フランスでは会話の刺激によって、小説、絵画などの芸術活動も栄えていったのです。</p>
<p>ファッションも同じです。どんなに才能のあるファッション・デザイナーでも一人で孤立してファッションを製作することはできません。常に腕利きの職人やスタッフと会話をしたり、街中に出て美しいものを眺めたりしながら、ファッションを考案してきました。</p>
<p>そして三つ目の要因は、フランスのエリートたちが世界に向けてフランス文化をマーケティングする術に長けていたことです。これを要約するなら、普遍主義、国境を超えて語りかける能力、世界中のアイディアを取り入れてそれを体系化する才能と言えます。<img class="alignleft wp-image-285 size-medium" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/flag-3210468_1920-300x192.jpg" alt="" width="300" height="192" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/flag-3210468_1920-300x192.jpg 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/flag-3210468_1920-768x490.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/flag-3210468_1920-1024x654.jpg 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/flag-3210468_1920-360x230.jpg 360w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/flag-3210468_1920-728x465.jpg 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>例えばシャネルの香水No5もフランス人特有の国際戦略によって世界的に成功しました。その匂いに独自性があったことは事実ですが、No5の成功の秘訣は何よりもその抽象的な名前にもありました。</p>
<p>シャネルはこのNo5という名前を、あたかも自動車のナンバーか何かを決めるように名付けた、と言います。５という数字の由来は、シャネルが常に５月５日にファッションショーを行なっていたこと、それは１年の５番目の月だったこと、そのため彼女自身が５をラッキーナンバーと考えたためです。</p>
<p>No5はその抽象的な名前によって、その後あらゆる多様な状況に溶け込んで行きました。1950年代にはマリリンモンローがシャネルNo5をつけた、との噂が立ち、マリリンモンローとともにNo5も神秘的な存在になりました。<img class="alignleft wp-image-297 size-medium" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/marilyn-monroe-2028615_1280-203x300.png" alt="" width="203" height="300" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/marilyn-monroe-2028615_1280-203x300.png 203w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/marilyn-monroe-2028615_1280-768x1138.png 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/marilyn-monroe-2028615_1280-691x1024.png 691w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/marilyn-monroe-2028615_1280-728x1079.png 728w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/marilyn-monroe-2028615_1280.png 864w" sizes="(max-width: 203px) 100vw, 203px" /></p>
<p>そしてマリリンモンローのブロンド、肉感的な様子、そしてアメリカ人といった特徴が、黒髪、痩せこけた体型、フランス人というシャネルのイメージを補完し、No5は世界の人々を魅了していったのです。それは同時にアメリカ文明が世界的な影響力を拡大しつつあるという時代にもマッチしていました。</p>
<p>もともとNo5という抽象的な香水には、フランスを表象する具体的なイメージが何もなかったのです。そしてその都度征服したい市場の要素をうまくイメージに取り込むことによって、自らのイメージを世界に浸透させて行きました。</p>
<p>パリ発のファッションというのは、いわばどんな形のものにも対応しうる器のようなもので、その中身は時代、そしてその時アピールしたい市場によって、常々変化して来たのです。ルメール氏はパリファッションが21世紀のファッションの動きに十分対応できる、と考えているに違いありません。</p>
<h2>21世紀もパリはファッションの都であり続ける・・・</h2>
<p>なるほど一見するとルメール氏を取り巻く状況は一昔前とは大きく変わりました。ルメール氏のアトリエには、50年前に健在したフランスを代表するとびっきり腕のいいパリの職人はいません。</p>
<p>LVMHは古くからあるフランスの国際マーケティングの伝統を受け継いで、奢侈産業において世界一の売り上げを誇っています。ルメール氏はそのような古くから存在するフランスの伝統に背を向け、日本人とコラボすることを選択しました。そしてそのことが彼の考えるところの国際性への独自なアクセスとなりました。</p>
