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	<title>フランス &#8211; フランスシャポー</title>
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	<description>パリ移住経験のあるルバンがフランスの情報をお届けします。</description>
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		<title>17世紀フランスの歴史映画ーバロックな恋愛とは？</title>
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		<pubDate>Wed, 29 Apr 2020 09:39:56 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[francechapeau]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[フランスの恋愛]]></category>
		<category><![CDATA[フランス]]></category>
		<category><![CDATA[映画]]></category>
		<category><![CDATA[歴史]]></category>

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		<description><![CDATA[今日は2020年4月29日。 実家に帰省することも見送ったほうがいいとの政府の勧告があり、こんなに静かなゴール...]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>今日は2020年4月29日。</p>
<p>実家に帰省することも見送ったほうがいいとの政府の勧告があり、こんなに静かなゴールデンウィークはこれまでも、今後もないことでしょう。（そうであることを祈ります）</p>
<p>一方では、これまでにないほど忙しい方々もいらっしゃるわけで、その方々に対して感謝をしつつ、家にいて負担を増やさないように心がけたいと思います。</p>
<p>この時期、フランス旅行を考えていて予定がキャンセルされた方もいるかもしれません。</p>
<p>今の時期はフランスでも緑が青々していて、でもそこまで暑くなく、こんなに素敵な時期はない、と言う頃ですよね。</p>
<p>でも日本もやっと気候が穏やかになってきました。今は、考えようによっては、普段できないことができる時期です。</p>
<p>例えば家にいつつ、フランス<strong>映画</strong>を見ながら、フランスの歴史に触れるなど・・・・。</p>
<p>ここでは17世紀フランス,つまりバロックの時代を舞台にした興味深い歴史映画を３つ紹介したいと思います。</p>
<p>取り上げるのは『巡り逢う朝』『恋こそ喜劇』『シラノ・ド・ベルジェラック』の３本の歴史映画です。</p>
<p>これらは、フランス人の恋愛観を知るのにとっておき、とも言える歴史映画です。</p>

<h2>バロック音楽のすすめー『巡り逢う朝』</h2>
<p>バロックとは17世紀ヨーロッパに主流となった芸術様式です。バロックとはもともと「歪んだ真珠」という意味があるそうです。あと「極端な」「誇張した」などの意味も。</p>
<p>バロック様式とは、その前のルネッサンス様式の反動でした。ルネッサンス様式は規則正しさ、直線、などの特徴がありましたが、その次のバロック様式は、それとは真逆な大げさで、不規則な形が主流となったのです。</p>
<p>代表的なバロック様式と言えば、ヴェルサイユ宮殿です。</p>
<p>『巡り逢う朝』（1991）はこのバロック時代を舞台とした歴史映画です。時代は1680年頃で、背景にはもちろん、ヴェルサイユ宮殿を建てたルイ14世による強い王権国家があります。</p>
<p>ただこれはあくまでも歴史背景であって、主題ではありません。この時代に宮廷に仕えるという世俗的な出世欲を捨て、ひたすら亡き妻を思い、二人の間にできた二人の若い娘を育てる寡夫の話です。</p>
<p>寡夫は稀に見る音楽家で、でも宮廷に仕えるというオファーすら拒絶して、ひたすら孤独に音楽の道を邁進します。</p>
<p>まあ設定から言えば、３つの歴史映画の中でもっとも地味かもしれません。</p>
<p>ただ淡々と描かれる辛い人生に対して、それを和らげるべく一貫して流れてくるのがバロック音楽です。</p>
<p>映画の物静かさによってバロック音楽の良さがより際立っています。</p>
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<p style="text-align: center;">By Source, Fair use, https://en.wikipedia.org/w/index.php?curid=20609576</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>現在わたしたちが見る映画に使われる音楽の多くは現代音楽、もしくはロマン主義の時代の音楽です。普段バロック音楽を聞くことはありません。</p>
<p>リュートなどの楽器が使われているバロック音楽がこの<strong>歴史</strong>映画の聞きどころです。わたしたちには馴染みのない音楽であるのにかかわらず、これらの音楽を聞いていると、思いの外気分が落ち着きます。</p>
<p>それは時間に急かされて生きている現代人とは違う時間の流れの中でできた音楽だからでしょう。その意味でわたしたちを異次元の世界に連れていってくれます。</p>
<p>映画としての見所は、ジェラルド・ドュパルドゥーというフランスの国民的俳優の息子のギヨームが若くイケメンの主人公を演じているところでしょうか。</p>
<p>父親のジェラルドがナレーションをし、主人公の晩年も演じています。親子が演じているところがフランス人を喜ばせました。</p>
<p>残念ながらその後ギヨームは若くして亡くなってしまいました。</p>
<p>原因はバイク事故の後の手術による感染が悪化してしまうという、普通だったら避けられるような、残念な原因によるものでした。</p>
<p>それもこの歴史映画になんとも言えない悲哀さを与えています。</p>
<p>田舎の単調な生活の中で、主人公の若き音楽家は寡夫の娘の一人と恋仲になります。</p>
<p>しかし彼は最終的にはこの家族を離れ、ヴェルサイユ宮殿のオーケストラに入っていきます。そして二人は別れ、娘は悲しみのあまり病気になり、亡くなってしまいます。</p>
<p>ちなみに恋に破れた結果、美しく麗しい若い女性が憔悴し亡くなってしまう、というパターンはフランス映画ではよく見るパターンです。</p>
<p>17世紀フランスのエリートだった貴族の暮らしぶりも見所です。考える映画ではなく、感じる映画。好きか嫌いかが分かれる歴史映画でもあります。</p>
<p>ちなみにバロック音楽に興味がある方は、映画とは関係ありませんがこちらをご覧ください。</p>
<p><iframe width="728" height="546" src="https://www.youtube.com/embed/kX7dHGdVv7E?feature=oembed" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></p>
<h2>『モリエールー恋こそ喜劇』</h2>
<p>『巡り逢う朝』が物悲しいトーンだとすれば、それとは反対にコミカルなシーンによって思わず笑ってしまうシーンが多いのが『恋こそ喜劇』です。</p>
<p>この歴史映画は本当に笑えてしまいます。それもそのはず。</p>
<p>17世紀フランスを代表する喜劇作家モリエールの人生について扱った歴史映画だからです。</p>
<p>モリエールの空白とされる青年期に、その後の名作を生むきっかけとなる恋愛があったと仮定した、彼の青年期についてのフィクションです。</p>
<p>売れない作家、世に認められない作家だったモリエールは、彼からこっそりと喜劇について学びたい金持ちの商人、ジョルダン氏のところに「末娘の教育係」として居候になります。</p>
<img class="size-medium wp-image-1434 aligncenter" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2020/04/Moliere_film_2007-225x300.jpg" alt="" width="225" height="300" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2020/04/Moliere_film_2007-225x300.jpg 225w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2020/04/Moliere_film_2007.jpg 263w" sizes="(max-width: 225px) 100vw, 225px" />
<p style="text-align: center;">By Source, Fair use, https://en.wikipedia.org/w/index.php?curid=15472359</p>
<p>ジョルダン氏の妻エルミールは、モリエールの作品とは知らずに彼の書いたものを絶賛し、モリエールとエルミールは不倫の関係になります。</p>
<p>不倫といっても今日日本人が想像するようなニュアンスではありません。</p>
<p>中世の領主（つまり上司）の妻に対して騎士が一方的に精神的愛を捧げたことがフランスにおける恋愛の歴史的ルーツです。</p>
<p>この歴史映画もこの流れを汲んでおり、恋愛相手は社会階層的には自分よりも上の年上の既婚女性です。</p>
<p>17世紀フランスの上流階級でも結婚は家と家の間の政略結婚が通常で、二人の人間の感情と思考の関わりによる真の恋愛感情というのは、ある程度人生経験を経た年齢の女性との不倫以外にはありえませんでした。</p>
<p>なぜなら若い女性がこのような体当たり的な体験をしてしまうと、『巡り逢う朝』のような結果になってしまう可能性があるからです。</p>
<p>この話はフィクションですが、17-18世紀のフランスでは、上流階級の女性の卓越した文学的感性によるサポートによって、多くの作家が誕生した、というのは歴史的事実です。</p>
<p>例えば「シンデレラ」や「美女と野獣」などのおとぎ話を残した作家ペローは貴族女性が自宅で開いていたサロンに出入りして、卓越した感性を備えた彼女たちとの交流や会話から刺激を受けました。</p>
<p>庶民の話を題材に書かれたドイツのグリムと比べると、フランスのペローが書いた童話は同じ題材を扱っているのにかかわらずエレガントで上品なのはそのような理由です。</p>
<p>『恋こそ喜劇』はコミカルな場面が多いです。例えばモリエールがジョルダン氏に馬を演じるところを教えますが、見ているだけで笑えてしまいます。</p>
<p>結末は『巡り会う朝』と同様、悲恋で終わります。でも当事者たちはわきまえているため見ている側も悲しくなりません。</p>

<h2>『シラノ・ド・ベルジェラック』</h2>
<p>17世紀フランスバロックの時代を扱った３つ目の歴史映画は『シラノ・ド・ベルジェラック』です。</p>
<p>主演は『巡り逢う朝』と同じジェラルド・ドュパルドゥーです。</p>
<p>『シラノ・ド・ベルジェラック』はもともと戯曲です。17世紀フランスに実在した剣豪作家、シラノ・ド・ベルジェラックを主人公としています。</p>
<p>主人公の『シラノ・ド・ベルジェラック』は、哲学者であり、理学者であり、詩人、剣客、音楽家と多彩ですが、類まれな醜い容姿に深いコンプレックスを持っています。</p>
<p>映画では異常に大きい鼻が特徴です。ヒロインのロクサーヌは、シラノのいとこで幼馴染です。若く明るい美女。</p>
<img class="size-medium wp-image-1433 aligncenter" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2020/04/Cyrano1990-206x300.jpg" alt="" width="206" height="300" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2020/04/Cyrano1990-206x300.jpg 206w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2020/04/Cyrano1990.jpg 262w" sizes="(max-width: 206px) 100vw, 206px" />
<p style="text-align: center;">https://en.wikipedia.org/w/index.php?curid=4739926</p>
<p>ロクサーヌは自分を一方的に愛するシラノを「お兄様」として慕う一方で、シラノの友人の美青年クリスチャンに恋をします。</p>
<p>容貌は美しいが文才のないクリスチャンは、シラノのサポートによって手紙や会話でもロクサーヌを魅惑し、二人はめでたく結婚。しかしまもなくクリスチャンは戦争で亡くなり、ロクサーヌは未亡人となります。</p>
<p>そして晩年までシラノとの交流を続けたロクサーヌはシラノが亡くなる時自分を才知によって魅惑した文才の持ち主が、クリスチャンではなくシラノだったことに気付きます。</p>
<p>でも「時すでに遅し」こちらも悲恋です。</p>
<p>この映画の見所は、シラノ・ド・ベルジェラックを演じるジェラルド・ドュパルドゥーの名演です。醜い外観に宿る美しい心が際立ちます。</p>
<p>彼はロクサーヌに対する深い愛を、クリスチャンを通じて、ロクサーヌに伝えます。ロクサーヌのクリスチャンとの愛が成就するように、自分の気持ちを押し殺して相手に尽くします。</p>
<p>シラノ・ド・ベルジェラックの助けなく、言葉に何の才覚もないクリスチャンに対して、ロクサーヌは興ざめをしてしまう場面があります。ロクサーヌはイケメンの外観と言葉に表現された美しい感情を天秤にかけた時、実は後者に惹かれます。</p>
<p>もしシラノ・ド・ベルジェラックにあそこまで自分の外観に対するコンプレクスがなかったら、二人の愛は成就していたかもしれません。外観より中身の方が重要なのです。フランスには「彼女は美しい、でも彼女はバカだ」ということわざもあります。</p>

<h2>最後に</h2>
<p>ここでは17世紀のバロックフランスを舞台とするフランスの歴史映画を３つ紹介しました。</p>
<p>話はそれぞれに異なるのですが、映画ポスターを並べると、同じような傾向があることがわかります。なぜかどれも自然が占める割合が大きく、中心となるのは男性です。</p>
<p>エリート社会で繰り広げられる歴史映画。３つの歴史映画ではどれも美しい恋愛シーンが描かれていますが、それらはどれも続きません。</p>
