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	<title>フランス人男性 &#8211; フランスシャポー</title>
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	<description>パリ移住経験のあるルバンがフランスの情報をお届けします。</description>
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		<title>「オンラインの出会い」から読み取れるフランス人男性の恋愛観ー彼らは出会いに何を求めているのか</title>
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		<pubDate>Sat, 22 Sep 2018 09:11:26 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[francechapeau]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[フランス人男性]]></category>
		<category><![CDATA[恋愛観]]></category>

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		<description><![CDATA[縁という言葉は極めて日本的な概念です。この言葉の由来は仏教で「巡り合わせ」「前世からのつながり」を意味します。...]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>縁という言葉は極めて日本的な概念です。この言葉の由来は仏教で「巡り合わせ」「前世からのつながり」を意味します。また男女の不思議な出会いのことを「縁は異なもの」と言います。</p>
<p>これらの縁をめぐる言葉には「一期一会」同様一つ一つの出会いには人智を超えた計らいがあり、出会いというのはそもそも神秘的なものだというニュアンスが込められています。</p>
<p>フランスは元来キリスト教の伝統を持つ国ですから、ご縁というのは馴染みのない概念です。ピッタリした翻訳がないためか、日本通のインテリなフランス人に対しては「EN」と言って通じることもあります。そういえばパリには「EN」と言う美味しい日本料理屋さんもあります。</p>
<p>日本通ではないフランス人に対しては「神秘的な力」と言い換えると理解されやすいかもしれません。フランスでも日本でも、その出会いが当人にとって重要であればあるほど、人知を超えた力が働くと考える点は同じだからです。</p>
<p>ではネットを通じた男女の出会いにも神秘的な力は働くのでしょうか。</p>
<p>ここでは、オンラインの出会いを通じて浮かび上がるフランス人男性の恋愛観についてご紹介します。彼らはどのようにネットの出会い、恋愛に向き合っているのでしょうか。そして彼らの恋愛観はITによって変化したのでしょうか。</p>
<h2>ネットを通じた婚活の一例：日本の場合</h2>
<p>以下はまず東京での話です。</p>
<p>Kanaさんとはスポーツクラブで出会いました。33歳の誕生日を迎え、それまで独身だったKanaさんは「どうしても結婚したい」という、崖っぷちに立たされたような焦燥感、などという言葉では表現できない感覚に襲われたそうです。</p>
<p>そんなkanaさんはほどなくして、ネットの婚活サイトを通じて結婚相手に出会い、トントン拍子で結婚が決まりました。相手は都心のタワーマンションに住む、世界的に名の知れたコンピューターグラフィックデザイナー、E氏でした。</p>
<p>KanaさんはE氏に出会う前に、学生時代から付き合って13年になるK君と長い間同棲していました。Kanaさんは当初K君のことが好きだったに違いありません。でも 33歳になって真剣に結婚を考えた時K君との結婚では自分が望む生活ができない、と気づいたそうです。つまりKanaさんは異なる恋愛観と結婚観の間でジレンマに陥ってしまいました。</p>
<p>はっきり言ってKanaさんは経済的条件のためにK君とは恋愛はできても、結婚はできないと判断を下したのです。そしてKanaさんはK君と同棲を続けながら、インターネットの婚活エージェントに登録しました。</p>
<p>女性の料金は男性ほどではなく「そこそこ」だったそうです。でも女性が「条件のいい」相手に巡り会うためには35歳未満でなくてはならない、とのことでした。彼女いわく「女性は若ければ若いほど良い出会いに恵まれる」ということでした。<img class="size-medium wp-image-389 alignright" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/girl-1608724_1920-300x263.jpg" alt="" width="300" height="263" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/girl-1608724_1920-300x263.jpg 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/girl-1608724_1920-768x672.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/girl-1608724_1920-1024x896.jpg 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/girl-1608724_1920-728x637.jpg 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>Kanaさんいわく婚活エージェントは無理な相手を押し付けるようなことはなく、本人の希望をきちんと聞いてくれるそう。自分の要求をしっかり言っておくことが大切とのことでした。</p>
<p>「私の場合は自分が生まれ育った家庭環境と同じ生活水準の生活を送れることが一番の条件だったの」とのこと。ちなみにKanaさんは神戸の一等地の出身だそう。一流オフィスが立ち並ぶビルの並びに、ご両親は大きなマンションを持っているそうです。</p>
<p>この婚活サイトを通じて、KanaさんはE氏と出会いました。E氏は経済条件において彼女の条件を満たし,また男性として見てKanaさんにとって好ましい相手だったのでしょう。</p>
<p>E氏は「バツイチ」でした。その点についてKanaさんは、日本女性の結婚の平均年齢を4年超えた33歳の自分が年上の男性との結婚を望むなら「バツイチ」も致し方ないと思ったそうです。</p>
<p>E氏は一目で美人のKanaさんを気に入ったことでしょう。それでまずKanaさんはボーイフレンドとの同棲を解消して、一人住まいをすることになりました。</p>
<p>Kanaさんは一人立ちするための生活資金を持ち合わせていませんでしたが、E氏からお金を借りて家具や電化製品をとりあえず揃えて一人暮らしを始めました。</p>
<p>Kanaさんは典型的な美人というのとは違う、フェロモン系の美女でした。新しいパートナーに出会ったばかりの頃のKanaさんはそれまで以上に女性らしさに溢れていたように思います。</p>
<p>天然カールの入ったミディアムヘアの茶髪を三つ編みに編み込んで、真っ白い肌を引き立たせています。</p>
<p>体つきは痩せてもなく、太ってもいない感じで、可愛らしく、同時にセクシーな雰囲気を漂わせていました。</p>
<p>甘えたような、少しかったるいような感じで、私たち女性に対しても話しかけてきます。でもわざとやっているというわけでもなく、彼女の全体像とマッチしており、周りの女性に不快感を与えることはありませんでした。</p>
<p>Kanaさんは一人暮らしになったことで結婚への決意を新たにし、さらに美に磨きをかけるべく、トレーニングに励みました。その後２−３ヶ月後にKanaさんとE氏の結婚が決まり、彼女は結婚式に向けて美しさに磨きをかけるべくラストスパートをかけました。</p>
<p>Kanaさんは自分の美貌、そして女としての魅力をわかっていたのでしょう。彼女は短期決戦で見事にE氏との結婚を決めました。</p>
<p>そんなKanaさんは周囲の若い女性たちにも、ネットによる婚活を強く進めていました。実際に自分の結婚の条件を満たす結婚を決め、都心のタワーマンションに住むことになったのだから、彼女は鼻高々だったことでしょう。</p>
<p>その後結婚して蓋を開けたらKanaさんと彼の関係はどうなったのでしょうか？彼女の恋愛観と結婚観はうまく収斂したのでしょうか。これに対する答えはわかりません。彼女は結婚を機にスポーツクラブをやめてしまいましたから。</p>
<h2>フランス人と出会い系サイト</h2>
<p>Kanaさんは恋愛と結婚を水と油のように峻別して考えました。ところが多くのフランス人の男性、女性はこうした恋愛観に賛成しないでしょう。</p>
<p>彼らはそもそも婚活と恋愛を区別することはありません。そのためフランスで結婚相手が欲しいと思った場合、「出会い系サイト」に登録することとなります。インターネット、SNSが爆発的に発達したこの10年の間にフランスでも「出会い系サイト」が爆発的に増加しました。</p>
<p>今から10年以上も前に出会い系サイトが始まったばかりの頃、フランスでそれを利用するのはエリート階層の男性のみで、それも浮気相手を見つけるためでした。ところが現在では出会い系サイトも「民主化」されて、あらゆる社会階層のフランス人が利用するようになりました。</p>
<p>ところで「結婚を前提に真剣に付き合わせてください」などという<strong>フランス人</strong>男性はいません。<img class="size-medium wp-image-411 alignleft" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/restaurant-690975_1920-1-300x198.jpg" alt="" width="300" height="198" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/restaurant-690975_1920-1-300x198.jpg 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/restaurant-690975_1920-1-768x507.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/restaurant-690975_1920-1-1024x676.jpg 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/restaurant-690975_1920-1-728x481.jpg 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>「結婚を前提」という言葉には、日本人男性特有の相手の女性を大事に考えており、この関係は遊びではない、との真摯なニュアンスがあります。</p>
<p>ところがフランス人男性の恋愛観からしてみたら、相手に責任を持たなくてはならないなどの発想は理解しにくいでしょう。彼らの恋愛観には「男の甲斐性」などは含まれていないからです。</p>
<p>フランス人男性の恋愛観は、いい意味でも悪い意味でも平等の原則のもとに成り立っています。</p>
<p>楽しいか、楽しくないか、愛し合っているか、愛し合っていないか。こうした当たり前の感情を重視しつつ、責任においても結果においても相互通行的なパートナーシップを築こうとするのが、フランス人の恋愛観です。</p>
<p>とは言っても、フランス人が求める関係は、真面目な恋愛、遊びなど多種多様です。婚活と出会い系が区別されていない以上、軽い気持ちで異性や同性のパートナーと巡り会いたいというフランス人や、長期的なパートナを見つけたいと考えるフランス人が混在しています。</p>
<h2>若いフランス人女性と出会い系サイト</h2>
<p>2018年現在日本人が結婚する平均年齢は、男性が31歳、女性が29歳です。近年日本女性が仕事を優先するようになり、日本人女性の平均結婚年齢は上昇しました。</p>
<p>これについて日本の少子化がこんなに深刻化したのは日本人女性が働くようになったからだという根強い議論がありますが、フランスの例を見るとそうとも言えないことがわかります。</p>
<p>フランス人の平均結婚年齢は、男性が33歳、女性が31歳で、平均すると日本人よりも遅く結婚していることになります。それでもカップル毎に二人以上の子供を産んでいる計算になります。ちなみに日本では1.4人です。</p>
<p>なんとか長期的な関係を築くためのパートナーに出会いたいと切実に考える、30歳を過ぎた未婚のフランス人女性もたくさんいることでしょう。彼女たちが成功するためには、Kanaさん同様短期決戦で相当な覚悟を持って多くの人に出会う覚悟が必要です。</p>
<p>時には１日２人、３人の候補者と出会い、自分が納得いくまでとにかく新しい人に会い続けるそうです。そして50人100人もの人と出会って、最終的に自分の納得いく相手や「生涯を共にする男性」（l&#8217;homme de sa vie)を見つけたフランス人女性、在仏日本人女性もいます。</p>