<p>ユニクロはパリの古い奢侈産業とは根本的に異なります。フランスのオートクチュールのように、手作業で少数の富裕者に信じられない値段で服を売るのではなく、ファストファッションメーカーとして、産業デザインとしての既製服を不特定多数の人々に販売します。</p>
<p>ユニクロはパリに加え、東京、ニュー・ヨーク、上海に研究開発センターを持ち、その成果をベストな製品作りにつなげ、世界中で売りさばく、という方法を取っています。</p>
<p>ユニクロは、大量のものを多くの人に販売しているという点ではファストファッションメーカーです。同時にユニクロの独自性はファストファッションでも他のブランドと比べれば品質が良い、という点です。</p>
<p>パリのユニクロの研究開発センターにはもちろんパリ独自の視点がありますが、パリでファッションを作るからと言って、それがパリ的、フランス的だとは言えません。</p>
<p>なぜならパリのユニクロのスタッフは日本人、イギリス人、スイス人、スウェーデン人、フランス人と国際色が豊かだからです。デザイナー、アシスタントを含めて15人ほどのスタッフがデザインの構想のために働いています。スタッフの数は一昔前のパリの少数の腕利きの職人の数に匹敵しますが、彼らはもはや職人ではなく、デザインに専心します。</p>
<p>ルメール氏とユニクロが手がける21世紀型のパリ発ファッションによって、ファッションの都パリの意味合いが変貌しつつあります。もはや富豪相手のビジネスではなく、一般大衆を相手にして、世界中にある店舗で売りさばきます。</p>
<p>また腕利きの職人に依存するのではなく、国際分業体制によって人件費の安い国の工場で生産します。もちろん、それは手作業ではなく、機械生産です。これらは19世紀後半にアメリカで誕生したフォーディズム、つまり大量生産制の延長線上に成り立っています。</p>
<p>ルメール氏は、ユニクロが提供する工場生産能力、大量販売のためのルート、日本式の完全主義、これらが21世紀のファッションを支える国際性だと見て取りました。これらのシステムのおかげで彼が目指す品質の高いファッションを手頃な値段で最大多数の顧客に販売することができると考えたのです。</p>
<p>そしてルメール氏が最もユニクロと共感したところが、ファストファッションに収まり切らないファッションについての考え方、つまり流行に左右されない、品質の良い服作りです。</p>
<p>ルメール氏をめぐるパリのファッション環境は２つの条件（マーケティング、スタッフの国際性）においては19世紀がたのパリファッションとは異なる新しい性格を持っています。</p>
<p>それでもパリがファッションの都として存在する上で、過去も現在も変わらない要素があります。それはパリが知的、美的な都市であり続けているという点です。パリには世界で最も知的で、最も独立心に富んだ、美しい男性、女性がいます。そして彼らがファッショナブルなことです。</p>
<p>パリの長い歴史とパリの文化を体現する洗練されたパリジャンが作り出すパリの空気こそ、パリで考案されたファッションのエッセンスとなり、パリジャンシックを作り出します。ルメール氏がパリがファッションの都であり続けている、と考えるのはそのためです。<img class="alignleft wp-image-298 size-medium" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/paris-1772993_1920-300x138.jpg" alt="" width="300" height="138" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/paris-1772993_1920-300x138.jpg 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/paris-1772993_1920-768x352.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/paris-1772993_1920-1024x470.jpg 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/paris-1772993_1920-728x334.jpg 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>そもそもルメール氏がユニクロとコラボに関心を示した理由は、現状のファッション業界のビジネスのあり方に強い疑問を持ったからでもありました。</p>
<p>現在ファッション業界は岐路に立たされています。パリコレでは、六ヶ月に一度、日常着とはかけ離れた、空想、ファンタズムに根付いた奇抜なコレクションが発表されます。しかしこれらの既存のブランドのコレクションは、現在経済システムとして立ち行かなくなりつつあります。</p>
<p>これまではファッションデザイナーにとって、ファッションウイークとは数ヶ月に及ぶ仕事の集大成の場でした。有名人がファッションショーを訪れ、ジャーナリストが新しい流行について記事を書く。そして数ヶ月後にはファッションショーでお披露目をされた洋服が店頭に並び、一般消費者が購入するというプロセスがありました。</p>
<p>しかし現在SNSの発達に伴って、ファッションウィークの商業的意味が失われつつあります。なぜならファッションモデルがファッションショーに出演するや否や、写真が一斉にネットに挙げられ、SNSを通じて広まっていってしまうからです。</p>
<p>ファストファッションのメーカーは、すぐさま新しいコレクションを真似た商品を作り出し店頭に並べます。その結果、お金をかけて独自なデザインを考案して、コレクションを発表したメゾンによる商品が店頭に並ぶ数ヶ月後には、一般消費者はすでにこれらのデザインを見飽きているという皮肉な現状があります。</p>