<p>さらにバロックの恋愛には常に芸術が関わっています。『巡り逢う朝』では音楽、『恋こそ喜劇』では喜劇、そして『シラノ・ド・ベルジェラック』も文才です。</p>
<p>わたしたち現代人は、ハッピーな恋愛感情を結婚に押し込めて永遠のものとしたい、という願望を持っています。</p>
<p>このような思い込みはハリウッド映画などにも表現されていますが、今日紹介したフランスの歴史映画からは、そのようなことは不可能だ、とのメッセージが読み取れます。</p>
<p>こうした文化背景を持つフランス人というのは恋愛に対して、現実的で冷徹な視線を持っているのかもしれません。</p>
<p>最後にこれらの３本の歴史映画の時代背景となった17世紀という時代についても少し説明しておきます。</p>
<p>一般に17世紀は「危機の時代」と言われています。ヨーロッパ各地では政治的危機や戦争が頻発し、農民の反乱が起き、人口も少なくなりました。</p>
<p>おまけに気候変動もあって住みにくい時代だったそうです。</p>
<p>上層階級の貴族の男性は度重なる戦争に兵士として出かけていかなくてはなりません。それこそ命がけの人生です。</p>
<p>そんな中、17世紀<strong>フランス</strong>では貴族と国王の関係が徐々に変化し、貴族たちはパワーを失うとともに、この時代から徐々に商人たちが経済力を背景に力を増していきます。このように経済的にも転換期でした。</p>
<p>それぞれの映画でも貴族出身の人、商人の家の人などが出てきて、マナー、振る舞いや価値観が違ったりします。フランスはイギリスと異なり、貴族階級がなかなか商人たちを仲間とすることを拒み両者は異なる社会グループとして存在し続けました。</p>
<p>登場人物が貴族か商人かを意識して見るだけでも面白いでしょう。</p>
<p>死と裏腹の人生、自分が愛する人と結婚できない人生、愛する人を死で失ってしまう人生、身分が高くとも、お金があっても何かと苦しいことが多い世の中を生きる中で、束の間の真実の愛が綺羅星のように輝いていたのでしょう。</p>
]]></content:encoded>
			</item>
		<item>
		<title>フランスのLGBT―芸術との深〜い関わり</title>
		<link>https://francechapeau.com/%e3%83%95%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%82%b9-lgbt-%e8%8a%b8%e8%a1%93/</link>
		<pubDate>Wed, 29 Apr 2020 01:36:56 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[francechapeau]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[フランスの恋愛]]></category>
		<category><![CDATA[LGBT]]></category>
		<category><![CDATA[フランス]]></category>
		<category><![CDATA[芸術]]></category>

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		<description><![CDATA[LGBTとは、Lesbian(レズビアン、女性同性愛者)、Gay (ゲイ、男性同性愛者)、Bisexual (...]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>LGBTとは、Lesbian(レズビアン、女性同性愛者)、Gay (ゲイ、男性同性愛者)、Bisexual (バイセクシャル、両性愛者)、Transgender (トランスジェンダー、性別越境者)の頭文字を取ったもので、セクシャル・マイノリティーの総称です。</p>
<p>今回はフランスの<strong>LGBT</strong>の現状についてご紹介します。芸術活動と深い関係があるのがフランスのLGBTの特徴です。</p>

<h2>LGBTについて</h2>
<p>LGBTはもともと英語から来たものですが、フランス語でもLGBTとなります。（Lesbiennnes, Gays, Bisexuels, Transgenres）</p>
<p>14世紀にgayというのは「幸せ、楽しい、心配がない」などの意味がありました。gayは1890年代に入ると、性的にゆるい＝楽しい、という意味から次第に売春宿を意味するようになりました。</p>
<p>その後英語でもフランス語でもgayは男性の同性愛者を意味するようになりました。</p>
<p>一方1940年代にhomosexuelという言葉も誕生しました。こちらは医学的意味合いが強く、どちらかと言えばgayのほうが言葉として気軽な印象があります。</p>
<p>今日日本やフランスなどではLGBTによって「性はグラデーション」という考え方が一般化しました。</p>
<p>つまり性について考えるとき単なる二項対立のオス、メスではなく、それらの間に横たわる多様なニュアンスを重視するようになったのです。</p>
<p>わたしたちのセクシアリティーは３つの要素で構成されていると言われています。</p>
<p>それらは「体の性」、「心の性」、「好きになる相手の性」で、その組み合わせによって個々人の様々なセクシュアリティーが想定されます。</p>
<img class="size-medium wp-image-1405 alignleft" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2020/04/スクリーンショット-2020-04-29-10.03.43-300x138.png" alt="" width="300" height="138" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2020/04/スクリーンショット-2020-04-29-10.03.43-300x138.png 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2020/04/スクリーンショット-2020-04-29-10.03.43-768x354.png 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2020/04/スクリーンショット-2020-04-29-10.03.43-1024x472.png 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2020/04/スクリーンショット-2020-04-29-10.03.43-728x336.png 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" />
<p>日本でも近年LGBTは注目を浴びているのはご存知の通りです。</p>
<p>タレントのはるな愛さんやマツコ・デラックスさん、一ノ瀬文香さんなど芸能人の人もカミングアウトしています。</p>
<p>日本政府はいじめ対策として2017年にLGBTの生徒を保護する政策を打ち出しています。</p>
<p>（Tokyo Rainbow Pride 2020から）<a href="https://tokyorainbowpride.com/lgbt/">https://tokyorainbowpride.com/lgbt/</a></p>
<p>2015年に渋谷区議会ではLGBTを対象として「パートナーシップ証明」の発行が可決されたことは記憶に新しく、それ以来いくつかの市町村でLGBTに対する同様な動きがあります。</p>
<p>しかし現状では日本ではLGBTのパートナーシップについて法的な拘束力はありません。</p>
<h2>LGBTの法的認知はパートナーシップから</h2>
<p>日本と異なりフランスではLGBTのパートナーシップは法的に認知されています。それがフランスと日本の一番の違いでしょう。</p>
<p>フランスでは1999年からすでに異性間のカップルでもLGBTでも民事連帯契約、いわゆるPACSと呼ばれるパートナーシップや同棲が認められるようになりました。</p>
<p>しかしPACSは結婚ほどの法的保障をもたらすものではありませんでした。</p>
<p>一方フランスの国民議会は2012年に初めて同性婚についての法案を議論しましたが、他のヨーロッパの国々以上に強い反対があったと言われています。</p>
<p>それは従来同性愛を強く禁止するカトリック教会の影響が強いお国柄のせいでもありました。</p>
<p>それでも同性婚はフランス革命以来キリスト教の社会的影響を払拭しようとした左派の伝統をくんだ社会党のオランド大統領のもと2013年に合法化されました。</p>
<p>翌年フランスでは24192の結婚届が提出されましたが、そのうち同性婚は10522件の４、4パーセントに登り、またそのうちの46パーセントはレズビアンの同性婚でした。</p>

<h2>フランスでは左翼政権がLGBTの社会的認知を促進</h2>
<p>歴史を振り返るとフランスでもLGBTは長い間政府から弾圧されてきました。</p>
<p>それでも最後にLGBTに死刑が執行されたのは1750年のことでした。フランス革命が始まるほぼ50年前のことです。</p>
<p>フランス革命後に制定された立憲君主制国家のもと、公私の区別をわきまえることを前提として私的行為としての同性愛は市民の自由となりました。</p>
<p>この立憲君主制国家は今日につながる市民権の多くを生み出したことで知られています。たとえばユダヤ教などのカトリック教以外のそれまで弾圧されていた宗教の自由もヨーロッパでいち早くこの時点で認められました。</p>
<p>ちなみにこの時離婚の自由も認められました。</p>
<p>LGBTの市民権も「おおっぴらにしない」ということを前提に認められました。<img class="size-medium wp-image-1410 alignright" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2020/04/flower-field-250016_1920-300x217.jpg" alt="" width="300" height="217" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2020/04/flower-field-250016_1920-300x217.jpg 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2020/04/flower-field-250016_1920-768x556.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2020/04/flower-field-250016_1920-1024x741.jpg 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2020/04/flower-field-250016_1920-728x527.jpg 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>それから再度<strong>フランス</strong>で同性愛が犯罪となったのは第二次世界体制下親ナチス政権として誕生したヴィシー政権の時代でした。</p>
<p>ヴィシー政権はフランス革命の価値観を否定してそれ以前のいわゆるアンシャンレジームの価値観を復興させようというもので、カトリック教の影響が復活しました。</p>
<p>第二次世界大戦後もLGBTに対する事情はそれほど変わりませんでした。</p>
<p>1960年代にLGBTは公共秩序を乱すものであるとしばしば糾弾されました。</p>
<p>1983年にLGBTなどを除外するいわゆる「良俗」の概念が取り除かれましたが、それもミッテラン大統領率いる社会党政権でした。</p>
<p>同性愛を含めてPACSによってパートナーシップを規定することが一般化するとともに、今度はLGBTに対する社会的偏見が糾弾されるようになっていきました。</p>
<p>そして2013年に社会党の大統領のイニシアティブによって同性婚が合法化されました。</p>
<p>歴史を振り返って見ると、フランス社会におけるLGBTの認知は確実に左翼政権によって推進されました。</p>
<p>フランス社会におけるLGBTの認知とは政治的価値と表裏一体ということです。つまり今日でもLGBTに反対し続ける人（政治的保守派）が存在する、ということです。</p>
<p>日本のようにいつのまにか社会がおしなべて認知していた、ということはありません。そのためにこの問題についていつまでも議論を続ける余地があります。</p>

<h2>芸術とLGBT:『アデル、ブルーは熱い色』</h2>
<p>日本でもLGBTを取り上げた『おっさんずラブ』などのドラマ、映画が大ヒットしましたが、フランスでも近年LGBTを描いた映画が増えいます。</p>
<p>映画『イブ・サンローラン』はファッションデザイナーのサンローランと彼の恋人の間の愛と別れを描いてヒットしました。</p>
<p><img class="size-medium wp-image-1403 alignleft" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2020/04/スクリーンショット-2020-04-28-21.58.27-278x300.png" alt="" width="278" height="300" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2020/04/スクリーンショット-2020-04-28-21.58.27-278x300.png 278w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2020/04/スクリーンショット-2020-04-28-21.58.27-768x830.png 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2020/04/スクリーンショット-2020-04-28-21.58.27-728x786.png 728w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2020/04/スクリーンショット-2020-04-28-21.58.27.png 848w" sizes="(max-width: 278px) 100vw, 278px" />一方レズビアンの愛を描いたフランス映画の代表作の一つとして『アデル、ブルーは熱い色』があります。</p>
<p>この映画は2013年に封切られており、それはフランスで同性愛婚が認められた年でした。</p>
<p>こちらに日本での公開の時の紹介があるので興味があればご覧ください。</p>