<p>そういう意味で、ネットによる出会いというのは、ガッツさや行動力を要するため、フットワークが軽くてエネルギーに溢れる若い人向きの出会いの方法なのかもしれません。</p>
<p>そこには登録から、自己紹介、メールの交換、そして実際に出会って話をして相手との相性を見極め、最終的に一人のパートナーを決めていく、という一連のプロセスがあります。</p>
<h2>オンラインの出会いはこれまでの出会いと何が違うのか。</h2>
<p>従来の出会いのパターンと異なって、オンラインの出会いは本人の意識のみによって自由に始めることができる点が利点です。お見合いのように周りの人を煩わせることもなく、自分が動きさえすれば、ネット検索によって無限の可能性の中から自分のソウルメートに出会うことができる可能性があります。</p>
<p>ところが相手を吟味して、取捨選択していく過程を見ていくと、そこには従来のフランス人の恋愛観が投影されている、と結論づける分析もあります。</p>
<p>以下は<strong>フランス人男性</strong>、女性がどこで長期的カップルとしてのパートナーと出会うか、について実施されたアンケート結果です。<img class="size-medium wp-image-393 alignright" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/man-949058_1920-300x180.png" alt="" width="300" height="180" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/man-949058_1920-300x180.png 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/man-949058_1920-768x461.png 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/man-949058_1920-1024x614.png 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/man-949058_1920-728x437.png 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>フランス人男性がパートナーに出会う確率が最も高いのは大学などの高等教育機関で、全体の出会いの40パーセントを占めます。その次が友達の紹介で10パーセントです。</p>
<p>友達というのは社会階層が上がれば上がるほど同じ学校出身となりますから、大卒以上のフランス人男性の二人に一人が自分の出身校に関わる場でパートナーと巡り会うという計算になります。</p>
<p>ちなみに、フランス人は日本人と違って入学式や卒業式などの形式には全く拘りません。それにもかかわらず、日本人と同様卒業してから同窓会などの集まりを大切にする傾向があります。</p>
<p>出身校以外のフランス人の出会いの場としては、公共の場、バカンス先が10パーセント。そして今日ではネットの出会いも10パーセントを占めています。こうして見るとネットによる出会いも、通常の人的ネットワークを通じた出会いのなかった人にとっては、無視できない手段に思えます。</p>
<p>以上のことから、日本などという遠くの国に思いを馳せることができる、つまり教養のあるフランス人男性の出会いの場というのは、実際にはものすごく限られたものであると理解できます。</p>
<p>つまり、日本文化を理解し、日本人との関係を楽しむことができるようなフランス人男性の恋愛観とは、同程度の社会、文化環境の人をパートナーに選ぶ、というものです。</p>
<p>出会い系サイトというのは検索をかけて見も知らない人とのマッチングを可能にするという意味では、こうした教養あるフランス人男性の保守的な恋愛へのアプローチに揺さぶりをかけるものです。</p>
<p>確かにオンラインを通じて、私たちは自分の日常生活のなかにある人的ネットワークの資源の限界を超えて、多くの人に出会うことができます。サイトはこの点を売り文句にしています。</p>
<p>同時にそれは幻想でもあるのです。少なくともこのような新しい技術の出現によって、フランス人男性の恋愛観が大きく変化することはありませんでした。</p>
<p>オンラインを通じて出会った恋愛であっても、その後の振り分けのプロセスにおいては従来の恋愛観が色濃く影響を与えています。つまりフランス人男性はこれまでと同様に、パートナーの選定に当たって社会的同質性を求めます。</p>
<p>まず「自由記入欄」にその人の社会階層がもろに現れます。裕福で、学歴の高い利用者は自由空欄を利用して自己アピールすることに長けています。彼らは自分を魅力的に演出する術を持っているのです。</p>
<p>中産階級以下のフランス人の利用者だと、文章を書くということにまず慣れていません。どうやって自己アピールするか、ということも知りません。そのため文章は自ずと短くなります。</p>
<p>これが写真となると傾向が逆転します。労働者階級では写真はマストです。彼らは相手に写真がなかったら見ない、とすら考えるほど写真を重視しています。</p>
<p>ところが社会階層が上がるにつれて、写真をもろに載せる頻度が少なくなっていきます。ペタペタと写真を貼るという態度はフランスの上層階級の人から見ると「虚栄心の現れ」に映ります。そして彼らは興ざめしてしまうそうです。</p>
<p>実際学歴で見て、中卒、高卒、大卒、大学院卒、と学歴が上がるに連れて、写真を載せる頻度が低くなっていきます。 (60パーセントから45パーセントへ) 一方自己紹介の割合は30パーセントから50パーセントへと上昇していきます。</p>
<p>一方、教育程度の高い、つまり収入も高く、社会的地位も高いフランス人男性は、自己紹介の中のフランス語のスペルの間違いにとりわけ厳しいそうです。彼らは教養を重んじ「良い趣味」を持ったパートナーを求めています。<img class="size-medium wp-image-390 alignleft" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/arthur-rackham-1706258_1920-238x300.jpg" alt="" width="238" height="300" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/arthur-rackham-1706258_1920-238x300.jpg 238w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/arthur-rackham-1706258_1920-768x969.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/arthur-rackham-1706258_1920-812x1024.jpg 812w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/arthur-rackham-1706258_1920-728x918.jpg 728w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/arthur-rackham-1706258_1920.jpg 1522w" sizes="(max-width: 238px) 100vw, 238px" /></p>
<p>さらに実際に出会った時、フランス人男性は、自分と同じ社会環境に身を置くパートナーか否かについてさらに厳しく絞っていこうとするでしょう。</p>
<p>関係が進むにつれて、二人は様々な会話をして、時間をある程度かけて、話があう人を選抜していきますが、最終的には社会的に極めて同質なパートナーにたどり着きます。</p>
<p>大手出会い系サイトのEメールを分析すると、カップルになる二人の文化、教育程度は上も下もほぼ同等だった、という結果があるほどです。</p>
<p>フランス人男性、女性はこれまでの恋愛観を保持し、相互の社会階層の類似性、お互いが発する社会的、文化的暗号、儀式、マナーを読み取ることによってのみ、自分にとって最善のパートナーを選んでいくのです。</p>
<p>ある意味、オンラインの出会いという新しい手段によってこそ、従来のフランス人男性の恋愛観が浮き彫りになるとも言えます。そしてメールといえどもフランス人男性、女性は直感、フィーリングを働かせて相手の匂いを嗅ぎ分けようとします。</p>
<p>無味乾燥なコンピューターがマッチングによって自動的に最適の相手を見つけ出すのではないのです。フランス人はAIに振り回されることなく、うまく使いこなしているとも言えます。</p>
<p>以上のことから、フランス人男性の恋愛観に配慮しつつ、日本人女性がフランスの出会い系サイトに登録する際、以下の二つのことが大変重要です。１）ユーモアや個性が溢れた文字による自己PR　２）たくさん写真を掲載するのは興ざめとしても、やはりさりげなく自分の写真を載せた方が好ましいでしょう。</p>
<p>何よりも自分の個性を重視しましょう。そうすることによって、潜在的な相手に対して社会的同質性をアピールしていることになるからです。</p>
<h2>最後に</h2>
<p>フランス人男性、女性がパートナーを選択する際、社会的同質性が重要だと書きました。</p>
<p>それに対してフランス人男性との交際を望む日本人女性は「なーんだ、私は日本人だし、日本で教育を受けて日本の文化を身につけているのだから、社会的同質性なんてあり得ない」と感じた人もいるかもしれません。</p>
<p>ここでいう社会的同質性というのは、フランス文化、日本文化を超えた、普遍的な教育水準という意味です。日本で大学を卒業すれば、フランスの大学卒の人と同等の社会的同質性となります。</p>
<p>日本で料理について勉強したのなら、必ずしも料理ではなくとも同等な教育を受けたフランス人と社会的同質性があると言えます。フランスは元来日本以上に学歴社会で、学歴が恋愛や結婚に強く影響を与えます。</p>
<p>学歴が恋愛観に含まれるというのは日本的に考えると変な感じがします。現実主義なフランス人は学歴によって、相手の収入などを含めたライフスタイルを厳しく峻別しようとしているのです。</p>
<p>フランス語が理解できれば、格段に相手とのコミュニケーションは高まるでしょう。でもフランス語が話せなくても、英語が話せればそれを共通言語にすればいいし、相手が日本語を話せるなら、日本語で会話をすればいいだけです。</p>
<p>お互いに全く共通言語がないのに、夫婦として成り立っている国際カップルも存在します。</p>
<p>私が出会った、パリに住む日仏カップルで、日本人の奥さんがアメリカの超一流の音楽大学院を出たプロの音楽家というカップルがありました。</p>
<p>彼女はアメリカ滞在の後、フランスのオーケストラに就職しました。そこで彼女以上に音楽家としての実力があるフランス人男性と出会い、結婚しました。</p>
<p>この日本人女性はそれまで全くフランス語を勉強したことがありませんでした。フランスに住むようになってからも、音楽を奏でることが仕事ですから、フランス語を話す必要はありませんでした。二人ともプロの音楽家だったので、二人の間で相通じるところがあったのでしょう。それでこの日本人女性はフランス人男性と結婚したのちもフランス語が上達しませんでした。</p>
<p>音楽家としては超エリートのこの日本人女性は、しかしフランス語が話せないため、日常生活においては、夫に対しても周囲に対しても何かを説明したり、話をしたり、アピールしたりということができない状況でした。</p>
<p>フランス人男性は一般に一緒に会話を楽しめて、自立して自己主張もできる女性をパートナーとして求める、と言われます。</p>
<p>しかしこのフランス人男性は、妻が友達たちとの集いでおしゃべりに参加できない、そもそも夫婦の会話すら成り立たちづらいことについて気にしていないようでした。</p>
<p>ただそんな<strong>フランス人男性</strong>でも、経済的、文化的な同質性では妻と一致していたことになります。そして彼女の日本人女性としての嗜み、資質、ライフスタイルなども彼の恋愛観とマッチしていたのです。</p>
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		<title>フランス人男性は一途か、浮気者か？（１）</title>
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		<pubDate>Mon, 27 Aug 2018 08:42:21 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[francechapeau]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[フランス人男性]]></category>
		<category><![CDATA[一途]]></category>
		<category><![CDATA[浮気]]></category>

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		<description><![CDATA[今日フランスには多様なパートナーシップの形があります。法的結婚に加えて, 同棲(cohabitation)や別...]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>今日フランスには多様なパートナーシップの形があります。法的結婚に加えて, 同棲(cohabitation)や別居を含む事実婚（union libre), 法的結婚と事実婚の中間的な存在のパックス(Pacs)です。</p>