<p>ザラはこのようなやり方によって、流行をいち早く商品化し、世界的なファストファッションの企業に成長しました。</p>
<h2>ルメール氏の考える新しいパリ発ファッション</h2>
<p>ファッションや流行から距離を置いて、美しいベーシックなカジュアルウエアが数着あれば良い、というのがルメール氏の考える21世紀のファッション感覚です。この考え方自体はヨーロッパに古くから根付く考え方でもあります。</p>
<p>毎日寝て起きて、洋服を着て、出かける。そして1日が始まる。そのプロセスの中でワードローブに自分が来ていて心地いいもの、魅惑するものをストックする。そうすれば、自分に対しても気分が良く、自信も持てるし、そうした装いは自分のアイデンティティーともなります。<img class="alignleft wp-image-302 size-medium" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/girl-2940655_1920-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/girl-2940655_1920-300x200.jpg 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/girl-2940655_1920-768x512.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/girl-2940655_1920-1024x683.jpg 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/girl-2940655_1920-728x485.jpg 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>フランス風シックなファッションとは、個人の内面的幸福感にも直結する、ライフスタイルの一部なのです。</p>
<p>ただ一つだけ、条件があります。こうしたベーシックで流行のないファッションとは、美しいから、と言って単に広告と同じように装うだけでは、クールには決まらない、という点です。</p>
<p>ユニクロUやその他のベーシックを基調とするブランドが提案する21世紀型のカジュアルウエアとは、何か一つその人らしい装いの個性を加えることによって、初めてその人に寄り添ったファッションとして完成されます。それは実際には一癖あるファッションの在り方です。着る人にセンスがなければ、他の人と同じに見えてしまうからです。</p>
<h2>21世紀型ファッションはフランス人男性の好むべーシック・ファッションから始まる</h2>
<p>ファッション産業は流行という名の回転の早い時間軸によって支配されています。メゾンは6ヶ月毎に異なる流行を提案します。それは女性に対してカーボーイ、兵士、お姫様、パンクになれ、と指示しているようなものです。</p>
<p>それを後追いするファストファッションも次々に新しい流行の服を生産していきます。そして回転の早いファッション業界は、ある程度着た後は捨てる、という暗黙の了解に支えられています。</p>
<p>現状のファッションの生産体制は、貧しい国の労働者に過酷な労働を強いるとともに、環境問題をさらに悪化させます。先進諸国の経済も頭打ちとなった今、ファッションにおいおい時間とお金をかけてはいられない世の中になりつつあります。<img class="alignleft wp-image-299 size-medium" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/recycle-29227-289x300.png" alt="" width="289" height="300" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/recycle-29227-289x300.png 289w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/recycle-29227-768x798.png 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/recycle-29227-985x1024.png 985w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/recycle-29227-728x757.png 728w" sizes="(max-width: 289px) 100vw, 289px" /></p>
<p>そもそも20世紀型の大量生産的考えに基づいて生産された既製服は美しくありません。何事もそうですが、美しい物を作るのには時間がかかるからです。</p>
<p>現在ファストファッションが浸透した結果、日本ではお金がないはずの若い学生ですら、洋服は消耗品である程度着たら捨てるものだと考えます。この傾向は特に女子学生に強く、彼女たちはファストファッション世代と言っていいぐらいぐらいです。</p>
<p>そこで20世紀から21世紀型のファッションに向けて消費行動を変えて行くのは、流行を追うのが好きな女性たちではなく、ファッションに対して質、持続性を求め、余分なものは買わずベーシックなものをコレクションする男性消費者だと考えられます。</p>
<p>そもそも男性のファッションには時間に流されない永遠のアイティムが多く存在します。<strong>フランス人男性</strong>は、一般に質のいい流行に左右されない自分が気に入った洋服を買って、長く着ます。特に若いフランス人男性はクオリティーを求めてベーシックな洋服にこそお金をかけます。</p>