<p><iframe width="728" height="410" src="https://www.youtube.com/embed/1kDNChFzkco?feature=oembed" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></p>
<p>この映画はまず長い。３時間も続きます。激しい性的シーンのためにフランスでは12歳未満は禁止、アメリカでは18歳未満は禁止の映画です。</p>
<p>この点が子供にも好かれる淡いプラトニックラブを描いた『おっさんずラブ』との大きな違いでしょうか。<img class="size-medium wp-image-1402 alignright" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2020/04/スクリーンショット-2020-04-28-21.59.32-300x294.png" alt="" width="300" height="294" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2020/04/スクリーンショット-2020-04-28-21.59.32-300x294.png 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2020/04/スクリーンショット-2020-04-28-21.59.32-768x753.png 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2020/04/スクリーンショット-2020-04-28-21.59.32-1024x1005.png 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2020/04/スクリーンショット-2020-04-28-21.59.32-728x714.png 728w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2020/04/スクリーンショット-2020-04-28-21.59.32.png 1482w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>レズビアンの愛は「特別な友情」(amitié particulière)という言葉で表現されています。</p>
<p>フランス人にとって、友情と愛の間にもグラデーションがあることが感じられます。</p>
<p>この映画の原作はグラフィックノヴェル（漫画）です。</p>
<p>そのようなものが映画化されたものがカンヌ映画祭のパルムドール賞などの栄誉ある映画賞を複数受賞した、というのもこれまでに例をみないことでした。</p>
<p>このフランス映画はいろいろな意味で「型破り」です。</p>
<p>でも芸術の一部と捉えられるところがフランスのLGBT的かもしれません。</p>
<h2>LGBTを公表したフランスの有名人</h2>
<p>フランスでは同性愛というと芸術家のイメージが強い気がします。小説や映画などでは芸術家の並外れた感性の一部として同性愛が描かれることが頻繁にあります。</p>
<p>イブサン・ローランの例もそうですし、先ほど紹介した映画『アデル』もアデルと画家のエマの間の恋愛と別れを描いているという意味では芸術に深く関係したテーマとなっています。</p>
<p>またLGBTを公表したフランスの有名人は圧倒的に芸術家が多い、というのもLGBT＝芸術というイメージを強めています。</p>
<p>男性では、作家のマルセール・プルースト、アンドレ・ジードや哲学者のミッシェル・フーコー、学者のピエール・ボルドューやローラン・バルテなど。女性ではフランソワ・サガン。</p>
<p>フランスにはLGBT＝芸術家や学者としてのステータスシンボル、という側面があります。</p>
<p>ここに何よりも芸術を尊ぶフランスのお国柄が反映されています。</p>
<p>しかし現実のフランス社会においては、LGBTは決して芸術家や学者に限られているわけではありません。実際にはLGBTには様々なタイプの人がいるという意味では日本と同じです。</p>
<p>ちなみに日本におけるLGBT人口の割合は8パーセントで、それはAB型の血液を持った人よりも多いのです。</p>
<h2>ポピュリズムとLGBT</h2>
<p>フランス社会においてLGBTは日本以上に社会的、法的に認知されている存在です。同時に社会や経済の行きづまり感が強まる中、LGBTに対する世間の見方は年々厳しさを増しつつあることもまた事実です。</p>
<p>アメリカではオバマ大統領がLGBTの人権擁護を促進した後、トランプ大統領が彼らの人権をもろに否定するような政策を次々に打ち出しています。</p>
<p>人権を重んじるフランスの現政権がこのような立場を取ることはありえません。</p>
<p>ただ現在フランスには極右政権（国民戦線）を支持する人が多く、ポピュリズムの波が押し寄せています。彼らは移民やマイノリティーに対する差別意識が強いため、LGBTへの差別感情も否定できないでしょう。</p>

<h2>最後に</h2>
<p>ここではフランスにおけるLGBTの状況について簡単にご紹介しました。</p>
<p>日本とは違ってフランスの歴史を振り返った時カトリック教の影響が強く、それがLGBTの社会的認知に対しても大きな影響を及ぼしていることを指摘しました。</p>
<p>同性婚が合法化した、ということは社会の世俗化を目指したフランス革命の精神がフランス社会に深く根付いたことを示しています。</p>
<p>フランス社会ではLGBTは一筋縄ではいかないテーマです。そこには宗教が絡んでいるため、フランス革命の時代と同様に現代でもカトリック教を大事にしたいフランス人からは反発を受けます。<img class="size-medium wp-image-1408 alignright" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2020/04/pride-3475043_1920-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2020/04/pride-3475043_1920-300x200.jpg 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2020/04/pride-3475043_1920-768x512.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2020/04/pride-3475043_1920-1024x683.jpg 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2020/04/pride-3475043_1920-728x485.jpg 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>最後にフランスでは近年庶民にとっては社会、経済的に危機的な状況が続いており、彼らのLGBTに対する差別意識は強まる傾向にあります。</p>
<p>それでも<strong>芸術</strong>大国フランスでは美しいものを生み出す芸術家に対する社会的尊敬の念が強く、同性愛は彼らのステータスシンボルのようにもみなされています。</p>
<p>芸術というのは人生を豊かにする、というコンセンサスがあるために人々はLGBTの芸術家を個性として受け入れやすいのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
			</item>
		<item>
		<title>マリーアントワネットは、実はファッションの女王だった？</title>
		<link>https://francechapeau.com/%e3%83%9e%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%82%a2%e3%83%b3%e3%83%88%e3%83%af%e3%83%8d%e3%83%83%e3%83%88%e3%83%95%e3%82%a1%e3%83%83%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%b3%e5%a5%b3%e7%8e%8b/</link>
		<pubDate>Thu, 14 Feb 2019 02:31:34 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[francechapeau]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[フランス豆知識]]></category>
		<category><![CDATA[ファッション]]></category>
		<category><![CDATA[フランス]]></category>
		<category><![CDATA[マリーアントワネット]]></category>
		<category><![CDATA[女王]]></category>

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		<description><![CDATA[今日ファッションの都は世界にあちこちにあります。ニューヨーク、ロンドン、ミラノ、東京、アントワープ・・・・・・...]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>今日ファッションの都は世界にあちこちにあります。ニューヨーク、ロンドン、ミラノ、東京、アントワープ・・・・・・。</p>
<p>今日パリは世界で唯一の<strong>ファッション</strong>の都ではないかもしれません。でもハイファッションに限定すれば、パリは現在でも「世界で唯一のファッションの都」であり続けています。</p>
<p>ハイファッションとはフランス語のhaute couture（オートクチュール）の訳で、日本語で言えば高級ファッションです。プレタ・ポルテ、ストリートファッションではなく、注文服を指します。</p>
<p>パリがハイファッションの都となったのは、18世紀の絶対王政のこと。とりわけフランス革命に断頭台に消えた悲劇の女王、マリーアントワネットは彼女の卓越した美的感性によって、パリを現代に続くハイファッションの世界的都市に押し上げるのに貢献しました。</p>
<h2>18世紀後半、パリは世界のファッションの都になった</h2>
<p>今日パリ発のファストファッションは存在しません。</p>
<img class="size-medium wp-image-1028 alignleft" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/three-3075752_1920-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/three-3075752_1920-300x200.jpg 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/three-3075752_1920-768x512.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/three-3075752_1920-1024x682.jpg 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/three-3075752_1920-728x485.jpg 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" />
<p>その一方でパリの街にはハイ・ファッションを作り出す空気が漂っています。イブ・サンローランやシャネルは、パリ以外の街で誕生することはなかったでしょう。</p>
<p>それはパリには他の都市にはないファッションの歴史的伝統があるからです。フランスにおけるファッションのルーツは厳密には中世にさかのぼります。</p>
<p>でもパリがハイ・ファッションの都となった決め手は、17世紀から18世紀にかけての絶対王政の頃のことでした。それにはおよそ３つの要因があります。</p>
<p>１）フランスが贅沢品の生産国、輸出国としてリーダーになったこと。</p>
<p>２）ファッション、インテリア、コーヒー、ココア、お茶などの新しい習慣や食事を含めて、時代の最先端を行くライフスタイルを作り上げたこと。</p>
<p>３）植民地から様々な資源や新しいスタイルを取り入れることができたこと。</p>
<p>太陽王と呼ばれたルイ14世から始まって、ルイ15世、ルイ16世の妻や愛人たちは、パリファッションのトレンドセッターとなりました。ポンパドール夫人は「私の楽しみは金庫に入っている金について考えることではなく、それを出費してしまうことよ」と言っています。</p>
<p>今日のファッションの都、パリを築いたのは王室の伝統だけではありません。とりわけ1715年はフランスのハイファッションの歴史の分岐点でした。</p>
<p>それまで宮廷を支配していたのは堅苦しいまでのエチケットやマナーでした。1715年以降パリには形式を重んじない、自由な気風が生まれたのです。</p>
<img class="size-medium wp-image-1023 alignright" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/franz-winterhalter-92250_1920-237x300.jpg" alt="" width="237" height="300" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/franz-winterhalter-92250_1920-237x300.jpg 237w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/franz-winterhalter-92250_1920-768x973.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/franz-winterhalter-92250_1920-808x1024.jpg 808w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/franz-winterhalter-92250_1920-728x923.jpg 728w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/franz-winterhalter-92250_1920.jpg 1515w" sizes="(max-width: 237px) 100vw, 237px" />