<p>それに加えて, フランス人男性のパートナーは同性,異性どちらもあり得ます。フランスは日本と異なり,同性婚も認めています。</p>
<p>ここでは<strong>フランス人男性</strong>がパートナーに対して一途か,それとも浮気者かについて考えていきます。</p>
<p>様々な形のカップルがあるという前提のもとに, 自分自身でカップルだと考えているカップルについて取り上げることとします。したがって,カップルが法的に結婚しているか,また同じ住居に住んでいるかについては問わないこととします。</p>
<p>また浮気の意味合いも日仏では異なります。一般にフランスでは一夜限りの短い関係を浮気とは言いません。ここでは相手が結婚しているパートナー以外の相手との関係で,ある程度の期間が続く関係を浮気と呼ぶこととします。</p>
<h2>日本人の忖度とフランス人のプライバシー</h2>
<p>フランスでは日本と違って,自分のプライバシーに他人が入ってこないように明確な線引きをする傾向があります。</p>
<p><img class="alignleft wp-image-307 size-medium" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/secret-3037639_1920-300x189.jpg" alt="" width="300" height="189" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/secret-3037639_1920-300x189.jpg 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/secret-3037639_1920-768x484.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/secret-3037639_1920-1024x646.jpg 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/secret-3037639_1920-728x459.jpg 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" />フランス人の間では,親子,友人,夫婦であろうと,自分のプライバシーについて全面的に立ち入らせない文化があります。</p>
<p>そのため善意から他人に配慮する日本人の行為が拒絶されることもあり,そのような時,日本人はフランス人を少し冷たく感じるかもしれません。</p>
<p>例えば,相手のことを思って,でも相手の希望を聞かずにお茶を入れたとします。しかしその時お茶を飲みたくなかったら, フランス人はドライに「いらない」と言ってあなたが用意したお茶を受け取らないかもしれません。</p>
<p>またコーヒーがいいと言うかもしれません。</p>
<p>このようなシチュエーションに遭遇すると私はフランス人って個人主義だなあと思います。</p>
<p>相手のことを考えるということは思いやりを示すと言うことですから,それは推奨されるべき事です。でも日本人が先回りして相手のことを考えて行動することがフランス人にとってはお節介と映ることがあります。</p>
<p>同時に日本には「忖度する」と言う言葉があります。これも人のことを考えるという意味ですが,最近政治問題化しました。</p>
<p>ある役人が立場の政治家の立場について考え, 忖度して動いてしまった結果, 書類を改ざんしてしまったと説明しました。</p>
<p>この例は極端かもしれませんが,日本式の「相手のことを考える」態度に良からぬ面があることを示しています。</p>
<p>「人のことを考える」という日本人の国民性は一般の日本人が浮気をする人に対して取る態度にも現れます。</p>
<p>最近の日本社会は浮気をしている人に対して一斉に非難する傾向があります。それは日本人が他人のことを自分の延長線のように考えるという習慣があるため,つい相手の行動を自分の物差しで判断するからではないでしょうか。</p>
<p>上に書いたとおり,フランス人は一般的に根掘り葉掘り他人のプライバシーについて聞いてきません。本心ではどうかわかりませんが個人主義という建前の文化がある以上,表面的には無関心を装います。</p>
<p>そのため浮気についても,それが直接自分に関係する問題ではない限りその人の問題として突き放すことでしょう。「それはあなたのプライバシーですからご自由にどうぞ」というような感じで見守ることが多い気がします。</p>
<p>このような個人のプライバシー尊重の視点から,長いことフランスのメディアは政治家の恋愛スキャンダルにも沈黙を保ってきました。フランス人は政治家としての手腕と彼の恋愛を全く別物として考える傾向があります。</p>
<p>ミッテラン大統領が自ら隠し子,愛人が存在し,二つの家庭を持っていたことを告白した時にこのメディアの伝統は破られました。しかしながらこの時ミッテラン大統領が世論から厳しく糾弾されることはありませんでした。</p>
<p>浮気が個人のプライバシーに属する以上フランス人男性の浮気の正確な現状について知ることは難を究めます。</p>
<p>ここではフランス人の歴史の中で浮気とはどういうものだったのか,そして現代のフランス人男性の浮気の傾向について大まかに調べて見ました。</p>
<h2>中世ヨーロッパでは恋愛は結婚の外にあった</h2>
<p>そもそも恋愛は中世ヨーロッパで始まりましたが, もともと結婚の外にあるものでした。</p>
<p>恋愛は中世ヨーロッパの貴族階級の間で誕生しました。</p>
<p>中世ヨーロッパの貴族階級にとって結婚は家と家をつなぐ政治的な行為だったため政略結婚が当たり前でした。従って夫婦の間に暖かい感情が存在することはごく稀なことでした。</p>
<p>このような貴族階級の夫婦のあり方の傍,貴族階級の男性に使える騎士たちが自分たちのマスターの妻に対してキリスト教的な精神的愛,一方的にひたすら尽くす愛を捧げる習慣が生まれました。それは騎士道と呼ばれますが, この騎士道こそヨーロッパの歴史の中で「恋愛」の始まりとみなされています。<img class="alignleft wp-image-319 size-medium" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/Leighton-God_Speed-218x300.jpg" alt="" width="218" height="300" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/Leighton-God_Speed-218x300.jpg 218w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/Leighton-God_Speed-768x1058.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/Leighton-God_Speed-743x1024.jpg 743w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/Leighton-God_Speed-728x1003.jpg 728w" sizes="(max-width: 218px) 100vw, 218px" /></p>
<p>騎士と人妻との間で始まった精神的な愛を恋愛と呼ぶなら,恋愛とは決して成就することのない愛を意味します。</p>
<p>騎士道精神以来の精神的な恋愛の伝統と肉体関係を前提とする<strong>浮気</strong>との間には,結婚できない間柄だからこそ情熱が燃えあがるという共通点があります。</p>
<p>ルネッサンスや宗教改革が起こった近世以降ヨーロッパ各地で次第に恋愛と結婚が結びつけられるようになりました。</p>
<p>例えば16世紀のオランダの画家フェルメールはアムステルダムに住むブルジョワ階級の若い女性たちがラブレターを認めている絵を残しています。</p>
<p>フランスでもフランス革命前後から20世紀にかけて庶民階級では次第に恋愛結婚が一般化しました。そして20世紀後半になると恋愛結婚は富裕層,上流階級でも当たり前のものとなっていきました。</p>
<h2>フランス人男性と５月革命</h2>
<p>1968年の５月革命は別名「性の革命」とよばれます。この革命によってフランス人はより幸福な人生を生きるために性の重要性を強く認識するようになりました。</p>
<p>その結果５月革命は結婚に根本的な変化をもたらしました。５月革命はパリの郊外の大学で学生が性の自由を求めて立ち上がったことが直接的なきっかけとなり, その後社会全体を巻き込んでいきました。<img class="alignleft wp-image-309 size-medium" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/love-606686_1280-300x150.png" alt="" width="300" height="150" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/love-606686_1280-300x150.png 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/love-606686_1280-768x384.png 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/love-606686_1280-1024x512.png 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/love-606686_1280-728x364.png 728w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/love-606686_1280.png 1280w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>それまでのフランス社会では,中産,上流階級では婚約した女性は結婚するまで処女であることが好ましいとされてきました。それが５月革命以後大学教育の恩恵を受けるこれらの階級の若者が率先して結婚前の同棲を始めたのです。</p>
<p>それ以来フランスでは結婚する前に同棲することが当たり前になりました。</p>
<h2>フランス人と結婚</h2>
<p>その後事実婚（同棲,別居）,パックス,同性婚などのパートナーシップの形態が誕生し,性のあり方も多様化しました。しかしこれらの新たな動きによって, フランスでフリーセックスが一般化したり結婚制度が脅かされたり, ということにはなりませんでした。</p>
<p>最近実施された「幸福とは何か」に関するアンケート結果によれば,全体の54パーセントのフランス人男性が幸福とは家族,子供との関係が良好なことと答えています。二番目は恋愛関係で24パーセント,仕事で成功することを幸福と捉えるフランス人は８パーセントに過ぎません。</p>
<p>このように男女を問わずフランス人にとって幸福の原点は以前も今も家族なのです。この辺が仕事を優先しがちな日本人と価値観が異なる点です。</p>
<p>一般的に言って多くのフランス人男性にとって同棲とは一過性の遊びではありません。それは結婚する前に一緒に共同生活が送れるかについて問う, いわばお試し期間です。</p>
<p>同棲すると決めた時三分の一のカップルがすでに結婚を決めているそうです。後の三分の一は暮らしてみた結果によって結婚を決めようと考えています。</p>
<p>このことから同棲を婚約の一形態と捉えることもできます。</p>
<p>また若いフランス人男性の学生にとっては,同棲とは結婚に向けて親から独立するための準備期間でもあります。これは100年前のフランスとの大きな違いです。ヴィクトル・ユーゴーが書いた小説で映画化もされた『レ・ミゼラブル』を思い起こしてみてください。</p>
<p>孤児の少女コゼットの母親, フォンテーヌは女工で,地方からパリに出てきて,ソルボンヌ大学に通っていた地方の名望家の息子と同棲して子供を身ごもってしまいました。恋人は学業を終えた後自分と同じ階級に属する良家のお嬢様と結婚すべく,女工の恋人を捨てます。その結果フォンテーヌはシングルマザーになりました。</p>
<p>教育,仕事における男女平等が達成された今日,異なる階級間の恋愛関係は珍しいものとなりました。今日学生のフランス人男性は同じ学生の女性と付き合って結婚する確率が最も高いと言われています。彼らは家庭環境も似通っており共通の話題もあります。</p>
<p>今日フランス人女性の多くはピルを飲んでバースコントロールをするため,アクシデントで子供を身ごもってしまうケースも少なくなりました。また伝統的にカトリック教の影響が強いフランスでは堕胎はタブー視される傾向にあります。</p>
<h2>フランス人男性が結婚相手に望むこと</h2>
<p>日本人はフランス人がロマンチックで恋愛体質を持った国民だと思いがちです。</p>