<p>ルメール氏は将来、フランス人女性も、時流に左右されない、表面的ではないフランス男性の伝統的なファッション感覚を取り入れていくだろうと考えています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>参考資料</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>Uniqlo : « Je préfère les commandos aux armées mexicaines »</p>
<p><em>Libération </em>par Sabrina Champenois, le 26 septembre 2016</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>« L’Andam, activateur de talents », par Caroline Rousseau, <em>madame Figaro</em>, 22 juin, 2012.</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>フランス人男性とファッション（1）若者編</title>
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		<pubDate>Mon, 27 Aug 2018 07:24:51 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[francechapeau]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[フランス人男性]]></category>
		<category><![CDATA[ファッション]]></category>
		<category><![CDATA[フランス人]]></category>
		<category><![CDATA[男性]]></category>

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		<description><![CDATA[ヨーロッパでは、19世紀から現在まで、ファッションというとまず女性のものというイメージがあります。それはフラン...]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>ヨーロッパでは、19世紀から現在まで、<strong>ファッション</strong>というとまず女性のものというイメージがあります。それはフランス革命後誕生したブルジョワ階級を主体とした市民社会の名残です。</p>
<p>19世紀の市民社会とは、ジェンダーが色濃く反映された社会でした。ジェンダーとは、人間の肉体上の性差が、社会、文化上の差別を正当化するためにも使われていることを認識することです。革命後の市民社会はまさにジェンダー化が進んだ社会でした。男は仕事、女は家庭、という図式が固まったのもこの頃でした。</p>
<p>革命前には男性も女性もきらびやかで大掛かりな衣装をまとっていました。しかし革命後政治的パワーを持つようになったブルジョワ階級のフランス人男性は黒一色のスーツに身を包みました。</p>
<p>旧体制を倒し、貴族に変わって政治的パワーを持ったブルジョワ階級のフランス人男性は、黒いスーツを着込むことによって、仕事に勤しむという男性としての社会的役割をアッピールしました。その後次第に、男性はファッションなどという軽くて、女性的なものに関心を向けてはならない、という社会的風潮が確立しました。<img class="alignleft wp-image-278 size-medium" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/そりカップル１９世紀-300x195.png" alt="" width="300" height="195" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/そりカップル１９世紀-300x195.png 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/そりカップル１９世紀-768x498.png 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/そりカップル１９世紀-1024x664.png 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/そりカップル１９世紀-728x472.png 728w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/そりカップル１９世紀.png 1280w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>それ以来、ファッションと言えばまず女性だったのですが、この200年続いてきたジェンダー化されたファッションについての考え方が、21世紀初頭の現在大きく変わりつつあります。</p>
<p>とりわけ、30歳未満の若いフランス人男性がファッションに強いこだわりと興味を持ち、おしゃれを楽しむという兆しが見られます。</p>
<h2>21世紀のフランスの若い男性とファッション</h2>
<p>21世紀のフランスは急速に変化しています。</p>
<p>市民的権利、政治的権利における男女平等に加え、これまで男性のみに占有されてきた政治家の仕事を女性に解放したり（パリテ）、同性婚の合法化の動きによって、200年にわたってフランス社会を支配してきたジェンダー格差が薄れてつつあります。</p>
<p>その結果ジェンダーに支配されないで、個人がある程度好きなように生きていける多様な価値観の社会が到来しつつあります。この社会の変化はファッションにも影響を及ぼしました。</p>