<p>当時パリでは上層階級の女性はまばゆいばかりの内装が施された自宅のリビングをサロンとして解放し、顧客を招き入れ、会話を楽しみました。そしてパリにはオープンで都会的な文化が開花したのです。</p>
<p>当時イギリスやアメリカな裕福な旅行者たちはこぞってパリへ旅行に出かけましたが、パリジャンが新しい装いに夢中になっていることを目の当たりにして、強い驚きを示しています。</p>
<p>ある程度裕福な<strong>フランス</strong>の地方に住むフランス人や、外国人も、当時発刊されるようになったパリ発のファッションを読んで、こぞってパリのファッションを真似しようとしました。</p>
<p>こうした自由な気風、ファッションは古くからの宮廷の伝統とブレンドされることによって、パリは世界のハイファッションの都となったのです。その結果フランスでは、ファッションを「装う人の個性の表現」と捉えられる伝統が誕生しました。</p>
<h2>技術革新とファッション</h2>
<p>18世紀パリのファッションブレークを下支えしたのは、好調なフランス経済と技術革新でした。とりわけそれまで存在しなかった新しい布、素材が次々と誕生しました。</p>
<p>白いコットンのモスリン、絹や毛のジャージーなどです。</p>
<p>刺繍の入ったベルベットのコート、肘までのズボン、音のするシルクのタフタドレス、パニエによって膨らんだ腰、パウダーのかかった髪型。これらが当時のパリ発の最新のファッションでした。</p>
<h2>ファッションブームの立役者、ローズ・ベルタン</h2>
<p>パリをハイファッションの都に仕立て上げた立役者が、庶民階級出身の女性、ローズ・ベルタンです。</p>
<p>ベルタンは衣服やレース、羽、ボネ、センスなどのアクセサリーを売るばかりでなく、王室を中心とした顧客に対してスタイリストの役割を果たしました。実際ベルタンはマリーアントワネットのスタイリストとしても知られ、彼女は別名「ファッション大臣」として知られるようになりました。</p>
<h2>ロココスタイルから古典主義へ</h2>
<p>1770年マリー・アントワネットは14歳でオーストリア・ハンガリー帝国からフランスに嫁ぎます。当時ヴェルサイユ宮殿を含めてヨーロッパ全ての宮廷で、フランス風宮廷服が唯一の模範でした。もちろんマリーアントワネットも当初はそれに従っていました。</p>
<p>それは前開きのゆったりしたローブ・ヴァラントを盛装用にしたもので、後肩に縫い付けられた幅広い平たいダブルプリーツが流れるような裾のラインに特徴があります。</p>
<p>また逆三角形のボディス、数段のレース、薄い布の裾飾り、パニエで左右に大きくはったペティコートなどもその特徴でした。コルセットで胴体をきつく締め付けて胸を高くすることによって、逆三角形のボディーにほっそりしたウエストを強調させていました。</p>
<p>ところがパリの都会文化が育つに従って、次第に伝統的な宮廷のドレスが古臭く見えるようになって行きました。とりわけ締め付け型のドレスや重々しいガウンは旧態依然とした宮廷のしきたりを象徴しているかのように見えたのです。</p>
<p>そんな中でマリーアントワネットはベルタンを自分の衣装係に採用します。「ファッション大臣」に支えられたマリー・アントワネットは、ヨーロッパのファッション女王として君臨しました。</p>
<img class="size-medium wp-image-1032 alignright" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/MA-Lebrun-240x300.jpg" alt="" width="240" height="300" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/MA-Lebrun-240x300.jpg 240w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/MA-Lebrun-768x962.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/MA-Lebrun-818x1024.jpg 818w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/MA-Lebrun-728x911.jpg 728w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/MA-Lebrun.jpg 1000w" sizes="(max-width: 240px) 100vw, 240px" />
<p>とりわけ自由な気質で美しいものや新しいもの好きだったマリー・アントワネットは、率先してコルセットを外してシュミーズドレスを着用しました。</p>
<p>これは当時の宮廷では「革命」と捉えられるほどの事件でした。シュミーズドレスは当時は部屋着のようなもので、公の場で着用することは考えられませんでした。</p>
<p>ところが当時の記録によれば、マリーアントワネットはシュミーズドレスを着て宮廷の要人とも会見したそうです。このような女王のファッションは宮廷に大スキャンダルを巻き起こすとともに、多くの上流階級の女性がこぞって女王の真似をしました。</p>
<p>その後フランス革命が勃発した後シュミーズドレスはパリで大流行します。そしてパリばかりかフランス全体に普及して行きます。</p>
<img class="size-medium wp-image-1030 alignleft" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/David_-_Portrait-222x300.jpg" alt="" width="222" height="300" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/David_-_Portrait-222x300.jpg 222w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/David_-_Portrait-768x1039.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/David_-_Portrait-757x1024.jpg 757w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/David_-_Portrait-728x985.jpg 728w" sizes="(max-width: 222px) 100vw, 222px" />
<p><strong>マリーアントワネット</strong>が流行らせたのはシュミーズドレスばかりではありません。彼女は重たい金やパールのジュエリーを嫌がり、手袋、レースのハンカチ、センス、リボン、ストールなどを愛用しました。</p>
<p>マリーアントワネットは宮廷の重たい装いではなく、パリの都会的で軽やかなファッションを好んだのです。そんなマリーアントワネットのファッションは現在のフランス人女性のファッションにも受け継がれています。</p>
<p>例えばストールの掛け方として、フィシュマリーアントワネット、というスタイルがあります。それは四角いストールを三角の形にして女性の頭や肩にかけることを意味しますが、これもマリーアントワネットが流行らせたスタイルでした。</p>
<h2>マリーアントワネットはファッションクイーンであり続ける</h2>
<p>今日世界中の人々がマリー・アントワネットに抱くイメージは様々です。</p>
<img class="size-medium wp-image-1021 alignleft" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/paris-291604_1920-300x225.jpg" alt="" width="300" height="225" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/paris-291604_1920-300x225.jpg 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/paris-291604_1920-768x576.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/paris-291604_1920-1024x768.jpg 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/paris-291604_1920-728x546.jpg 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" />
<p>日本では悲劇のクイーンとしてマリー・アントワネットは大人気です。マリーアントワネット展が頻繁に開かれています。</p>
<p>本国フランスでは少し事情が違います。人々は政治的な目でマリーアントワネットを見ます。</p>
<p>現在でもフランスにはかつてのフランス王政を支持する人がいますが、彼らはマリーアントワネットに親愛の情を持っているでしょう。しかし大半の庶民のフランス人たちは、マリー・アントワネットはフランス王国の女王に値しない外国の女性だった、と冷たく見放しています。</p>
<p>歴史舞台の中心人物であったマリーアントワネットについての見方が、人や文化によって異なるのは避けられません。しかし文化の視点から見たとき、ファッションクイーンとしてのマリーアントワネットを否定する人はいないでしょう。</p>
<p>マリーアントワネットは唯一愛人を持たない堅物の国王の妻でした。そんな夫はマリーアントワネットにベルサイユ宮殿の娯楽係を命じました。</p>
<p>マリーアントワネットのおかげでベルサイユ宮殿はお祭り気分で盛り上がりました。週に２回のダンスパーティーと演劇。それに加えて多くの儀式、晩餐会。そしておしゃれなファッションや遊び・・・・。</p>
<p>当時それまで固定されていた身分や階級の違いは薄れかけていました。お金のあるブルジョワ階級は金欠のフランス王政から貴族の位を買うこともできました。</p>
<p>そんな社会の流動性と閉塞性が混在する中、ヴェルサイユ宮殿を訪れる全ての人にとっても着飾ることの意味合いが変化して行きます。衣装は身分を表現するものではなく、個人としてのアイデンティティーを示すものへと変化して行きました。</p>
<p>そして個人としてのアイデンティティーからファッションを楽しんだ最初の人がマリーアントワネットだったのです。その意味でマリーアントワネットは現代に続くファッションのあり方を規定した最初の女性、と言えます。</p>
<p>ディオールの専属デザイナーを突如退任したイギリス人デザイナー、ジョン・ガリアノ。</p>
<p>彼は2010年春夏のディオールのコレクションで驚くべき斬新なマリーアントワネットスタイルを復活させました。詳しくは下のブログを訪問して見てください。</p>
<p>http://sfair.blogspot.com.sanityfairblog.com/2010/02/john-gallianos-marie-antoinette.html</p>
<p>マリーアントワネットは今日でもフランスのファッションの<strong>女王</strong>であり続けています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
			</item>
		<item>
		<title>あなたもこれで恋愛上手になれるー『星の王子さま』 の名言から読み解くフランスの恋愛ー</title>
		<link>https://francechapeau.com/%e3%83%95%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%82%b9%e6%81%8b%e6%84%9b%e5%90%8d%e8%a8%80/</link>
		<pubDate>Wed, 13 Feb 2019 01:57:09 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[francechapeau]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[フランスの恋愛]]></category>
		<category><![CDATA[フランス]]></category>
		<category><![CDATA[名言]]></category>
		<category><![CDATA[恋愛]]></category>

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		<description><![CDATA[アントワーヌ・ド・サン＝テグジュペリ（D’Antoine de Saint-Exupéry, 1900 年―1...]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>アントワーヌ・ド・サン＝テグジュペリ（D’Antoine de Saint-Exupéry, 1900 年―1944年）が書いた『星の王子さま』は、フランスの文学作品として世界で絶大な人気を誇っています。</p>
<p>『星の王子さま』は、聖書の次に世界中で一番読まれているストーリーです。もちろん日本でも老若男女、多くの人が『星の王子さま』のファンです。</p>
<p>『星の王子さま』には友情、旅行、愛、空間、危険など様々なテーマが盛り込まれています。そして『星の王子さま』はフランス的恋愛に関する名言の宝庫でもあります。</p>
<p>ここでは『星の王子さま』が伝えるフランス的<strong>恋愛</strong>観について、３つの視点からご紹介しましょう。</p>
<p>１）恋愛とは手間と時間によって育まれるもの</p>
<p>２）魅惑するとは隠すこと</p>
<p>３）なぜ本当に重要なものは目で見えないのか</p>
<h2>『星の王子さま』のあらすじ</h2>
<p>『星の王子さま』は27章から構成された短いお話です。基本は子供のために書かれた童話ですが、大人が読んでも意味深いストーリーです。</p>
<img class="size-medium wp-image-997 alignleft" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/forest-2386721_1920-300x110.jpg" alt="" width="300" height="110" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/forest-2386721_1920-300x110.jpg 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/forest-2386721_1920-768x282.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/forest-2386721_1920-1024x375.jpg 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/forest-2386721_1920-728x267.jpg 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" />