<p>ところが当のフランス人たちは大恋愛による結婚など現実的ではないと意識しているようです。フランス人全体の三分の一が良い結婚とは必ずしも恋愛によるものではないと答えています。</p>
<p>フランス人がこのように結婚に対してシニカルな見方をするのは昨今離婚率が増えたからでしょう。</p>
<p>そうは言っても,今日若いフランス人女性は大きな期待を持って結婚にのぞみます。しかし時とともにこの幻想は消えていきます。そして30歳から50歳のフランス人女性の半数が,夫が面白味に欠け,性生活にも満足していないと答えています。</p>
<p>では等身大の独身のフランス人男性が結婚したいと思う理想の妻とはどんな女性なのでしょうか。</p>
<p>大手出会い系サイトが行なった『フランス人の男性が理想とする妻』に関するアンケート調査によれば（雑誌コスモポリタン,出会い系サイトVoyonsnous.fr）,　現代の独身のフランス人男性は理想の妻として次の３つの条件を挙げているそうです。</p>
<p>１）整理整頓ができる女性。感情的に細やかな女性ではなく,実務面に優れた女性であること。</p>
<p>２）ぐんぐんと相手を引っ張っていけるような女性。リーダー的な性格で周りの人にインパクトを与える女性。こういう女性は自分の期待を裏切られることを恐れるため,相手の出方を待つことなく自分自身で全てを決定してしまうタイプだと解説されています。ややせっかちな女性です。</p>
<p>３）乳母的な女性。（日本で言えば保母さんのような女性ということでしょうか。）自分の幸せは横に置いておいても,周りの人の幸せを第一に考えられ女性であること。暖かく人間としての器も大きい女性で,家庭の中で采配をふるえる女性であること。</p>
<p>このアンケートを掲載した『コスモポリタン』にはこのアンケート結果を掲載した後で,どうしたらフランス人女性が未婚のフランス人男性の３つの要求に答えうるかについて,懇切丁寧にアドバイスまで掲載してありました。</p>
<p>どうも現実のフランス人男性はおとぎ話に出てくるような白馬に乗ってやってくる王子様ではないようです。</p>
<p><img class="alignleft wp-image-311 size-medium" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/mother-hen-374128_1920-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/mother-hen-374128_1920-300x200.jpg 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/mother-hen-374128_1920-768x512.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/mother-hen-374128_1920-1024x683.jpg 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/mother-hen-374128_1920-728x485.jpg 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" />これらの３つの条件から,フランス人男性が結婚に何を期待しているのかが垣間見れます。</p>
<p>それは家事や子育てを全面的にやってくれる女性。夫であるフランス人男性すら子供のように扱ってくれる心の広い女性です。</p>
<p>感情表現が豊かで,レディーファーストで,女性をリードしてくれるタイプとは正反対の,精神的にも物理的にも妻に依存しがちで,家庭内においては子供のような存在でいたいと願うフランス人男性の本音が浮かび上がってきます。</p>
<p>このアンケート結果によれば,フランス人男性は理想の妻に対して恋人よりも母親役を期待していると言えるかもしれません。そのような結婚においては必然的にロマンス,恋愛の要素は少なくなっていきます。</p>
<p>そして一部のフランス人男性や女性は,彼らの結婚に欠ける恋愛,情熱の部分を浮気で補うことになるのです。</p>
<h2>フランス人男性と浮気</h2>
<p>これまでフランスでも日本と同様に,男性の浮気は許容され,女性の浮気は厳しく見なされる社会的傾向がありました。ところが近年男女平等が進展したフランスでは,浮気においても男女平等が達成されつつあります。</p>
<p>個人の充足を第一と考えるフランス人の生き方からすれば,浮気もありです。夫と父親,もしくは妻と母親という社会的責任ばかりに専心するのではなく,男は男,女は女なのです。<img class="size-medium wp-image-370 alignleft" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/checkmate-1511866_1920-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/checkmate-1511866_1920-300x200.jpg 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/checkmate-1511866_1920-768x512.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/checkmate-1511866_1920-1024x683.jpg 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/checkmate-1511866_1920-728x485.jpg 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>フランス人男性は全てをパートナーに求めることは不可能,と現実的に考えています。その結果37パーセントの既婚のフランス人男性が,妻を愛しながらも同時に別の恋愛も楽しんでもよい,と考えています。</p>
<p>ではフランス人の既婚の男性,女性はどこで浮気の相手を見つけるのでしょうか。</p>
<p>フランス人にとってはあらゆる場が「出会いの場」となり得ます。不倫の出会いも,職場,学校,バカンス先,クラブなど様々です。商談などをしている最中に,よく見るとフランス人男性が女性を口説いているなんてシチュエーションも見かけます。</p>
<p>積極的なのはフランス人男性ばかりではありません。以前パリの公共バスのバックに既婚女性専用の「出会い系サイト」の広告を見つけたことがあります。家と仕事場の往復になりがちな,忙しい既婚女性の心の隙を狙った広告戦略です。</p>
<p>私たちが想像する以上に, フランス社会では浮気が当たり前のものなのかもしれません。</p>
<p>実際最も浮気をしやすいタイプというのは,パリのような都会に住んでいて,社会階層が高く,年齢的には35から49歳ぐらいフランス人男性です。</p>
<p>個人のパワーが強まるに連れて浮気の頻度が高まるという統計結果もあります。それによれば,上級管理職の浮気率は40パーセントで,その他の社会カテゴリーを上回ってトップでした。</p>
<p>ちなみに既婚のフランス人男性が浮気をするのは,積極的に新しい出会いやパートナーを求めてるからではありません。彼らは働き盛りの年代で, 圧力,ストレス,責任などが詰まった日常生活の中で一息つける時間を求めています。</p>
<p>一方エネルギッシュな若いフランス人男性は,自分の男性としての魅力を試すために浮気をすることもあります。彼らは「自分大好き世代」の真っ只中で,浮気を通じて自己満足感を得ようとします。</p>
<p>このようにフランスでは,それほど強い罪悪感を持たずに自分の都合で浮気を楽しむことができる文化的土壌があります。68パーセントのフランス人の男女は,浮気がカップルを長く続けていくための秘訣とすら考えています。</p>
<h2>フランスにおける離婚と浮気の関係</h2>
<p>ところが新聞『リベラシオン』によれば,最近フランス人男性の浮気は減少傾向にあるということです。</p>
<p>1992年に行われたあるアンケートによれば,浮気をするフランス人男性は全体の６パーセント,フランス人女性は３パーセント、と思いの外低い数字でした。<img class="alignleft wp-image-313 size-medium" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/family-3090056_1920-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/family-3090056_1920-300x200.jpg 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/family-3090056_1920-768x512.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/family-3090056_1920-1024x683.jpg 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/family-3090056_1920-728x485.jpg 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>浮気の数が少なくなったというのは,社会が浮気を容認しなくなったことを意味します。1980年には容認されていた浮気が2010年にはそうではなくなったのです。フランス人男性が浮気をやめてモノガミーに戻った理由は,離婚率が上昇したからです。</p>
<p>フランスでは性の革命の結果,過去５０年の間に離婚率が大きく上昇しました。</p>
<p>また離婚にまつわる法改正も離婚上昇に一躍買いました。フランスは伝統的にはカトリック教の国で,1975年まで協議離婚は禁止されていました。それ以降も離婚するには裁判が必要でした。ところが2007年以来双方が合意している場合,公正証書を作って裁判所に行けば離婚できるようになりました。</p>
<p>しかし離婚に関する過去の法的煩わしさが人々の記憶に残っているため,特に収入の高いフランス人男性は結婚をためらい,事実婚を選択するケースもあります。</p>
<p>現在フランス人の離婚率は45パーセント前後です。今日フランス人男性と結婚する際,ほぼ50パーセントの確率で離婚に終わるということを覚悟しなければなりません。</p>
<p>そもそもフランス社会とは,社会的紐帯を感じにくいお国柄です。フランス革命によって10年に及ぶ市民戦争が勃発し,国民は政治的考えによって真っ二つに分断されました。</p>
<p>その後のフランスの歴史はこの社会的分断をいかに超越するかというテーマに貫かれていたといっても過言ではありません。</p>
<p>絶え間ない政治不安が社会的不安定を生むお国柄で,社会の安定を支えてきたのが家父長制,良妻賢母に支えられた家族制度でした。ところが5月革命以来,家族は社会秩序を維持するための社会的制度ではなくなり,愛情の場となりました。</p>
<p>人とのつながりがもともと脆弱な社会において努力してやっとパートナーを見つけた後に浮気をしてしまったら,その関係は「砂上の城」のようにご破算になる確率が高まります。多くのフランス人女性が経済的に自立しているので、離婚のリスクはさらに高くなります。そのためにフランス人男性も浮気に対して慎重にならざるをえません。</p>
<h2>終わりに</h2>
<p>フランスは元来キリスト教のお国柄です。性的な関係を含めて,伝統的に一夫一妻制への社会的圧力が日本よりもずっと強い社会でした。宗教的な面から見れば浮気とは許されざる行為だったのです。</p>
<p>宗教の影響が弱まり世俗化が進行した現代,フランス人男性の生きる支えは愛の伝統に支えられたパートナーシップであり続けています。フランスの文化に根づくこの愛の伝統は現代では結婚とイコールとなったのです。</p>
<p>フランス人男性は<strong>一途</strong>か,浮気者か。この問題に対する答えは,フランス人男性の個々の性格というよりも彼が納得いく愛を見つけたか否かにかかっていると言えます。</p>
<p>資料</p>
<p>The journal of sex research no.806</p>
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		<title>彫刻家ロダンは日本人女性を『芸術の素材』として愛した</title>
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		<pubDate>Mon, 27 Aug 2018 05:54:51 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[francechapeau]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[フランス人男性]]></category>
		<category><![CDATA[ロダン]]></category>
		<category><![CDATA[日本人女性]]></category>

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		<description><![CDATA[日本が開国した明治時代、日本人女性とフランス人を含む欧米の男性の間には人種、ジェンダー、そして不平等条約の壁が...]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>日本が開国した明治時代、日本人女性とフランス人を含む欧米の男性の間には人種、ジェンダー、そして不平等条約の壁がありました。</p>