<p>フランス革命以前のフランスには、衣服によって身分、社会階層の高さを示す風習があったため、一番おしゃれだったのはまず高貴な生まれの男性でした。今日女性がはくスカートというのは、もともとはゲルマンの騎士たち（もちろん男性）が着用していた衣服から派生したものと言われています。</p>
<p>男性のおしゃれが極みに達したのはその後の絶対王政の時代でした。ヴェルサイユ宮殿に集まった高貴な生まれのフランス人男性たちは、こぞってレースやキルティングの長袖の上着などでおしゃれをしました。</p>
<p>先に19世紀の市民社会はブルジョワ階級の男性からファッションを封印した、と書きました。これは大まかなトレンドで、おしゃれなフランス人男性が19世紀フランスからいなくなってしまったわけではありません。当時産業革命真只中のイギリスのファッション影響を受け、フランス男性の間に、ダンディズムと言われる裕福な男性のファッションが流行しました。</p>
<p><img class="alignleft wp-image-286 size-medium" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/フランス男ファッションビンテージ-212x300.png" alt="" width="212" height="300" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/フランス男ファッションビンテージ-212x300.png 212w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/フランス男ファッションビンテージ-768x1086.png 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/フランス男ファッションビンテージ-724x1024.png 724w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/フランス男ファッションビンテージ-728x1030.png 728w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/フランス男ファッションビンテージ.png 905w" sizes="(max-width: 212px) 100vw, 212px" />イギリスでダンディーと言われたのは、おしゃれなスーツを着こなし、洗練された言葉遣い、趣味などを持ち、見た目にはリラックスした感じの伊達男を指します。</p>
<p>彼らは中産階級の出身でしたが、成り上がって富を築きました。そして貴族のライフスタイルを真似したがりました。このようなトレンドの影響で、フランスにもダンディーな男性が出現したのです。</p>
<p>今日フランスでは21世紀の新たなダンディズムが誕生しつつあります。それは19世紀のように階級によって規定されたものではなく、世代によって規定されます。</p>
<p>下の表は、全ての年齢層を含んだフランスの男性と、15歳から29歳までのフランスの男性に分けて、それぞれのグループの衣類の出費の内訳を示した図です。</p>
<p><img class="alignright wp-image-340 size-medium" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/chinatsu-mode-300x202.png" alt="" width="300" height="202" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/chinatsu-mode-300x202.png 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/chinatsu-mode.png 717w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" />注目されるべきは、主にジーンズ、長袖のシャツ、半袖のシャツ、半袖のTシャツ、ブルゾン、ポロシャツなどで、若い世代のフランス人男性の出費が突出している点です。</p>
<p>反対に若い世代のフランス人男性の出費がフランス男性全体の平均よりも劣るのは、セーター、ズボン、スーツ、オーバーでした。</p>
<p>15歳から19歳のフランス人男性の年間のおこずかいは360ユーロ（およそ５万円）に過ぎないのに、彼ら（正確には彼らの両親）は洋服に平均してその倍以上の677ユーロ（10万円以上）も費やしています。</p>
<p>さらに15から29歳までのフランス人男性の51パーセントが、不況になろうとも、衣服に費やす金額を減らさない、と答えています。</p>
<h2>若いフランス人男性は値段に糸目をつけない傾向にある？</h2>
<p><strong>フランス人男性</strong>は衣類を買うとき、フランス人女性ほど値段を気にしません。またフランス人男性は、フランス人女性と異なって、一目見て気に入ったものを衝動買いしたり、流行を追うために衣服を買うという傾向も持ちません。</p>
<p>フランス人男性は流行を超えて、長く着用できる衣服を好む傾向があります。彼らは、流行に左右されないベーシックなアイティムをワードローブにコレクションすることを好みます。<img class="alignleft wp-image-282 size-medium" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/フランス人男性バック-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/フランス人男性バック-300x200.jpg 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/フランス人男性バック-768x512.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/フランス人男性バック-1024x683.jpg 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/フランス人男性バック-728x485.jpg 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>その結果、フランス人女性とは対照的に、フランス人男性はファストファッションよりもブランドを好む傾向があります。44パーセントのフランス人女性がブランド品を好むと答えたのとは対照的に、フランス人男性の63パーセントが年齢に関係なく、ブランドを好むと答えています。このブランドにこだわるという傾向は年齢が下がるにつれてさらに強くなる傾向にあります。</p>