<p>主人公は、まだ子供で、可愛らしい王子様。自分の惑星を出て地球に来ましたが、また帰っていくという話です。</p>
<p>フランス語ではle petit prince, 英語ではthe little prince、日本語では『星の王子さま』です。フランス語や英語の「小さい」とは単に小さいのではなく可愛い、の意が込められています。</p>
<p>ここでは簡単に粗筋を紹介します。</p>
<p>操縦していた飛行機のエンジンの故障によって、パイロットはサハラ砂漠に着陸します。彼はそこで、羊を書いて欲しい、と言う星の王子さまに出会います。</p>
<p>パイロットはとても驚き、この子供が誰で、どこから来たのか知りたくなります。でも星の王子さまはパイロットの質問に答えません。</p>
<p>しかし日が経つに連れて、パイロットは美しいブロンドの髪を持つこの少年の話の全容を次第に理解していきます。</p>
<p>星の王子さまはアステロイドB612という惑星に住んでおり、そこには３つの火山があり、バオバブと面倒臭いバラも生息していることも・・・・。ある朝、星の王子さまは自分の星を抜け出し、アフリカ大陸に到着し蛇と話します。</p>
<p>その後地球を一回りして、狐と出会います。その狐から友達を作るためには「（相手を自分に）なつかせないといけない」と教わります。</p>
<p>地球への旅を続ける中で、星の王子さまは、次第に周囲の大人たちが「存在」の本質的意味について忘れてしまっていることに気づきます。</p>
<p>８日目に、パイロットと小さな王子さまが砂漠の中で井戸を探し回っていると、そのまま日が暮れてしまいました。そして朝日が登る頃、二人はやっと井戸を見つけます。</p>
<p>それはあと１日で、星の王子さまがお国の惑星を去ってちょうど１年が経つという時でした。星の王子さまはその時自分の惑星に戻ることを決心します。</p>
<p>自分の惑星に戻るために、星の王子さまは毒を持った蛇に噛んでもらって、あまりにも重たい自分の体から自由になろうとします。</p>
<p>星の王子さまは言います。「僕は死んだように見えるけどそれは本当ではないからね。」</p>
<p>６年後、パイロットは無事帰還し、星の王子さまが地球に戻ってくるのを待っています。空の星を眺めて、パイロットは星の王子さまが、そのうちのどれかの星にいると考え、星の王子様について思いを巡らします。</p>
<p>では次に『星の王子さま』の三つの名言を挙げて、フランス的恋愛観について見ていきましょう。</p>
<h2>１）恋愛とは手間と時間によって育まれるもの</h2>
<p>君がバラのために費やした時間に比例して、バラは（君にとって）とても重要な存在になるんだよ。（21章）</p>
<img class="size-medium wp-image-995 alignleft" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/hot-air-balloon-590132_1920-300x204.jpg" alt="" width="300" height="204" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/hot-air-balloon-590132_1920-300x204.jpg 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/hot-air-balloon-590132_1920-768x522.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/hot-air-balloon-590132_1920-1024x695.jpg 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/hot-air-balloon-590132_1920-728x494.jpg 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" />
<p>君は君がなつかせた物や人に対して永久に責任を持たなくちゃならないんだ。（21章）</p>
<p>愛を育むためには時間がかかります。一方で現代に生きる私たちは時間が砂時計の砂のようにどんどん無くなっていくことを感じています。</p>
<p>ITの発達により、多くの情報が伝播し、それらが刻々と変化すると、国際的な経済競争が激化し、技術革新のサイクルも早くなり、私たちは即座にそれらの変化についていかなくてはなりません。</p>
<p>そんな社会では、恋愛を育むために時間をかける、ということがますます難しくなってきます。</p>
<p>こんな社会だからこそ、手早く出会って、手早く関係を作って行きたい、と思うのではないでしょうか。とにかく立ち止まっている、ということがないのですから。</p>
<p>サン・テグジュベリは、私たちに忘れがちなことを教えてくれます。恋愛は、無為に思える手間や時間をかけることによって膨らんでいきます。</p>
<p>そのような時間を繰り返すことによってのみ、それまでほかの物や人と同様で、特別な存在でなかった物、人が、あなたにとって唯一無為の特別な存在になっていきます。</p>
<p>この名言を初めて口にしたのは狐です。彼は「なつかせて」「仲良くなっていく」時間と言っています。</p>
<p>サン＝テグジュペリ自身は私たちよりも半世紀以上も前に生きた人なので、現代人のような社会について知らなかっただろう、と思われるかもしれません。</p>
<p>ところがそうでもないのです。サン＝テグジュペリは人生における時間の速さについて、強く意識していたからこそ、このようなことを強く感じたのでしょう。</p>
<p>なぜならサン＝テグジュペリは旅人だったからです。それもただの旅人ではなく、長距離を旅する飛行士だったからです。</p>
<p>フランスがナチスドイツに占領された後、サン＝テグジュペリはアメリカへ亡命します。ところがやはりフランスのことが気になり、ヨーロッパへ戻ってきます。</p>
<p>そして自由フランス（ドイツへの抵抗運動を行った政治グループ）に加担し、占領されたフランスを奪回すべくパイロットになったのです。</p>
<p>サン＝テグジュペリは地中海をパイロットとして飛んでいた時、敵国に撃たれて亡くなりました。彼は亡命者、パイロットなどとして、国境を超えて、生涯色々な国を旅しました。</p>
<p>同じところにとどまっている時間、愛する人といる時間は普通の人よりも格段に限られていたからこそ、サン＝テグジュペリは恋愛が深まることと時間の長さが比例することを、強く意識したに違いありません。</p>
<h2>２）魅惑するとは隠すこと</h2>
<p>『星の王子さま』から、エロチシズムのあり方について知ることができます。それは主に24章に書かれています。</p>
<p>この点について甲田純生氏による興味深い解釈を紹介します。</p>
<p>パイロットと星の王子さまは広大な砂漠の中で、井戸を探して歩き回ります。</p>
<p>その時星の王子さまは言いました。</p>
<p>「砂漠は美しいね」「砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しているからだよ・・・」</p>
<p>するとパイロットはハッとしました。小さい頃自分の家にも秘密があったことを思い出したのです。</p>
<p>ただ砂漠の中の井戸と家の中の秘密は、同じ秘密でも異なる秘密です。</p>
<p>砂漠の中の井戸は探してもいいけど、家の中の宝物は探してはいけません。家の中の宝には性的な意味あいが込められているからです。</p>
<p>人間の性が文化の域に達するためには、性は社会的タブーとなる必要があります。「禁止」されることによって、性に対する関心が強まります。</p>
<p>カトリック教のフランスでは、同時に性的に奔放な文学や哲学などの伝統があります。それはもともとカトリック教が子供を持つこと以外の理由で性的行為を禁止したため、性的行為自体が大きな魅力を放つようになったのです。</p>
<p>カトリック教の影響が弱まった現代のフランスでも、性が文化として生き続けています。</p>
<p>例えばフランス人にとってヌードとは、単に服を脱ぐことではありません。</p>
<p>「フランスでは妻は決して裸で夫の前を歩きません。歩いてはいけないのです。そんなことをしたら夫はお昼のランチを買ってくれません。」（Elaine Sciolino, La seduction, 151）</p>
<p>パリのダンスショーでは、暗闇の中女性のダンサーたちがバッキンガム宮殿で女王を護衛する警備隊のようなユニフォームを着用して踊ります。目を凝らしてみると、お尻と胸だけがあらわになっています。</p>
<p>軍服や警官などの制服は社会秩序を象徴しており、エロチシズムからみれば一番遠い存在です。そのような制服に身を包んだダンサーが踊るという、秩序と無秩序が計算し尽くされた演出です。</p>
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<p>このダンス・ショーに似たシーンが『星の王子様』にもあります。それは星の王子さまが故郷の惑星で、赤い薔薇に初めて出会うシーンです。</p>
<p>花は緑色の小部屋にこもったきり、いつまでも身支度を終えようとしない・・・・彼女の望みはまばゆいばかりの美しさでデビューすること。</p>
<p>星の王子さまが待ちわびていた後で、やっと赤い薔薇が咲きます。王子さまは思わず叫びました。「あなたはとても綺麗です。」</p>
<p>赤い薔薇は、化粧、すました態度などを通じて相手を素の自分から遠ざけます。禁止のメッセージを送ることによって、逆に星の王子様の関心を惹きつけたのです。</p>
<p>フランス人男女にとって、エロチシズムとは何よりも隠すことから始まります。</p>
<h2>３）本当に重要なものはなぜ目に見えないのか</h2>
<p>『星の王子様』の中で最も有名な<strong>名言</strong>の一つは、重要なものは目に見えない、と言うものです。ストーリーの中でこの名言は何度も言葉を変えて出てきます。</p>
<p>目で見えるものは人を盲目にする。心で見つけなくちゃいけない。（15章,21章）</p>
<p>砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しているからだよ。（23章）</p>
<p>でもね、目は盲目だよ。心で見つけなきゃ。（25章）</p>
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<p>重要なものは目に見えない。この言葉は恋愛にも当てはまります。</p>
<p>『星の王子さま』の中で恋愛に関わる場面と言えば、赤い薔薇と星の王子さまの出会いの場面です。ところが、意外なことに、赤い薔薇と星の王子さまの出会いは、まず見かけから始まっています。</p>
<p>星の王子さまは赤い薔薇の美しさにまず心を打たれます。そしてその後、彼女の気まぐれに悩まされることになります。赤い薔薇は見栄っ張りで、すぐ機嫌を損ねるからです。</p>
<p>赤い薔薇「私、風がとても苦手なの。衝立はお持ち？」</p>
<p>星の王子さま「風が苦手だなんて・・・・植物なのにかわいそうだな」「この花は一筋縄ではいかないんだ・・・」(21章)</p>
<p>こうして王子さまは、心の底では赤い薔薇を愛したいと思いながら、にわかには彼女のことが信じられなくなります。些細な言葉をいちいち間に受け、そしてその度にひどく傷つきます。</p>
<p>星の王子さまは次第に、恋愛する男女が言葉を交わし理解しあうことに限界があることに気づきます。あたかもそれは赤い薔薇が美しい容姿を持っていたため、余計難しいものだったかのような印象を与えます。</p>
<p>そんな美しい赤い薔薇との紆余曲折を経て、星の王子さまは、言葉を超えた愛や心について、次第に感じ取っていくのです。</p>
<p>「言葉は誤解の源だ。」（21章）、「花の言葉ではなくて、振る舞いで判断すればよかったのに。・・・つたない駆け引きの裏に、優しさが隠れていることに気づくべきだった。」(21章)</p>
<p>そして地球で、赤い薔薇との関係について反省する中で、重要なものは目に見えないことを確認します。</p>
<p>「僕は経験が足りなかったんだよ。だからどうやって花を愛してあげたらいいか、分からなかったんだ。」(21章)</p>
<p>「これが僕の秘密だよ。至極簡単なことさ。心でしか見えない、ということ。本当に重要なことは目では見えないんだよ。」（21章）</p>
<p>以上の赤い薔薇と星の王子さまのやりとりから、フランス的愛とは目から入って行って、目に見えない貴重なものを見つけるプロセスである、と理解できます。</p>
<p>パイロットも星の王子さまの言葉の真意を理解しました。</p>
<p>僕は彼（星の王子さま）の青白い額や閉じた両目、風にそよぐ髪の房が月光に照らされるのを見て、こう思った。「いま見えているものは外側にすぎない。大切なものは、目に見えない。」(24章)</p>
<p>フランス人は元来見かけが美しいものがとても好きです。美しくないものには関心を持ちません。</p>
<p>星の王子さまも同じです。美しいから赤い薔薇に惹かれたのです。でも星の王子さまは、時間をかけて、外側から内側の重要性へと辿り着きます。</p>
<p>美しいゆえプライドの高い赤い薔薇を、それでも星の王子さまは愛おしく感じ続けています。実際サン・テグジュペリも相当な面食いだったのです。彼の奥さんは大変な美人でしたから。</p>
<p>こうして見ると「大事なものというのはねえ、目には見えないんだよ。」という名言も額面通りに受け取るだけでは不十分ではないか、と思えてきませんか・・・。</p>
<h2>まとめ</h2>
<p>ここでは３つの名言から、『星の王子さま』に表現された<strong>フランス</strong>的な恋愛観について紹介しました。「フランス的恋愛」というのはそれだけで完結してしまうものではありません。</p>
<img class="size-medium wp-image-994 alignleft" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/door-2082742_1920-200x300.jpg" alt="" width="200" height="300" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/door-2082742_1920-200x300.jpg 200w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/door-2082742_1920-768x1152.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/door-2082742_1920-683x1024.jpg 683w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/door-2082742_1920-728x1092.jpg 728w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/door-2082742_1920.jpg 1280w" sizes="(max-width: 200px) 100vw, 200px" />