<p>これらの不平等感に加え、日本人女性とフランス人男性の間には、意思疎通を図ろうとしても、お互いの言葉や文化がわからない、という根本的障害がありました。</p>
<p>明治時代に欧米語の翻訳として、初めて「愛」という言葉が日本語に登場しました。当初は概念だけが一人歩きする形で、欧米の文明の全体像が見えず、実際の交流の歴史もない中で、今日私たちがイメージするような国境を超えた恋愛など考えられない状況でした。</p>
<p>そのような状況の中で、日本人女性と<strong>フランス人男性</strong>の関係は、明治時代において、芸術を通じて始まりました。</p>
<p>その一人が、太田ひさという日本人女性です。ひさは日本に生きていた頃は、特に注目を浴びることはありませんでした。そして 34歳の時渡欧の決意をします。</p>
<p>日本では無名の芸人だったひさは、ヨーロッパやアメリカでは「花子」という名の女優として名声を勝ち取ります。</p>
<p>そしてフランスを代表する彫刻家、ロダンの彫刻のモデルにもなったので、今日でも私たちは彼女の姿を芸術作品として鑑賞することができます。</p>
<p>ロダンは花子の作品を６０点ほど残し、花子はそのうちの２作を日本に持ち帰りました。現在世界各地の美術館に展示されています。</p>
<p>花子の一生については、比較的よく知られています。</p>
<p>ここでは何よりも芸術家同士として触れ合った花子とロダンの関係について、日本人女性とフランス人男性という視点から見直していきます。</p>
<h2>太田ひさの生い立ち</h2>
<p>ひさは江戸末期 (1840年)に生まれ、明治から第二次世界大戦が終結する年1945年までなんと105年にも及ぶ激動の日本を生き抜いた強靭な女性です。</p>
<p>ひさは幼少から34歳で渡欧するまで、明治の多くの女性と同様に、苦労の連続の人生を強いられました。</p>
<p>ひさの生い立ちは幸福とはほど遠いものでした。しかし当時芸事が大変に盛んだった名古屋で育ったため、彼女はのちに欧州で女優として活躍するための土台を築くことができました。</p>
<p>２歳の時親元を離れ、４歳で商家に養子に出されました。その後突如この商家が破産してしまい、ひさの生活は貧しくなりました。</p>
<p><img class="alignleft wp-image-263 size-medium" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/芸者-217x300.png" alt="" width="217" height="300" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/芸者-217x300.png 217w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/芸者-768x1062.png 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/芸者-741x1024.png 741w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/芸者-728x1006.png 728w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/芸者.png 926w" sizes="(max-width: 217px) 100vw, 217px" />ひさは９歳で旅芸人の仲間入りをしました。文字が読めないのにセリフを覚え、舞台に立ちました。来る日も来る日も岐阜の山をわらじで登って降りての旅の連続でした。</p>
<p>その結果ひさは幼少期に強靭な体力と演技力を身につけました。</p>
<p>後にロダンを驚嘆させるような脂肪の一切ない、筋肉質の体と迫真に迫る演技力を、この時代の地獄のような旅と演技の毎日の産物だったのです。</p>
<p>ひさは辛い旅芸人としての生活を嫌がったため、12歳で舞妓として売られ、さらに芸を磨いていきました。</p>
<p>そして16歳の時に芸者として独り立ちしました。その後二度結婚しましたが、どちらともうまくいかず離婚しました。</p>
<h2>ひさ、渡欧を決意する</h2>
<p>二度目の離婚の後、 34歳で子供もおらず、身軽な一人身のひさは、デンマークのコペンハーゲンの動物園の見世物興行の踊り子として採用され、自ら渡欧を決断します。</p>
<p>日本人女性が海外へ出ていくのはどのような時か。それは自分の人生にこれ以上にない変化をもたらしたいときです。それまでの人生に何も楽しいことがなかったとき、このような決断をするのはさらに容易いことだったでしょう。</p>
<p>実家から養子に預けられ、その養子先から旅芸人に預けられ、二つの結婚をしましたが子供も生まれませんでした。その結果34歳のひさには恩義を感じるような人のしがらみもありませんでした。</p>
<p>この渡欧の決断には、これまでの、不幸の連続だった人生が背中を押した、と言えましょう。ひさは未知の世界へ飛び込んで行くことが怖くなかったのです。</p>
<h2>ひさ、女優「花子」になる。</h2>
<p>デンマークでの仕事が一段落した後、ほかの人々が帰国する中、ひさは女優としてヨーロッパに居残る決心をしました。</p>
<p><img class="alignleft wp-image-261 size-medium" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/北斎-300x207.jpg" alt="" width="300" height="207" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/北斎-300x207.jpg 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/北斎-768x530.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/北斎-1024x706.jpg 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/北斎-728x502.jpg 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" />当時のヨーロッパでは美術、工芸品などの日本ブームで湧いており、それがジャポニズムという本格的な芸術運動を巻き起こしていました。</p>
<p>日本ブームは演劇の世界でも同じことでした。そこで、ひさはまず日本人の劇団に端役として加わりました。</p>
<p>その後ヨーロッパにおける日本演劇ブームの火付け役となったイギリスの目利きプロデューサー、フラー女史に認めら、ひさの女優人生は大きく好転していきます。</p>
<p>多くのアジア系俳優を見てきたフラー女史にとって、ひさが特別な存在であることは一眼見てすぐわかったと言います。後にフラー女史は、ひさには「綺麗な、上品な、優雅な、奇妙な個性があった」と書いています。</p>
<p>フラー女史は当時端役のひさを引き抜き、ひさを「花子」と命名し、花子一座を立ち上げ、その看板女優へと仕立て上げました。</p>
<p>ひさの抜擢について、周囲の日本人は理解できませんでした。彼らにとってひさは「子守」か「女中」のようにしか見えなかったと言います。</p>
<p>ひさの渡欧後の人生には、このようにシンデレラ・ストーリーのような側面がありました。</p>
<h2>19世紀末のヨーロッパとハラキリ</h2>
<p>フラー女史は、西欧人のツボにハマるように、ひさが演じていた二流の日本演劇の脚本に手を加えました。</p>
<p>そこで決定的だったのが、フラー女史自ら、ひさが演じていた「芸者の敵討ち」という劇の最後のシーンに、花子のハラキリの場面を書き加えたことでした。</p>
<p>当時の欧米人にとっては、日本人と聞くとハラキリが思い浮かぶほど、両者は切っても切れない関係でした。中産階級以上で新聞を読む習慣のあった欧米人は、日本で開国当初フランス当局との間にハラキリを介した諍いが勃発していたことを知っていたでしょう。</p>
<p>そのような日本人と西欧人の諍いは数件あったようですが、とりわけ有名になったのは、開国直前の江戸末期、1868年３月８日に堺港で勃発した『堺事件』でした。</p>
<p><img class="alignleft wp-image-268 size-medium" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/osaka-castle-1398125_1920-300x168.jpg" alt="" width="300" height="168" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/osaka-castle-1398125_1920-300x168.jpg 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/osaka-castle-1398125_1920-768x431.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/osaka-castle-1398125_1920-1024x574.jpg 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/osaka-castle-1398125_1920-728x408.jpg 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" />フランス海軍の軍艦が堺港へやってきて、数十名のフランス人水平が大阪に上陸しました。当時堺港はフランスとの条約により、例外的に外国人に開港されていた数少ない港の一つでした。</p>
<p>しかしそのことを知らなかった土佐藩兵はフランス人水兵を取り締まろうとしました。</p>
<p>しかし言葉が通じなかったこともあり、フランス人水兵側はそれに従がおうとはせず、土佐藩の隊旗を奪った挙句逃亡しようとしました。その結果土佐藩兵はついにはフランス水兵に発砲し、フランス水兵11名が亡くなりました。</p>
<p>当時大阪に駐留していたフランス公使は、この事件について激怒し、江戸幕府、土佐大名に対して、殺害を犯した土佐藩兵の処刑と賠償金を請求しました。その結果事件に関わった土佐藩兵のうち20人が切腹にて自害することが決定されました。<img class="alignright wp-image-322 size-medium" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/SakaiJiken-300x202.jpg" alt="" width="300" height="202" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/SakaiJiken-300x202.jpg 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/SakaiJiken-768x518.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/SakaiJiken-1024x690.jpg 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/SakaiJiken-728x491.jpg 728w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/SakaiJiken.jpg 1438w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>フランス公使自身はハラキリに立ち会うことを拒否しましたが、部下である指揮官に見届けるよう指示しました。</p>
<p>フランスでは革命以来ギロチンで人の首を切ったり、二人の男性が決闘をしてどちらかが命を失う、ということはありました。</p>
<p>しかしフランスでは自死を眺める、ということは文化的には受け入れられない行為でした。まず自死はキリスト教では禁止されていました。</p>
<p>その意味でハラキリ以上に日本文化が西欧文明とは異なることを象徴した事柄はなかったでしょう。</p>
<p>11名の侍がハラキリを断行した後、フランスの指揮官は12人目の侍がハラキリをすることを辞めさせました。彼自身強い衝撃を受けたことでしょう。</p>
<p>ちなみにフランスの指揮官は「ハラキリがみせしめとなるどころか、殺人者だった侍はハラキリによって英雄となった」と記録したそうです。</p>
<p>『堺事件』については、新聞などを通じて、ヨーロッパでも広く知られていました。そんなこともあり、ヨーロッパの人々は日本人に特有なハラキリについて興味津々だったのに違いありません。</p>
<p>フラー女史はこのことに目をつけ、普通ハラキリは武士がするものですが、あえて<strong>日本人女性</strong>の花子にハラキリのシーンを演じさせました。フラー女史自身が演技指導も行ったと言います。</p>