<p>それとは対照的に、フランス人女性は相対的に安い値段の洋服を好み、流行を追い、奇抜なファッションを好みます。その結果フランス人女性は、ファストファッションの巻き起こした衣服の値段の低下の直接の恩恵に預かったのです。</p>
<h2>若いフランス人男性の好み</h2>
<p>ごてごてとしたレースのついた服装にこだわった革命前の貴族、イギリス風スーツに身を包むことを好んだ19世紀のブルジョワ・ダンディとは異なり、21世紀初頭の若いフランス人男性は、リラックス感、カジュアル、スポーツウエアを好みます。その結果彼らは、物のいいジーンズ、シャツ、ロゴの入ったTシャツなどに特に強いこだわりを見せます。</p>
<p>また15歳から29歳のフランス人男性は、状況や自分の気分によって、ファッションのスタイルを変化させたいとも考えています。そのため一つだけのスタイルでは満足しない傾向にあります。また香水をつけることも忘れません。</p>
<p>こうしたおしゃれなライフスタイルを維持するために、15歳から29歳のフランス人男性の半数は毎週ショッピングをし、毎年500から700ユーロ（７万円から９万円ぐらい）の予算を衣類に当てているのです。</p>
<p>ジーンズではリーバイス、ディーゼル、スポーツウエアでは、ナイキ、アディダスなどが人気です。そのほかアルマーニやヒューゴ・ボスなども人気です。そして若いフランス人男性は、気に入ったアイティムが見つかった時には、予算以上のお金を出すことも厭いません。</p>
<p>15歳から29歳の若い世代のフランス人男性は、フランス人男性全体の中で衣服に最もお金をかける世代と言えます。その後30歳を過ぎて仕事が安定してくると、フランス人男性の衣類への消費は減少していきます。</p>
<h2>21世紀の若いフランス人男性は、アメリカ発のカジュアル・ファッションスタイルがお好き</h2>
<p>ここでは若いフランス人男性が好むファッションアイティム、Tシャツ、ジーンズ、ポロシャツ、ブルゾンの起源をさかのぼって見ます。</p>
<p>Tシャツ</p>
<p>Tシャツがファッションアイティムとなったのは比較的遅く、19世紀末のことでした。快適さ、衛生面からアメリカの海軍がTシャツをユニフォームとして採用したことがTシャツ誕生の直接のきっかけでした。1942年ごろまでにTシャツのスタイルが完成しました。それはクルーネック、半袖、というものです。そしてその形をなぞって、文字通りTシャツと名付けられたのです。</p>
<p>もともと軍隊、男性性のシンボルだったTシャツですが、50年代から60年代欧米、日本などで高度成長だった時代に、普遍、流行に左右されない、民主的、などのイメージが定着していきます。そしてTシャツは広告、スローガン、芸術的表現などの媒体となります。20世紀の産物Tシャツは何よりも「私」を表現する媒体です。</p>
<p><img class="alignleft wp-image-284 size-medium" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/フランス人男性-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/フランス人男性-300x200.jpg 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/フランス人男性-768x512.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/フランス人男性-1024x683.jpg 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/フランス人男性-728x485.jpg 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" />ジーンズ</p>
<p>「ジーンズは社会階級を廃止し、ジェンダーの壁も取りさらった。ジーンズは時代の産物だ」との言葉が残っている通り、Tシャツと同様ジーンズも20世紀を象徴するアイティムです。</p>
<p>ジーンズとはデニム素材でできたズボンです。ジーンズの由来は複数ありますが、ここでは以下のものを紹介しましょう。ジーンズ、という言葉自体は近世イタリアの海洋都市国家ジェノヴァ（Gêne）に由来します。それは「輸送用にできた商品を保護するための厚手で防水性の布」を指しました。中世以来庶民はデニム素材の衣服を着ていました。</p>
<p>1873年にLevi Strauss とJacob Davisはデニムを使って、子供が暴れても破れないようなズボンを提案したのが、今日のジーンズの始まりと言われています。</p>
<p>ジーンズは世界のアメリカ化現象とともに、20世紀を通じて世界中に広がっていきました。ジーンズはまた作業服、ストリートファッション、カーボーイ、ロッカー、ヒッピーなどの、全ての流行、社会階層にも溶け込んでいきました。ジーンズも20世紀の民主的社会を体現したアイティムです。</p>
<p>ポロシャツ</p>
<p>ジーンズやTシャツと異なり、ポロシャツはフランスで生まれました。1920年代にテニスはフランスの上流階級にとって欠かせないスポーツでした。当時プレーヤーは長袖のトップスを着ていました。</p>