<p>フランス的恋愛とは、そこからもっともっと広くて深い世界へ行くための入り口です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>参考文献　甲田純生　『「星の王子さま」を哲学する』</p>
<p>星の王子さま</p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
			</item>
		<item>
		<title>フランス・メディアはカルロス・ゴーン氏逮捕に対してこんな反応を示した  ―日本の司法制度ー</title>
		<link>https://francechapeau.com/%e3%82%b4%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%83%95%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%82%b9%e3%83%a1%e3%83%87%e3%82%a3%e3%82%a2%e5%8f%b8%e6%b3%95/</link>
		<pubDate>Tue, 12 Feb 2019 03:44:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[francechapeau]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[フランス豆知識]]></category>
		<category><![CDATA[フランス]]></category>
		<category><![CDATA[メディア]]></category>
		<category><![CDATA[司法]]></category>
		<category><![CDATA[日本]]></category>

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		<description><![CDATA[（この記事は2019年２月14日のものです） ゴーン日産元会長が2018年11月18日に突如逮捕されてから、ほ...]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>（この記事は2019年２月14日のものです）</p>
<p><strong>ゴーン</strong>日産元会長が2018年11月18日に突如逮捕されてから、ほぼ3ヶ月が経過しました。現在ゴーン氏は特別背任と金商法違反によって追起訴され、勾留が続いています。</p>
<p>日本ほどではないですが、フランスのメディアもゴーン氏の逮捕について取り上げました。</p>
<p>ではフランスのメディアはこの事件をどう捉えたのでしょうか。</p>
<p>結論から言えば、フランス・メディアは遠いかなたの国である日本で起こった事件をきっかけにして、自国とは異なる日本の司法制度に強い関心を示しました。</p>
<h2>ゴーン氏の経歴</h2>
<p>まずゴーン 氏の経歴から簡単にご紹介しましょう。</p>
<p>1954年　ブラジルで生まれる。両親はレバノン人。</p>
<p>1974年　20歳でフランスの超難関工学系グランゼコールのポリテクニックに入学、その後パリ国立高等工業学校も卒業。</p>
<p>フランスの高等教育機関は、通常の大学とグランゼコール（grandes écoles)に分かれています。原則として高校を卒業して大学入学資格（バカロレア）を取得すれば誰でも大学へ行けます。（だからと言ってすべての大学入学者が卒業証書を手にすることができるわけではありません。）</p>
<p>一方グランゼコールに入学するためには、厳しい受験勉強を経た後、高い倍率の入学試験に合格しなければなりません。パリを始めとした優秀な高校にはグランゼコール受験のための特別クラスが併設されています。</p>
<p>ゴーン氏はグランゼコールに入学しました。エンジニア養成としてフランス国内で第一位のランキングを誇るポリテクニックとパリ国立高等工業学校を卒業した生え抜きのエリートでした。</p>
<p>ゴーン 氏のほかにレバノン出身の数人の学生がポリテクニックに入学したそうです。彼らと同じ学年だったフランス人の話によれば、外国人であるためレバノン出身の学生は総じて内気で大人しかったが、ゴーン 氏のみ自分に自信があって、フランス人を前にしても押しの強い、アグレッシブな態度だったそうです。</p>
<p>1978年　フランスの大手タイヤメーカー、ミシュランに入社。</p>
<p>これらの全国の生え抜きのエリート養成機関を卒業した後、ゴーン 氏はフランスの田舎町クラモンフェランに本社のある伝統的なタイヤの製造会社ミシュランに就職しました。</p>
<p>これはゴーン 氏ほどの学歴を持つ人の選択としてはありえないもので、周囲のフランス人はとても驚いたそうです。</p>
<p>なぜならゴーン氏ほどの学歴を持っていた場合、通常なら金融業界に就職し、パリやロンドンなどの大都市で高額の収入を得ることを選択するからです。マクロン大統領などもこのパターンです。</p>
<p>大学卒業時から、ゴーン 氏は自動車業界で働きたいという気持ちがはっきりしていたのでしょう。そしてヨーロッパ随一のタイヤメーカー、ミシュランに18年勤務します。</p>
<p>ブラジル出身だったゴーン 氏は、例外的に若い年齢でブラジルのミシュラン工場の責任ある立場に立たされます。それはブラジルには彼のような人材がいなかったためでした。</p>
<p>それがその後のゴーン氏のキャリアの成功の鍵となったのです。</p>
<p>ちなみに日本では、ミシュランとはレストランのランキングが掲載されたミシュランガイドでおなじみです。ミッシュランガイドは1900年にスタートしました。</p>
<p>当初はミシュランのタイヤを購入した顧客に無料で配布されるパンフレットでした。美食と自動車はバカンスというフランスの国民文化を通じてつながりがあったのです。</p>
<p>1996年　ルノーの上席副社長に就任し、同社の再建に成功。</p>
<p>1999年　日産のCOO（最高執行責任者）に就任：この時ルノーは日産の株の36.8パーセントを買収するとともに、ゴーンは日産の企業再生に従事し、15パーセントの雇用を削減し、経営者として成功を収めた。</p>
<p>日産自動車の社長兼最高経営責任者(CEO)、ルノーの取締役会長兼CEP, ルノー・日産アライアンスの会長兼最高経営責任者（CEO）に就任。</p>
<p>その後三菱自動車工業の代表取締役会長に就任。</p>
<p>2017年日産の代表取締役社長兼CEOを退任するが、同代表取締役会長は続ける。</p>
<p>2019年1月24日　ルノーの会長を辞任</p>
<p>2019年2月日産代表取締役を退任</p>
<h2>ゴーン氏の容疑</h2>
<p>2008年　投資の損失を日産に付け替えた疑い(10月)            <img class="size-medium wp-image-1131 alignright" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/ville-de-lyon-4238823_1920-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/ville-de-lyon-4238823_1920-300x200.jpg 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/ville-de-lyon-4238823_1920-768x512.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/ville-de-lyon-4238823_1920-1024x682.jpg 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/ville-de-lyon-4238823_1920-728x485.jpg 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>2009年　知人の会社に資金を流出させた疑い(09-12年)</p>
<p>2010年　役員報酬の虚偽記載の疑い（10年〜）</p>
<p>2018年11月19 日　逮捕</p>
<p>ゴーン 氏の容疑についてはその後も検察側の情報のリークを中心に日本のマスメディアでも報道されています。今後裁判が始まれば、より正確な事件の概要が明らかになっていくでしょう。</p>
<h2>フランスメディアの当初の反応</h2>
<p>日本でもフランスでもゴーン氏の逮捕は、晴天の霹靂でした。フランスの左翼系日刊経済新聞エコーは、東京のゴーン氏に近い外国人国籍の人々の驚きの声を紹介しました。</p>
<p>「経済的に正当な理由があるなら、企業が幹部のために海外の不動産を買い占める可能性を否定することはできないだろう」（エコー2018年11月21日）</p>
<p>「検察側はゴーンが報酬の一部を隠し、少なく見積もったと言っている。しかしこれらの報酬は公開されていたはずだ。ゴーン氏が果たしてそんなことをして個人的に利益があったとは考えにくい」（エコー2018年11月21日）</p>
<p>「誰が間違いを犯したのか。日産の関係者もこれらの情報を調べることはできたに違いない。とても不思議だ。」（エコー2018年11月21日）</p>
<p>「ゴーン氏と日産の日本人の役員の間で、日産とルノーの力関係についての認識がこじれていたようだ」（エコー2018年11月21日）</p>
<p>エコーを始め、すべてのフランス・メディアの当初の反応は、大きな驚き、そしてなぜこんな事件が起きたのかわからない、というクエスチョンマークでした。そのため「これはなんかの間違いじゃないか」「陰謀に違いない」というのがフランス・メディアの一致した意見でした。</p>
<img class="size-medium wp-image-926 alignleft" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/jet-821357_1920-300x199.jpg" alt="" width="300" height="199" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/jet-821357_1920-300x199.jpg 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/jet-821357_1920-768x510.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/jet-821357_1920-1024x680.jpg 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/jet-821357_1920-728x483.jpg 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" />
<p>ちなみに、羽田空港でゴーン氏がプライベートジェット機から降りたって逮捕された時、日本側に「カメラが準備されて」いたことも、こうしたフランス・メディアの疑わしい印象を強めた理由の一つでした。</p>
<p>またゴーン氏のみ厳しい取り締まりを受け、日産の日本人幹部が咎められないことも、フランス・メディアの陰謀説に信憑性を与えることとなりました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2>日本の司法制度は厳しい</h2>
<p>極東の日本で起こった事件は、フランス・メディアにとっても晴天の霹靂でした。</p>
<p>その後フランス・メディアは少しづつ事態を理解し始めました。しかし事件の詳細以上に、フランス・メディアは日本の検察当局によるゴーン氏の勾留条件を含めた「日本の<strong>司法</strong>制度の厳しさ」について関心を寄せました。</p>
<p>実際日仏では容疑者に対する法制度が大きく異なります。</p>
<p><strong>フランス</strong>では原則として容疑者の身柄の拘束は１日限りで、その後拘束が延長されるにしても、最大で数日程度のみです。それには推定無罪の原則が働いています。</p>
<p>推定無罪とは「何人も有罪を宣告されるまでは無罪と推定される」という基本原則です。この原則の歴史的起源はフランス革命のときに発布された人権宣言です。つまりフランスは推定無罪説の本拠本元です。</p>
<p>現在では推定無罪は国際人権条約にも明記されており、国際的に広く認められた人権の一つです。もちろん日本も批准しています。</p>
<p>そのためゴーン氏の保釈願いが拒絶されたとき、フランス・メディアは一様に驚きの反応を示しました。</p>
<p><strong>フランス</strong>の新聞はゴーン氏の勾留について、フランス国内でゴーン容疑者のような勾留を被るのはテロリストぐらいしかいない、と指摘したほどです。</p>
<img class="size-medium wp-image-924 alignright" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/hammer-719066_1920-300x225.jpg" alt="" width="300" height="225" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/hammer-719066_1920-300x225.jpg 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/hammer-719066_1920-768x576.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/hammer-719066_1920-1024x768.jpg 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/hammer-719066_1920-728x546.jpg 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" />
<p>とりわけ日本の司法制度のあり方に批判的だったのは、保守の立場からフランスビジネス界の声を伝えるフィガロ紙です。</p>
<p>フィガロ紙は１月に、ゴーン氏の家族による、日本の検察に対する不満の声を掲載しました。</p>