<p>花子は当初女性としてハラキリのシーンを演じることを嫌がったと言いますが、フラー女子の期待に応え、見事に演じ切りました。</p>
<p>花子の演技を通じて、西欧人は自身の認識世界に合わせた形で、噂に聞いたハラキリを疑似体験することができました。怨念と悲哀の激しい情念のこもった花子の演技は迫真に迫るものがありました。</p>
<p>それは単に欧米人が、あたかも古代ローマのグラジエーターの再現であるかのように、日本人の野蛮性を面白がったということではありません。</p>
<p>野蛮性を楽しんだ、という側面は否定し得ないかもしれませんが、欧米の人々は、花子の白熱のハラキリの演技を通じて、日本の武士道の一端を感じ取ることができました。</p>
<p>幕末の日本人は欧米の文明に圧倒されながらも日本人としての強烈なプライドを持っていました。コンプレックスもあったのですが、同時に当時の日本人にはそれをはねのけるほどの、強い自己アイデンティティーも持ち合わせていたのです。</p>
<p>ひさはその武士道の精神を言葉を介さず演技のみでヨーロッパ人に理解させることができる、数少ない日本女優でした。</p>
<p>フラー女史の周到な演出によって準備された花子のハラキリは、フラー女史のもくろみ通り欧米諸国で大きな反響を巻き起こしました。</p>
<p>フラー女史は次のように書いています。</p>
<p>「怖くなった子供のような動作やため息や木津ついた鳥のような鳴き声で身体を丸めて、重い縫取りされた着物の中に細い姿を消した。顔は化石になったように不動であったが、目では激しい正気を表した。しまいに眼を見開いて彼女に迫り来る死を眺めた。身震いさせるほどであった。」115</p>
<p>別のヨーロッパ人は次のように書いています。</p>
<p>「舞台の前に座って、早口に喋りながら、花子が化粧している。すると嫉妬に狂った彼女の愛人が後ろから忍び寄って、スカーフで首を絞める・・・・この短い芝居の内容を理解し楽しむために、私は日本語なんか一言も知る必要はないのだと。」（ドナルドキーン著作集　349頁）</p>
<p>その後フラー女史は「芸者の敵討ち」に加え、「受難者」「吉原における悲劇」などの武士社会の悲劇を描いて、欧米における花子ブームを支えました。</p>
<p>そのうちヨーロッパの人々も徐々にハラキリ・シーンに飽きて、花子の女優としての人気も次第に衰退していきました。（ドナルドキーン著作集、115-117頁）</p>
<p>ひさは日本に帰国しつつ、大正10年に53歳になるまで、花子としてヨーロッパ、アメリカなどの18国を巡業し続けました。</p>
<p>その間に日本人と結婚しましたが、結婚生活は長く続きませんでした。夫は結婚からわずか４年後になくなってしまったからです。</p>
<p>その後ひさは日本に引き上げ、穏やかな余生を生まれ故郷である岐阜で暮らしました。</p>
<h2>ロダンと花子</h2>
<p>ロダンは花子のこのハラキリのシーンを見て強い衝撃を受けました。</p>
<p>彼は偶然南フランスのマルセイユで花子の演劇を見て、即座に花子に自分のモデルになるよう請い願ったのです。</p>
<p><img class="alignleft wp-image-262 size-medium" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/ロダン女性-225x300.jpg" alt="" width="225" height="300" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/ロダン女性-225x300.jpg 225w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/ロダン女性-768x1024.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/ロダン女性-728x971.jpg 728w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/ロダン女性.jpg 1440w" sizes="(max-width: 225px) 100vw, 225px" />ロダンのエピソードによって、花子のハラキリシーンが二流演劇のまがいもの、ヨーロッパ人が作り上げた似非芸術ではなかったことが伝わります。</p>
<p>なぜならロダンは超一流の彫刻家として、本物を見分ける目を持っていたからです。</p>
<p>例えば、ロダンはジャポニズムに興味があったから花子に声をかけたわけではありませんでした。</p>
<p>ロダンは、印象派の画家ほどには強くジャポニズムに傾倒していなかったそうですが、日本美術、文化については人並みの関心と情報を持っていました。</p>
<p>ロダンはひさに出会う前の1900年頃から日本の浮世絵、工芸品などをコレクションしていました。ロダンが入手したのは、輸出用に準備された19世紀に制作された工芸品、浮世絵などでした。</p>
<p>ロダンの日本への関心を決定的なものにしたのは、ジャポニズムではなく花子でした。</p>
<p>花子は演劇と同様の白熱の演技で持って、ロダンの彫刻制作のモデルを引き受けました。ロダンの助手は次のように語っています。</p>
<p>「花子は普通の人のようにポーズしなかった。その顔はいつも冷たい、恐ろしい激怒に歪められていた。虎に似ていて、その表情は我々西洋人に全然似合わない。日本人が死に臨んで発揮する意志の力で、何時間たっても花子は同じ表情を保った。」（ドナルド・キーン著作集、117頁）</p>
<p>ドナルド・キーン博士は花子とロダンの関係を次のように解説しています。</p>
<p>「彼女は死ぬ時に、死ぬ必要を感じた時に、死ぬことができたのです。自分を殺せたのです。そういうようなところが日本の女性にあったのです。一方では美に対する憧れ、夢見る心など、がありました。ロダンは見事にその二つの女の傾向を捕まえたのです。」（ドナルド・キーン著作集、117−118頁）</p>
<p>花子は体裁などを気にせず、自分のすべてをさらけ出して、マイナスとも思える感情を体全体、魂全体で表現することを厭いませんでした。そういう珍しい個性の持ち主だったのです。</p>
<p>ですからロダンが創作した花子の像、スケッチに表現された花子の表情は、けっして女性らしさがほとばしるような古典的美しさではありません。</p>
<p>またオリエンタリズムにありがちな、異国情緒に溢れた衣服に身をまとった官能的で肉感的な女性でもありません。</p>
<p>作品にもよりますが、見方によっては、ロダンがアジア人に対して差別意識を持っていて、花子をあたかも動物か何かのように捉えている、と感じ取れるような作品もあります。</p>
<p>しかしロダンが完成させた像の奥からは、こうした奇妙な表情と裏腹に「恋も苦痛も知ったかわいそうな人間」が感じられたそうです。</p>
<p>なぜならロダンは花子の恐ろしい形相をしたマスクにも、人間としての彼女自身の魂を表現していたからです。（ドナルド・キーン著作集、117頁）</p>
<p>ロダンの花子像としては、特に死顔が有名です。それは文字通りロダンが感動したハラキリのモーメントを永遠のものとすべく、彫りあげた作品でした。</p>
<p>最後にロダンは、花子の精神性だけではなく、欧米の女性とは異なる、花子の肉体にも強く惹きつけられたことを加えておきます。</p>
<p>「この女にはまるで脂肪がない。彼女の筋肉は、フォクステリアと呼ぶ小さい犬の筋肉のように、はっきりと見えて出ています。その腱の強い事と言ったらその付着している関節の大きさが四肢の関節の大きさと同じくらいなのです。彼女の強靭なことは、一方の脚を直角に前方へ挙げて一本の脚だけで自分の好きなだけ長く立っていられるのです。まるで木のよう地面へ根を張っているようです。ですから彼女はヨーロッパ人の解剖阻止区とは全然違うものを持っているのです。それでいてその奇妙な力の中に立派な美があります。」（「ポール・グゼル筆録　ロダンの言葉」　（高村光太郎訳）</p>
<h2>ロダンが見た花子という人</h2>
<p>ここまで、主に芸術を通じて見た花子とロダンの関係についてまとめました。</p>
<p>では花子とロダンの関係は、芸術を超えた男女の関係だったのでしょうか。ロダンは多くの女性の弟子と愛人関係になっていたので、花子とも一次的に恋人関係になった可能性は否定できません。</p>
<p>ただこの二人の芸術家の関係には、そうした一時的な関係以上の結びつきがあったことは確かです。資延氏によれば、ロダンと花子を結びつけたのは、二人とも遅咲きの芸術家だったことだったといいます。</p>
<p>芸術家として苦労して現在の位置を達成したこと、特に花子は、モデルをしながら、ロダンが仕事に専心する姿を見て、深く感化されたと言います。</p>
<p>その結果二人はなかなか思うように作業が進まなかったのにもかかわらず、辛抱強く、お互いを尊重して、仕事を続けたといいます。</p>
<p>いくら天才とは言えロダンも時代の影響を免れることはできません。</p>
<p>ロダンは当時の平均的な教養あるヨーロッパ人がもっていた、日本についての偏見、無知などが合わさった、日本人から見たらそれこそ「奇妙な」な日本のイメージを持ち合わせていたことでしょう。</p>
<p>ただ天才的な芸術家だったロダンには言葉、文化、情報を超えて、人間の真実を見通す力も備わっていました。そして直感的に花子という人格、そしてそこに表現される日本の武士道を理解し、それを芸術作品として表現しました。</p>
<p>この意味でロダンの花子への目線は、西欧社会が非西欧社会を見下して植民地支配を正当化し得た「オリエンタリズム」を超えていました。</p>
<p>ロダンと花子の関係性には、フランス人男性と恋愛をするときのヒントが隠されています。つまり、見識あるフランス人男性と付き合っていくためには、自分も相手と平等な立場で、何か相手を感化できる個性を持つ必要がある、ということです。</p>
<p>なぜならロダンはただ顔が綺麗なだけでは、花子の彫刻を作ろうとは思わなかっただろう、と思われるからです。</p>
<p>花子がロダンのような彫刻家とも親しくなれたのは、彼女が一眼で相手を魅了するほどの個性の持ち主だったからです。</p>
<p>それが、花子が周りの日本人と花子の異なる点でした。それは彼女のそれまでの人生の生き様、そして彼女が元来持つ強い内面の力に負っていました。</p>
<h2>終わりにーロダンと花子の関係から何を学べるか</h2>
<p>ロダンのようなフランス人男性はもちろん例外的な存在です。一般的なフランス人男性とは異なります。</p>
<p>それでも<strong>フランス人男性</strong>が本気で恋愛をするとき、何らかの起爆剤が必要となります。それは個性と個性のぶつかり合い、と言ってもいいかもしれません。</p>
<p><img class="alignleft wp-image-265 size-medium" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/ロダン１-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/ロダン１-300x200.jpg 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/ロダン１-768x511.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/ロダン１-1024x681.jpg 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/ロダン１-728x484.jpg 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" />現在の日本社会ではこの起爆剤が失われつつあるように思えます。それは物質文明が発達しすぎて、人間の本性をむき出しにする機会がなくなってしまった結果です。</p>
<p>携帯電話、SMSなどの発達によって、日本人は顔と顔を突き合わせることによって培われる人間臭い関係を失いつつあります。</p>
<p>それは恋愛を具体的に始めていく場を失いつつあることを示しています。</p>
<p>携帯のスクリーンではなく、五感によって嗅ぎ分ける動物臭の漂う具体的な「場」です。</p>
<p>日本と同じような物質文明を持つフランスですが、恋愛に必要となる野生的本能のようなものは、日本に比べたらまだ残っています。</p>
<p>例えば一ヶ月、人々は仕事をしないで自然の中で戯れます。日曜日には全ての消費活動を休止して、人々は精神的にリラックスしようとします。</p>
<p>そのような時間を持つことで、人々はありのままの自分に立ち返ることができます。</p>
<p>フランスではお互いの素性がよくわからないうちに、ある種の動物的勘によって恋愛が始まることがよくあります。同じ電車の車両に乗り合わせたり、近所だったり、休暇先で出会ったり、などの偶然による事柄です。</p>
<p>フランス人男性と渡り合って行くためには、この素としての自分自身を激しく相手にぶつけていくことがコミュニケーションの一部として欠かせません。二つの個性が持続しないと、関係も持続しにくいでしょう。</p>
<p>花子は言葉が通じなくともヨーロッパでは不自由しなかったと言います。彼女は全てジェスチャー、身振りでコミュニケーションを取ることができたからです。</p>
<p>平均的日本人と比べて、花子はより強い自我を持つとともに、それを客観的に外国の人にもわかる形で表現できる演技力を持っていました。</p>