<p>実力ナンバーワンだったテニスプレーヤーのルネ・ラコステは、1926年に半袖で途中までボタンのついたポロシャツを初めて着用して、テニスをしました。素材は綿ジャージーを使い、当時着用されていたシャツに比べて、汗を吸収し、軽くて快適なものでした。</p>
<p>当初はテニスウエアとして重宝されていましたが、徐々にシックで上流階級ふうのスポーツウエアとして、定着していきました。</p>
<p>最後にブルゾンの由来は英語のblouseで、これはもともとブラウスを意味しました。オーバーとは異なり、腰までの高さで、また前開きのデザインでした。</p>
<p>ブルゾンはもともとアメリカ空軍の航空操縦士のために考案されました。それは暖かく、人間工学に基づいて設計された制服でした。</p>
<p>ブルゾンの形は、体を大きく覆うようなもので、それはブラウスの発想に似ています。そして長い袖もブラウスをイメージさせます。第二次世界大戦後ブルゾンは市民社会でも着用され、一般化されました。</p>
<p><img class="alignleft wp-image-280 size-medium" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/フランス人男性アメカジ-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/フランス人男性アメカジ-300x200.jpg 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/フランス人男性アメカジ-768x512.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/フランス人男性アメカジ-1024x683.jpg 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/フランス人男性アメカジ-728x485.jpg 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" />ポロシャツ以外、Tシャツ、ブルゾンなどはもともとアメリカの軍隊で使われていたファッションアイティムでした。ジーンズについては、デニム自体はヨーロッパで使用されていましたが、現在人気のジーンズの原型はアメリカで生まれました。</p>
<p>以上のことから現代のフランス人男性のファッションも、日本人と同様にグローバル化、アメリカ文化の影響を強く受けていることが理解されます。</p>
<p>特に若い世代のフランス人男性はかつてのフランスの階級、身分社会を思い起こさせる特権的なアイティムを拒絶して、民主的で、フラットで、自我を表現できるアメリカのファッションアイティムを好みます。そういう意味で、現在15から29歳の若いフランス人男性世代は、これまでのフランスのファッションのあり方に変化を起こす可能性を持っています。</p>
<h2>若いフランス人男性とユニクロU</h2>
<p>そこに目をつけたのがユニクロでした。現在ユニクロは世界の16カ国の国々に1500以上の店舗を構え、３万人以上の従業員を持つと言われています。</p>
<p>日本では長らくおなじみのユニクロですが、国際市場へのアクセスを決定的なものにしたのは2006年にニューヨークのSOHOに旗艦店をオープンさせたときでしょう。それ以来ユニクロは国際戦略を拡大させ、海外における売り上げ比率は総売上の45パーセントにも達しています。</p>
<p>翌年の2007年にユニクロはベーシックなデザインでありつつ、着る人の工夫によって変化する、という自社のファッション哲学がフランスでこそ成功するだろうと期待して、フランス市場に進出しました。</p>
<p>そしてパリの中でも流行の先端を行くファッショナブルな地区、オペラ座とマレー地区に大型店舗を構えました。その後複数のフランス人デザイナーとコラボをしつつ、2016年秋にはクリストフ・ルメール氏をユニクロ・Uのアーティスティック・ディレクターとして迎え入れました。</p>
<p>ルメール氏はこれまでにフランスのファッション業界ではすでにその実力が認められていました。ユニクロ・Uのアイティムの値段は15ユーロから150ユーロほどで、エルメスの専属デザイナーを務めたルメール氏が監修した洋服の値段とは、にわかに信じられないほど低い値段です。</p>
<p>ルメール氏がユニクロで働こうと思った一番の動機は、ユニクロが放つ政治的なメッセージに魅かれたからだそうです。</p>
<p>それはファッションの民主化の徹底、できるだけ多くの人に質の良い服を届ける、というメッセージでした。またルメール氏とユニクロは、日常着にこそクオリティの伴った服を、という哲学でも一致しました。</p>
<p>これらの考え方は、世界のお金持ちを念頭に置いて、ファンタジーに基づいてデザインされ、特別な空間、場所のために装う、というこれまでのパリ発ファッションの考えと逆行します。</p>
<h2>最後に</h2>
<p>現在パリ発信のファッションは、先進国の国際的な動きと連動しています。</p>
<p>それは20世紀が残した遺産とも言える、アメリカ発信のカジュアルウエアを21世紀型へと変更していくプロセスと言えます。</p>
<p>経済のグローバリゼーションと社会、文化的伝統との間で微妙なバランスを取りつつ、産業デザインをベースにして手頃な値段で世界市場に売りさばく。同時に20世紀のように、完全な画一化、同質化を目指すのではなく、着る人一人一人の個性が現れるスタイル。それは、質の伴ったカジュアルウエア・ファッションと言ってもいいかもしれません。</p>
<p>若い<strong>フランス人男性</strong>は、服装を通じて、この新しいトレンドを体現しています。</p>
<p>次回のブログでは、ルメール氏が考える21世紀のファッションについてさらに詳しく紹介していきます。</p>
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