<p>息子にインタビューするとともに、ゴーン容疑者の妻が夫に送った手紙も公開しました。（フィガロ紙、2019年1月6日）</p>
<p>フィガロ紙は、日本におけるゴーン氏の勾留が「非人間的」なことを指摘しました.</p>
<p>そしてゴーン容疑者の息子の話として、日本の拘置所では一日に白いご飯が三杯しか出てこない、畳二畳の狭いものだ、などと伝えています。</p>
<p>しかし時が経つにつれて、左翼系経済新聞エコー紙は、ナショナリスト的な反応を示すフィガロ紙とは異なる見方を示すようになっていきました。</p>
<p>エコー紙は、ゴーン氏の日本での勾留の条件がフランスの勾留の条件とは異なるものであることを認めつつ、だからと言ってゴーン氏の勾留が日本の他の囚人の状況と異なるわけではない、と指摘しました。</p>
<p>日本の拘置所では白飯に加え、野菜、おかずのついた定食が朝、昼、晩三度出ること、希望すればチョコレートパンを買うこともできる、とエコー紙はフィガロ紙を修正しました。</p>
<p>アメリカのニューズウイーク紙によれば、独房室の広さはおよそ３畳。監視カメラとマイクが設置されている可能性があると言います。</p>
<p>布団、小さなテーブル、座布団があり、壁には流しがあり、食べた食器は自分で洗います。また部屋には暖房器具はないそうです。（「カルロスゴーン逮捕に見る日本の司法制度の異常さ、レジスアルノー、ニュースウイーク紙　2018年12月7日」</p>
<p>ゴーン氏自身は牢獄で夜間を通して電気がつけっぱなしなことについて不満を漏らしている、とのことです。</p>
<h2>ゴーン氏は推定無罪ではないか？</h2>
<p>ゴーン氏の逮捕、日産の西川社長の記者会見の後、日本のメディアは検察側の情報を根拠として、ゴーン氏告発に関する情報を一方的に報道しました。</p>
<p>またゴーン氏が容疑を否認したため、保釈も容易には認められませんでした。そしてその後ゴーン氏は再起訴され、勾留され続けています。</p>
<p>このような状況の中で、多くのフランスメディアは、ゴーン氏の推定無罪が尊重されていない点について指摘しました。</p>
<p>エコー紙は日本の法制度について次のように説明しています。</p>
<img class="size-medium wp-image-922 alignleft" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/bookcase-335848_1920-300x199.jpg" alt="" width="300" height="199" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/bookcase-335848_1920-300x199.jpg 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/bookcase-335848_1920-768x510.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/bookcase-335848_1920-1024x680.jpg 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/bookcase-335848_1920-728x483.jpg 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" />
<p>「日本では検察が強権を持っている。事件について徹底的に調査した結果有罪判決の率は極めて高い。一度容疑者が検察の捜査を受けるや否や、日本の司法は無慈悲になる。ゴーン氏はもはや有罪を避けられないように見える。」</p>
<p>「日本では検察官は危ない橋は渡らない。少しでも疑いがあったときは勾留をしない。毎年平均60パーセントの刑事事件は証拠を揃えられない、という理由で捜査にすらならない。例えばレイプなどである。」</p>
<p>「理論的には独立した立場を持つ裁判所であるが、実際には検察当局には逆らわない。しかし例外として、今回のゴーン事件では、東京地方裁判所は東京地検特捜部によるゴーン氏らの勾留延長請求を退けた。」（以上エコー2019年１月23日の記事から）</p>
<h2>ゴーン氏逮捕は策略だ</h2>
<p>ゴーン氏の勾留条件が厳しいこと、推定無罪が尊重されていないなどの問題に加え、フランスメディアで最も根強い意見として、策略説が挙げられます。</p>
<p>策略説とは、日本の司法が経済、政治的な道具となったのではないか、ゴーン氏の逮捕は経済的利権が絡んだ策略ではないか、日産がルノーに吸収合併される危険を避けるためにゴーン氏が逮捕されたのではないか、というものです。</p>
<p>当初フランスの全ての日刊紙はおしなべてこの説に同調していました。</p>
<p>しかし逮捕から１週間ほど経つとフランス・メディアは落ち着きを取り戻し始め、策略説も次第に弱まって行きました。</p>
<p>この点で最も明確な態度の変化があったのは、やはり左翼系のエコー紙でした。</p>
<p>エコー紙は当初「ゴーン氏と日産の日本人幹部の関係は良好ではなかった。これは策略だ」と書きたてました。</p>
<p>しかしそれから２週間後、エコーはこのような考え方と距離を置くようになり「策略説は信じがたい」と立場を豹変させました。</p>
<p>フランス<strong>メディア</strong>が考え方を変える理由となったのは、ルノー出身の日産のフランス人役員二人が、ゴーン氏の解任に賛成したためです。</p>
<p>またフランスメディアが策略説を退けた理由として、日本の政治的利害と一致しないとの理由も挙げています。</p>
<p>「今後日本経済が成長を持続するためには、海外投資家を呼び込まなければならない。しかし日産の日本の幹部には何ら悪影響がなく、外国人のゴーン氏のみ逮捕されるという今回の逮捕劇によって、西欧の投資家は日本から遠ざかるだろう。」（エコー、2018年11月27日）</p>
<p>ゴーン氏の逮捕は日本政府にとっても好ましくない事件である、というのはフランス・メディアの一致した見方です。</p>
<p>その結果、フランスメディアは最終的に、日本では司法が行政から独立している、という事実を学んだのです。</p>
<p>一方ゴーン氏自身は自分の容疑が「策略」であると主張し続けています。</p>
<h2>結論</h2>
<p>ここでは、ゴーン氏逮捕の後、フランス・メディアが日本の司法制度のあり方に強い関心を示したことを指摘しました。最後にそのなぜ？についてまとめます。</p>
<p>フランスは人権宣言の本拠本元です。フランス人は人権の視点から、日本の司法制度が容疑者の推定無罪を尊重していない点を憂慮しています。この点について、マクロン大統領は日本政府に憂慮の念を伝えました。</p>
<p>しかしフランス・メディアが日本の司法のあり方に注目した理由はそれだけではありません。それはズバリ、フランスこそ司法が政治の影響を受けやすい国だからです。</p>
<img class="size-medium wp-image-929 alignleft" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/council-of-state-535721_1920-300x103.jpg" alt="" width="300" height="103" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/council-of-state-535721_1920-300x103.jpg 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/council-of-state-535721_1920-768x265.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/council-of-state-535721_1920-1024x353.jpg 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/council-of-state-535721_1920-728x251.jpg 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" />
<p>司法の行政への依存という問題は、フランスの歴史の中の汚点であり続けたのです。絶対王政期のフランスでは、行政による司法の政治的支配が横行し、その慣習はフランス革命以後にも維持されました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>行政による司法の政治的支配という問題がフランスで民主主義を確立する上で大きな障害となったことは否定できません。</p>
<p>このような政治的伝統の名残として、現在フランスで同じような事件が起きた場合、その罪状がいかなるものであろうと、ゴーン氏レベルの財界の要人が逮捕されることはありえないのです。</p>
<p>そのため、フランス人ジャーナリストは日本でのゴーン氏逮捕劇に関しても、自国と同様、その背後に政治的理由があると考えてしまいがちです。右寄りでナショナリスト的傾向の強いフィガロ紙がこの傾向を最も顕著に示しています。</p>
<p>フィガロははっきりゴーン氏逮捕劇を「政治スキャンダル」と決めつけ、その責任を（右寄りではなく、左寄りの）マクロン現大統領になすりつけました。</p>
<p>「たかが収入の一部を隠したというだけでここまでの告発を行う、とは全く度が過ぎている。マクロン大統領は何をしているのか。」（以上フィガロ）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
			</item>
		<item>
		<title>なぜフランスで大規模「デモ」が起こったのか？  ―日本人旅行者が気をつけたいこと</title>
		<link>https://francechapeau.com/%e3%83%95%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%82%b9%e3%83%87%e3%83%a2%e3%81%aa%e3%81%9c%e6%97%a5%e6%9c%ac%e4%ba%ba%e6%97%85%e8%a1%8c%e8%80%85/</link>
		<pubDate>Tue, 12 Feb 2019 02:07:29 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[francechapeau]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[フランス豆知識]]></category>
		<category><![CDATA[未分類]]></category>
		<category><![CDATA[なぜ]]></category>
		<category><![CDATA[デモ]]></category>
		<category><![CDATA[フランス]]></category>
		<category><![CDATA[日本人旅行者]]></category>

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		<description><![CDATA[フランスでは昨年末から現在（2019年2月初旬）にかけて激しいデモが展開しています。 いわゆる黄色いベストデモ...]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>フランスでは昨年末から現在（2019年2月初旬）にかけて激しい<strong>デモ</strong>が展開しています。</p>
<p>いわゆる黄色いベストデモです。</p>
<p>黄色いベストとは、フランスの車のトランクに装備が義務づけられているものです。修理やタイヤの取り替えなどの作業時に身につける黄色い安全ベストです。</p>
<p>フランスで黄色い安全ベストは比較的お馴染みのものです。自動車の装備品として意外にも、様々な日常生活のシーンで使われてきました。</p>
<p>上の写真の通り工事現場でも着用されています。テレビでツールドフランスなどを見ていると、黄色いベストを着たサイクリストを見かけます。</p>
<p>このように黄色いベストはフランスで日常的に目にするアイテムでした。</p>
<p>しかし黄色いベスト運動が大規模デモに発展してしまった現在、フランス人は自分が黄色いベストデモ参加者であることをアピールする以外に、軽い気持ちで黄色い安全ベストを着用することはできなくなってしまいました。</p>
<p>ここではなぜ黄色いベスト・デモが起こったか、今後日本人旅行者としてフランスを訪れる場合、黄色いベスト・デモに関してどんな点に注意しなくてはならないか、についてご紹介します。</p>
<h2>黄色いベスト・デモはなぜ起こったか？</h2>
<img class="size-medium wp-image-907 alignleft" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/light-bulb-2632075_1920-300x186.jpg" alt="" width="300" height="186" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/light-bulb-2632075_1920-300x186.jpg 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/light-bulb-2632075_1920-768x477.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/light-bulb-2632075_1920-1024x636.jpg 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/light-bulb-2632075_1920-728x452.jpg 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" />
<p>2018年春マクロン大統領が「燃料税」の引き上げを決定しました。</p>
<p>それまでにも諸物価の値上がり、税金などの値上げがありました。庶民がそれらに不満を持っていたところへ、追い討ちをかけるように「燃料税」の値上げが決定しました。</p>
<p>その結果、ガソリン、とりわけディーゼル車用の軽油が14パーセント値上がりしました。フランスではディーゼル車が占める割合が多く、それは自家用車の半分以上も占めます。</p>
<p>フランス政府はこれまで燃費が安い、と言うことでディーゼル車に規制をかけてきませんでした。その結果深刻な大気汚染を引き起こしてしまいました。</p>
<p>その対策として、パリ市内でも、日にちによって偶数車、奇数車の走行を禁止するなどして、排気ガス規制を行ってきました。</p>