<p>花子はフランス人男性と結婚したわけではありません。恋愛をしたわけでもありません。しかし花子の生き様からは、素の状態で、人生に体当たりでチャレンジする姿が浮かび上がってきます。</p>
<p>花子から感じ取れるのは、そんな明治の日本人女性のあっぱれな姿です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>参考文献</p>
<p>資延勲　文芸社、マルセイユのロダンと花子</p>
<p>ドナルド・キーン著作集　７　３４７−３５９頁</p>
<p>ドナルド・キーン著作集　４　１１３−１２３頁</p>
<p>ポール・グゼル筆録　ロダンの言葉　高村光太郎訳</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
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		<title>『蝶々夫人』や『ミスサイゴン』は実話だった：ロチとお兼</title>
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		<pubDate>Mon, 27 Aug 2018 04:46:34 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[francechapeau]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[フランス人男性]]></category>
		<category><![CDATA[ミス・サイゴン]]></category>
		<category><![CDATA[日本人女性]]></category>
		<category><![CDATA[蝶々夫人]]></category>

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		<description><![CDATA[フランス人男性と日本人女性が国境や文化の差を超えて、恋愛や結婚をするようになって、およそ250年。その始まりは...]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><strong>フランス人男性</strong>と日本人女性が国境や文化の差を超えて、恋愛や結婚をするようになって、およそ250年。その始まりは、200年以上続いた鎖国をやめて開国した明治時代のことでした。</p>
<p>ここでは初めてフランス人男性とエロチックな関係を結んだ日本人女性の一人お兼とそのパートナーでその後フランスの国民的作家となるピエール・ロチの関係について紹介します。</p>
<p>お兼と言ってもピンと来ないかもしれません。</p>
<p>でもオペラの『マダム・バタフライ』（蝶々夫人）ミュージカルの『ミス・サイゴン』のモデルとなった日本女性と言えば、日本でもお馴染みだと思います。お兼とはその原作の主人公のモデルとなった実在の日本人女性です。</p>
<p>明治開国から間もない時代、お兼とロチはどこで出会ったのでしょうか。言葉が全く通じずに互いの文化についてもまったくわからない二人の関係とは、一体どんなものだったのでしょうか。そしてお兼はどのような経緯から、蝶々夫人、ミス・サイゴンへと繋がって行ったのでしょうか。</p>
<h2>お兼とピエール・ロチ(Pierre Loti)</h2>
<p>お兼は1885 年に故郷の長崎市でフランス人の船乗りと出会います。名前はピエール・ロチ。</p>
<p>ピエール・ロチという名前は今日の日本ではあまり馴染みのないフランス人かもしれません。</p>
<p>ロチは19世紀末には、フランスはもとより世界的に人気を博した（当時の世界とは欧米社会を指す）作家でした。本国フランスにおいてロチは41歳の若さで、作家としては最高の地位、アカデミーフランセーズの会員に任命されたほどの一流の作家でした。</p>
<p>ロチの小説は独特の哀愁と甘美な異国情緒を放つその文体に特徴がありました。それはロチが二つの職業を持っていたことに由来します。</p>
<p>ロチは作家である前にまず海軍軍人でした。そのため当時一般のフランス人が成し得なかった世界旅行に出かけることができました。</p>
<p>ロチはヨーロッパ以外の地域、コンスタンチノープル、タヒチ、セネガル、日本などを軍艦で訪れ、現地の女性との恋愛を通じてその土地の風習を知り、それを小説として表現しました。</p>
<p>ロチが描く異国情緒あふれる『楽園的生活』は同時代の印象派のゴーギャンの『タヒチの女』などの絵画に似ています。エキゾチックな女性の描写は19世紀後半から20世紀初頭にかけて、植民地帝国フランスが拡大しつつあった時代に特徴的なテーマです。</p>
<p>ロティは軍人として二度日本を訪れました。一度目は1885年、二度目は1900-1901年のことです。</p>
<p>南の国の官能的な恋愛小説を得意とするロチにとって、喜怒哀楽を表に表さない日本人はそれだけで物足りない存在でした。さらに当時の多くの欧米人と同様に、ロチにも欧米社会以外の国を見下す傾向がありました。</p>
<p>そのためロチの日本に対する態度も好意的なものではありませんでした。</p>
<p>この点が江戸時代から明治時代にかけて活躍した親日家のラフカディオ・ハーン、シーボルト、そしてクーデンホーフ・カレルギー伯などの西欧人とロチが決定的に違う点でした。腰を落ち着けて日本を知ろうと努力するのではなく、日本はあくまでも通りすがりの国だったのです。</p>
<p><img class="size-medium wp-image-376 alignleft" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/battleship-1688093_1920-300x169.jpg" alt="" width="300" height="169" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/battleship-1688093_1920-300x169.jpg 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/battleship-1688093_1920-768x432.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/battleship-1688093_1920-1024x576.jpg 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/battleship-1688093_1920-728x410.jpg 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" />ロチは1回目の滞在で知り合った日本人女性お兼と一ヶ月一緒に暮らし、この体験をベースに日本についての小説を書きました。</p>
<p>当時欧米ではまだ日本の実情がよく知られていなかったため、ロチは後で日本について書けばお金儲けになると考え『お菊さん』という小説を書いたと告白しています。</p>
<h2>明治日本、19世紀末のフランス、そしてジャポニズム</h2>
<p>なぜロチは日本がお金になると考えたのでしょうか。そのきっかけは当時のフランス、欧米における日本美術ブーム、すなわちジャポニズムでした。</p>
<p>19世紀後半から20世紀にかけて、ヨーロッパの主要都市では万博が開催されました。そこでは国際貿易を伸長するために、欧米以外の異国の文化、工芸品、美術が幅広く紹介されました。</p>
<p>日本は欧米諸国の植民地ではありませんでした。しかし日本人もヨーロッパ各地の万博へ招待され、日本の伝統工芸品が広く知れ渡るようになりました。実際江戸幕府末期から明治時代にかけて、日本の様々な工芸品、浮世絵、着物などが大量にフランスへ輸出されるようになりました。</p>
<p>当時のインテリ階級の間では、日本の品々をコレクションして家に飾ることが流行しました。</p>
<p>ゴッホやマネなどの印象派の絵画を見ると、肖像の背後に日本の品々が描かれていたり、キモノをまとった西洋の女性が描かれたり、と日本趣味には事欠きません。また日本の工芸品は、絵画以外にも花瓶、家具などにも応用され、アール・ヌーヴォーが誕生しました。</p>
<p>旅行が自由にできない時代、日本好きのインテリ層のフランス人男性は、浮世絵、着物、漆器、陶芸品などの日本独特のモノを通じて日本についてのイメージを膨らませました。またフランスの一般市民も、日本の品々が描かれた印象派の絵画、浮世絵、着物などを目にする機会が増えました。</p>
<p>このような状況で、小説家のロチは日本について小説を書けばお金になると考えました。</p>
<p>1885年に初来日したロチは長崎に一ヶ月ほど滞在しました。当時の日本は開国して文明開化、西欧化が進みつつありました。しかし大半の日本人は人力車、お歯黒、着物などの伝統的な風習の中で生きていました。</p>
<p>その一方で、当時のフランスは世界的に見て最も文明が進んだ国の一つであり、自動車、カメラなどの文明の利器も出現し始めました。</p>
<p><img class="wp-image-241 size-medium alignright" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/セーラー帽-300x199.jpg" alt="" width="300" height="199" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/セーラー帽-300x199.jpg 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/セーラー帽-768x510.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/セーラー帽-1024x681.jpg 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/セーラー帽-728x484.jpg 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" />鉄骨でできたエッフェル塔が完成したのは1889年のことです。フランス革命100周年を祝すためにできたこの鉄骨製のモダンな塔の存在は、石造建物に慣れたパリ市民の間で物議を醸し出しました。</p>
<p>ロチ自身は中産階級の出身でしたが、彼はヨーロッパの上流階級の名残が残る誇り高きフランス海軍士官となりました。</p>
<p>そんなロチにとって、いくらフランスでジャポニズムが人気を博しているとはいえ、真夏の長崎で木と紙でできた家で暮らしながら目に入ってくる日本の風物を見て、前近代的と感じたことでしょう。</p>
<p>例えばロチは「ヨーロッパ人男性が歩いていると、十五歳前後の若い娼婦たちが寄ってきて売春を促した」と日記に書いています。</p>
<p>この頃フランスでは女子の初等教育の義務化が始まっています。通りで10台半ばの若い女性たちが娼婦として群がってくるというのは、当時のフランスではありえない状況でした。</p>
<p>ロチが初来日した時、彼は35歳で独身でした。日本に到着するやいなや外国人との婚約、結婚の仲介をする日本のエージェントを通じて、日本人女性を紹介してもらいました。</p>
<p>彼女の母親、姉妹、叔母に加え、ロチの家主の家族が見守る中当時の日本の習慣に従ってロチは「1ヶ月毎に更新する条件付きの結婚」を果たし、それは地方の警察にも登録されました。ロチの日記によれば、18歳の相手「お兼さんは恥ずかしそうにして、目を伏せていた」そうです。</p>
<p>この「結婚」というのは、当時の日本やフランスの結婚とは異なるものでした。</p>
<p>結婚というと聞こえはいいですが、要は、国を介したオフィシャルな愛人契約でした。ロチの乗っていた船には４人の船員がこの１ヶ月の結婚を果たしたそうです。</p>
<p>ちなみにロチは日記に「結婚した」と書き記しながら、毎月２０ピアストルをオカネ・サンの親に支払う、という条件については何も書き残していません。</p>
<p>そのため今日フランス版のWikipediaのピエール・ロチの記事を読むと、ロチがお兼と正式に結婚したというニュアンスで紹介されていますが、これは明らかに間違いです。この記事を書いた人は多分当時の事情について知らずに、ロチの日記の言葉尻だけ捉えてこの記事を書いたと想像されます。</p>
<h2>ロチの日記から読み取れるオカネ・サン</h2>
<p>ロチは日本ひいきではなく、日本に対してとりわけ関心を持っているわけでもない、通りすがりのフランス人でした。</p>
<p>ロチの日本に対する態度は、フランス、ヨーロッパの大半の人々と同じものであるため、ロチの書く小説も多くの西欧人の共感を呼びやすい内容となりました。</p>
<p>ロチとお兼の間には、言葉、文化の違いに由来する大きな心理的壁が存在したことは当然予想できます。実際二人は物理的に一緒にいても意思疎通をはかるすべを何も持ちませんでした。</p>
<p>ロチは日記の中でしばしばお兼をモノに例えています。それは屏風や茶碗の絵だったり人形だったりします。</p>
<p>『オカネ・サン、この小さなオカネ・サン、僕はその絵姿を、屏風や茶碗の底など至る所ですでに見てきた。人形のように愛くるしいこの顔、なめらかでうわぐすりをかけたような漆黒のこの美しい髪、淑やかなお辞儀のためにいつも前屈みになっているこの特殊な物腰、背中で大きく膨らませて結んだこの絹でできた帯、広い幅の垂れるこの袖、脚の下に張り付いて、トカゲの尻尾のような引裾を作るこの着物・・・この陶磁器の小僧と向き合って一人で家にいると、僕は泣きたいほど悲しくなるのだ。』（２７−２８頁）</p>
<p>あたかも浮世絵に描かれた日本人女性がそのまま見た目だけ文章化されたかのようです。以下はお兼さんが昼寝をしていた時の状況です。</p>
<p>「オカネ・サンは畳の上に腹ばいになって昼寝をしていた。高い髪とかんざしが長く伸びた寝姿の上に突き出し、着物の小さな引袖のためにほっそりした体がさらに長く延びた。十字に伸ばした腕は、羽のように広がっていた・・・。」（48頁）</p>
<p>オカネ・サンの母親が見かねてオカネ・サンを起こそうとするとロチは言いました。</p>
<p>「カカ・サン、そのままにしておいてやりなさい。この女はこうしている方がずっと僕の気に入っているのだから！」</p>
<p>「この小さなカネが、いつも眠っていることができないのは残念なことだ。こうしていると彼女は装飾にうってつけだし、それに少なくともぼくをうんざりさせない。ぼくは確かにこの人形の頭の中で起こっていることを深く知るまでには、まだ彼女の国語がよく話せない。そしてとどのつまり、その頭の中では何かが起こっているのだろう。だが、それを知ろうとする興味はぼくにはないーそれはぼくにとってどうでもいいことなのだ。」</p>
<p>お兼は自ら進んで感情を表に表すことをしないタイプの日本人女性でした。ロチはそれに対して不満、苛立ちを募らせていきます。</p>
<p>しかしたった１ヶ月の日本滞在で、もともと関心のない日本人女性と本当に意思疎通をすることを望んでいたとは考えられません。</p>
<p>ロチの苛立ちには、彼がこれまで体験してきた南国と日本の事情が異なることも関係していると思われます。彼は南国の女性と<strong>日本人女性</strong>の違いを次のように比較しています。</p>
<p>「ここにあるものは全て何かが欠けている。正気のない真似事に過ぎないというべきだろう。そしてぼくはもの悲しく自分にこう問いかけるー夏の輝かしさとは本当にこんなものでしかないのかー。」（49頁）</p>
<p>ロチは、他の南国と同様、日本の暑い夏に見合う情熱的な恋愛を期待していました。それは男性中心的な性愛を中心とした恋愛と言ってもいいでしょう。しかしその期待が叶わなかったからこそ日本、日本人女性への失望がさらに深まっていったのです。</p>
<p>ロチの目から見ると前近代的に見えた長崎での生活ですが、当時の日本は世界的な資本主義体制の中に組み込まれつつあり、近代化が急速に進んでいました。その点が日本とロチが訪問したそれまでの異国とが異なる点でした。</p>
<p>資本主義は全ての関係をお金を介した関係へと変えて行きます。ロチとお兼が金銭によって繋がっていることが、何よりもそれを象徴しています。</p>
<p>ロチは確かにこれまでにも様々な異国女性との体験を小説にして来ました。しかし日本では、ロチはお金を支払って「一ヶ月ごとに更新する結婚」という名の売春を買いました。</p>
<p>ロチは自分自身のこの行為をどう感じていたでしょうか。プロテスタント教徒として、少なからず罪悪感を覚えたのではないでしょうか。</p>
<p>本国フランスでは、同じ屋根の下に暮らす女中に手を出すということはありましたが、18歳の若い女性を金で買って結婚という名目のもとに一緒に暮らす、などということはありえない状況でした。</p>
<p>ロチは、自分の欲求が満たされない不満を、市場主義経済におけるお金を介した男女の関係性にではなく、お兼の非社交的な態度に起因させました。そしてお兼を、女性、人間として見るのではなく、彼女があたかも景色の一部であるかのように扱ったと考えられます。</p>
<p>ロチは、お兼を非難することによって、お金で擬似的な愛情を買ってそれを小説にしてお金を儲けようとする自分自身に対するやましさから目を背けたと考えられます。</p>
<h2>お兼の気持ち</h2>
<p>では当時18歳のお兼はロチに対してどのような気持ちだったのでしょうか。</p>
<p>これについてはお兼自身が記録を残していない以上本当のところはわかりません。そのためここではロチの日記から類推される、女性としてのお兼の気持ちについて想像してみます。</p>
<p>お兼は、確かにロチが書いたように、平均的日本人女性以上に内気で無口だったことでしょう。でもそれはお兼は近代的で、シニカルな感覚も持ち合わせていたからとも解釈できます。</p>
<p><img class="size-medium wp-image-235 alignleft" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/着物女性-217x300.jpg" alt="" width="217" height="300" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/着物女性-217x300.jpg 217w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/着物女性-768x1064.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/着物女性-739x1024.jpg 739w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/着物女性-728x1008.jpg 728w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/着物女性.jpg 924w" sizes="(max-width: 217px) 100vw, 217px" />家族を養うためにお金を稼がなくてはならず、そのために身を売り、しかし心や感情までも相手に開け渡すことを拒んだと解せるからです。</p>
<p>ロチによれば、タヒチなどの南の島の女性は、少なくとも自分の性的欲望については正直に表現し、自分を相手に委ねたといいます。</p>
<p>ロチはお兼が同じように振る舞わないことに苛立ちを感じたのです。</p>
<p>しかしお兼としては、自身の人としてのプライド、羞恥心から、もしくはロチを好かなかったという理由から、自分の欲望、感情をロチに明け渡さすことをよしとせず、逆に蓋をしたと考えられます。</p>
<p>お金を介した男女の関係としてみれば、ロチとお兼の関係は近代的なもので、現代社会でもよく見かける関係となります。</p>
<h2>お兼のプライドとお金</h2>
<p>さてお兼との擬似的な婚姻関係は、ロチが一ヶ月後長崎から出航することであっけなく終わりを告げます。このシーンは小説『お菊さん』のクライマックスとして再現されていますので、ここで紹介します。</p>
<p>主人公のフランス人男性は、お菊さんに長崎を発つことを告知するために、足音を忍ばせつつ住居の二階へと上っていく。案の定お菊さんは、彼の存在に気づかず、彼からもらったお金がにせ金かどうか投げて確かめていた、という光景です。</p>
<p>このシーンは架空のもので、ロチの創作だと言われています。それはお兼の実際の態度ではなかったのです。ロチの日記によれば、実際のところは「私の手を彼女の手のなかに包み込んで、ちょっと悲しげに握りしめた」ということです。</p>
<p>別れに際しての、お兼の態度は日本人から見ると違和感がありませんが、ロチからみると、他の異国女性の態度とは大きく異なっていました。涙ひとつこぼさずに泣き顔も見せないオカネ・サンの態度に面して、ロチは少なからずプライド、自尊心を傷つけられました。</p>
<p>その結果、ロチはリベンジを果たすために、実際のお兼とは異なるイメージを創作しました。そして「金だけが目当て」の人間的感情の欠如した日本人女性を小説「お菊さん」に描きました。</p>
<p><img class="size-medium wp-image-378 alignleft" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/euro-1353420_1920-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/euro-1353420_1920-300x200.jpg 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/euro-1353420_1920-768x512.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/euro-1353420_1920-1024x683.jpg 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/08/euro-1353420_1920-728x485.jpg 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" />ロチの小説のクライマックスにお金が登場する、というのは大変興味深い点です。それはロチ自身がお金にこだわっていたことを意味します。</p>
<p>このラストシーンからも、ロチがお金が介在するお兼との関係に罪悪感を持っていたことが想像されます。</p>
<p>その後、ロチはフランスに戻り、スペインとの国境沿いのバスク地方出身の若い女性と結婚し、４人の子供の父親となり、幸せに暮らしたということです。</p>
<p>ロチは自分の妻と愛人を明確に区分けする。当時のフランス人男性としては典型的なタイプでした。</p>
<p>ロチの日本人、日本人女性を見下したかのような小説『お菊さん』はしかしながらフランス、ヨーロッパで大反響を巻き起こしました。そしてその後美しい悲劇『蝶々夫人』へと生まれ変わりました。ちなみに『蝶々夫人』は1904年にヨーロッパで初上演されました。</p>
<p>このオペラの中で、守銭奴的なイメージのお菊さんは、彼女とは真逆のイメージの日本人女性、蝶々夫人に取って変わられました。蝶々夫人は、長崎を舞台に、アメリカの海軍士官に裏切られ、何年も相手の帰りをひたすら待つ日本人女性として描かれました。</p>
<p>それは相手を無条件で一方的に待つことを厭わない、ひたすら受け身で、感情の面では自分が与えるばかりの、日本人女性のイメージです。</p>
<p>哀愁漂うプッチーニの音楽に乗って、その後長らく西欧社会に定着することとなった日本人女性のステレオタイプが誕生した瞬間です。</p>
<h2>終わりにーオリエンタリズムの視点からロチを読む</h2>
<p>最後に、なぜロチの小説に描かれた守銭奴的日本人女性は姿を消して、相手を見返りなく愛し、ひたすら受け身で待つばかりの日本人女性のイメージが生まれたかについても考えてみましょう。</p>
<p>もちろんその方が悲劇のストーリーとして説得力があり面白いから、というのが一番大きな理由です。それに加えて「時代」も大きく影響しています。</p>
<p>19世紀末から20世紀にかけて、ヨーロッパでは東洋の美術、工芸品、そして演劇などを愛好する東洋趣味が流行しました。</p>
<p>これは一般的にジャポニズム（日本趣味）と言われますが、ジャポニズムは広い意味でオリエンタリズムの一部でした。</p>
<p>オリエンタリズムとは、西欧による、西欧とは異なる東洋を含めたオリエントの文化、文明に対する美的、審美的崇拝の態度を指します。</p>
<p>まさに異国情緒がつまった日本の浮世絵などの美術は西欧による美的、審美的賞賛の一例でした。</p>
<p>同時にその背後には政治的力関係も作用していました。なにしろこの時代は西欧列強による植民地化が進んだ時代です。</p>
<p>その結果オリエンタリズムとは、当時の西欧人が、西欧以外のオリエントを美的、文化的には愛でても、政治的、知的には見下した態度を指します。</p>
<p>そしてロチの小説にはこのオリエンタリズムに内包されるダブルスタンダードが見事に表現されています。</p>
<p><strong>フランス人男性</strong>のロチは当時の植民地帝国として『優勢』なフランスを、日本人妻のお兼はフランスと不平等な外交関係を受け入れざるをえない『劣勢』な明治日本の立場を反映している、とも考えられるからです。</p>
<p>小説『お菊さん』に表象されたロチとお兼の関係については、日本ではこれまでロチがお兼を個人的に好かなかった、ロチが親日ではなかったためにそれが小説に反映されてしまった、などとロチの性格を中心に説明されてきました。</p>
<p>しかしながら、ロチとお兼の関係は実際には資本主義社会に特徴的なお金を介した男女の微妙な関係、そして欧米諸国による非欧米諸国の植民地化に象徴する政治的力関係の優劣によって特徴づけられてもいたのです。</p>
<p>そしてお金を通じた愛人関係は受け入れても真の感情の交流を頑に拒んだ日本人女性（お兼）から、支配と同時に感情的にも相手に翻弄され続けることを自ら選んだ蝶々夫人へと変化していきました。</p>
<p>その結果美しいオペラが誕生したのです。しかし同時にこのような日本人女性であるところの悲劇のヒロインは、西欧人が望む日本のイメージであったのです。</p>
<p>オペラ、ミュージカルなどに表現されたアジア、日本のヒロインと西欧の男性の恋愛関係を楽しむ際には、どうかこれらの歴史的背景も思い起こしてくださいね。</p>
<p>参考文献　ピエール・ロチ　お菊さん　（野上豊一郎翻訳）岩波書店</p>
<p>船岡末利　ロチの日本日記ーお菊さんとの奇妙な生活　有隣新書</p>
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