<p>マクロン大統領はガソリン以上に環境を汚染するディーゼル車を規制すべく、燃料税の値上げを決定したのです。</p>
<p>しかし今回の「燃料税」値上げによって、長年たまっていたフランス人庶民の不満が爆発し、全国的規模で黄色いベスト・デモを誘発しました。</p>
<p>初めは、org.comによる燃料税反対のためのネットによる請願運動です。</p>
<p>このデモの新しい特徴として、SNSやツイッターによって全国に広がっていったという点が挙げられます。ちなみに従来のデモでは、労働組合やNGOなどの組織化されたグループによって主導されてきました。</p>
<p>その後デモは全国規模で急速に拡大して行きました。フランス人は月曜日から金曜日まで働いているため、デモは空いている日、主に土曜日に起こります。</p>
<p>黄色いベスト・デモの参加者は、全国の高速道路の料金所、ガソリンスタンド、橋、トンネルの入り口などでバリケードを張って、交通を麻痺するようになりました。</p>
<h2>なぜ黄色いベスト・デモはスタバを狙ったか</h2>
<p>黄色いベスト・デモは次第に過激なものとなり、パリなどの都市部では店のウインドーを破壊したり、道路脇に停めてある車に火をつけるなどの騒動へと発展しました。</p>
<p>年末に勢いを失ったかのように見えた黄色いベスト・デモは年始になると再び盛り返し、11回目の黄色いベスト・デモではデモ参加者は８万人を上った、と発表されました。</p>
<img class="size-medium wp-image-908 alignright" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/crowd-1295674_1280-300x150.png" alt="" width="300" height="150" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/crowd-1295674_1280-300x150.png 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/crowd-1295674_1280-768x384.png 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/crowd-1295674_1280-1024x512.png 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/crowd-1295674_1280-728x364.png 728w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/crowd-1295674_1280.png 1280w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" />
<p>年末年始は小売業者にとってはかき入れ時です。クリスマス、新年で家族、友人などが集い機会が多く、プレゼントを交換します。</p>
<p>しかし黄色いベスト・デモによって、小売業者は儲けの機会を逸する以上の大打撃を受けました。</p>
<p>なぜなら黄色いベストを着た<strong>フランス</strong>人たちのデモはエスカレートし、パリなどの都市では暴力、破壊活動が激化したからです。</p>
<p>多くの自動車が破壊され、店のショーウインドーが壊され、アメリカ資本系のスタバも対象とされました。小売業者らは雇用解雇をせざるおえず、それがフランス国内の深刻な社会問題である失業率をさらに悪化させるという悪循環となっています。</p>
<p>ちなみにアメリカ資本がバックにあるチェーン店を破壊する、という動きは今回が初めてではありません。これまでにも経済のグローバル化に反対した一部のグループによって、マクドナルドのチェーン店などが破壊されたこともあります。</p>
<p>その背景としては、フランスには社会主義的考えが根強く存在し、アメリカ型資本主義に対して強く反発する一部のフランス人が存在します。</p>
<p>一方、黄色いベスト・デモに対応して全国的に8万人以上の機動隊、治安部隊が出動しましたが、彼らも12時間以上の夜勤労働を命ぜられ、疲れ切っています。</p>
<p>黄色いベスト・デモが長期化する中、黄色いベストデモに疲れたフランス人たちの中から、暴力、破壊で訴えるのではなく、国レベルの話し合いによって解決を訴える「赤いマフラー」運動が立ち上がりました。</p>
<h2>これまでの黄色いベスト・デモの経過</h2>
<p>黄色いベスト・デモは2019年2月現在まだ続いています。以下の表はこれまでの経過を時系列的にまとめたものです。</p>
<p>2018年</p>
<table>
<tbody>
<tr>
<td width="138">5月29日</td>
<td width="428">　change.orgで「燃料税引き上げ反対」の請願運動が始まる。</td>
</tr>
<tr>
<td width="138">10月21日</td>
<td width="428">燃料税引き上げを阻止するためのデモの呼びかけが起こる。</td>
</tr>
<tr>
<td width="138">11月17　日</td>
<td width="428">第一回のデモ勃発</td>
</tr>
<tr>
<td width="138">11月24日</td>
<td width="428">第二回のデモ勃発</td>
</tr>
<tr>
<td width="138">11月27日</td>
<td width="428">マクロン大統領は、環境への配慮と市民グループとの対話を呼びかけ、黄色いベストからの二人の代表が環境庁と大統領と対話する。</td>
</tr>
<tr>
<td width="138">12月１日と8日</td>
<td width="428">デモの過激化</td>
</tr>
<tr>
<td width="138">12月4日</td>
<td width="428">燃料税引き上げ停止、冬の間のガスト電気の価格凍結、2019年に予定されていた税の値上げの中止</td>
</tr>
<tr>
<td width="138">12月6日</td>
<td width="428">マントラジョリ市で高校生が逮捕される</td>
</tr>
<tr>
<td width="138">12月10日</td>
<td width="428">事態を重く見たマクロン大統領は、打開案を採択：最低賃金の100ユーロ値上げ（およそ12000円）、年末ボーナスの無課税、残業手当無課税</td>
</tr>
<tr>
<td width="138">12月15日、22日</td>
<td width="428">デモの弱体化</td>
</tr>
<tr>
<td width="138">12月18日</td>
<td width="428">マクロン大統領の打開策を一部中止、その後再び採択</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>&nbsp;</p>
<p>2019年</p>
<table>
<tbody>
<tr>
<td width="138">1月3日</td>
<td width="428">事前の知らせをしないでデモを企画したとして、黄色いベスト主催者逮捕</td>
</tr>
<tr>
<td width="138">1月5日</td>
<td width="428">多くの場所で警察との衝突事故が起こり、ボクサーが逮捕される</td>
</tr>
<tr>
<td width="138">1月12日、19日</td>
<td width="428">再度デモの過激化</td>
</tr>
<tr>
<td width="138">1月23日</td>
<td width="428">黄色いベストの指導者の一人が5月26日のヨーロッパ議会議員選挙に立候補することを宣言したが、黄色のベストを下支えする市民は直接民主主義を目指しているため、議会を通じた間接的方法では問題を解決することはできないと、拒絶される。</td>
</tr>
<tr>
<td width="138">1月26日</td>
<td width="428">デモの規模は縮小、しかしデモは続く。参加者の一人が目に深刻な怪我を負う</td>
</tr>
<tr>
<td width="138">1月27日</td>
<td width="428">黄色いベスト・デモによる破壊と暴力に反対し、政府主導のディベートに参加するよう呼びかける「赤いマフラー」運動が起こる</td>
</tr>
<tr>
<td width="138">2月初め</td>
<td width="428">黄色いベスト・デモは続いている</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<h2>黄色いベスト・デモは地方のパリに対する逆襲か？</h2>
<p>黄色いベスト・デモは、もちろんパリでも起こっています。デモの参加者のみを見た場合、パリの参加者が地方の参加者を圧倒的に上まっています。</p>
<p>しかしこの全国規模のスケールを持つ黄色いベスト・デモの「<strong>なぜ</strong>」について考えた時、地方に対するパリへの異議申立て、と理解するとわかりやすい面もあります。</p>
<p>日本とは異なり市町村合併が進んでいないフランスでは、田舎の集落が現在でも独立した自治体を構成しています。そのうちの52パーセントに当たる18547村では人口が500人未満と言われています。</p>
<p>現在これらの村の財政が立ち行かないという訳ではありません。それにもかかわらず、これらの村に住むフランス人が将来に対して漠然とした不安を抱えている、というアンケート結果が最近発表されました。</p>
<p>これらの村に住むフランス人たちは、フランス政府が進めている地方分権化政策に強く反対しています。地方の市町村は、パリから「見捨てられた」感を強めているのです。</p>
<img class="size-medium wp-image-915 alignleft" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/brexit-3575383_1920-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/brexit-3575383_1920-300x200.jpg 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/brexit-3575383_1920-768x512.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/brexit-3575383_1920-1024x683.jpg 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/brexit-3575383_1920-728x486.jpg 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" />
<p>地方の市町村では近年の国家の財政難により、公共施設に対する予算が大幅に縮小しました。その結果郵便局、医療施設、産院、学校といった施設が閉鎖しました。</p>
<p>これらの田舎に住む人々の多くは生活して行くのがやっとの月収で、バカンスにも行けません。食費、燃料費といった生活の基本となる出費も切り詰めなくてはならず、彼らは長年ストレス、不満を抱えて黙々と生きてきたのです。</p>
<p>国の地方分権化による田舎の切り捨てに加えて、田舎に住むフランス人は、首都と地方、都会と田舎の格差についても不満を持っています。彼らはグローバル化も都市を優遇し、田舎を切り捨てる要因となったと感じています。</p>
<p>フランスの黄色いベスト・デモはアメリカのトランプ大統領選出、イギリスのEU脱退と似た側面があることが理解できます。グローバル化の恩恵を受けられず、これまで中産階級として成り立っていた生活が苦しくなってことを感じる人がこのデモに関与していると考えられます。</p>
<p>このような見方は、フランスの極右政党として知られるマリーヌ・ルペン率いる国民連合支持者の42パーセントが黄色いベスト・デモにも参加したことからも裏付けられます。</p>
<p>一般に国民連合支持者はEUなどが象徴するグローバル化に反対し、国民国家としてフランスを奪回することを主張しています。</p>
<p>どちらもグローバル化の経済的恩恵を被ることができなかった社会階層である、という点が共通しているのです。</p>
<p>ちなみにマリーヌ・ルペン氏は先回の大統領選挙の最終選挙で、マクロン大統領と戦って敗退しました。次期大統領選挙ではどのような結果が待っているのでしょうか。</p>
<h2>SNSと新しい世論の形</h2>
<p>黄色いベスト・デモの参加者は複数の社会カテゴリーによって構成されています。</p>
<p>失業者、ホームレスなど完全に社会彼除外され通常の生活が送れない人々に加え、上に書いた従来中産階級に属していたが次第に困窮化が進む450万人のフランス人もデモに参加しました。</p>
<img class="size-medium wp-image-911 alignleft" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/crowd-1294991_1280-1-300x150.png" alt="" width="300" height="150" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/crowd-1294991_1280-1-300x150.png 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/crowd-1294991_1280-1-768x384.png 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/crowd-1294991_1280-1-1024x512.png 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/crowd-1294991_1280-1-728x364.png 728w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/crowd-1294991_1280-1.png 1280w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" />
<p>彼らは社会の底辺を生きている、という実感を持っています。それは少ない給料の雇用者、ギリギリの経営を迫られる自営業者、小売業、職人、年金生活者などの人々です。</p>
<p>従来だったら中産階級とみなされてきた人たちです。</p>
<p>政治家はこれまでこれらの人々の声を代弁することはありませんでした。彼らは政治的には「無視」され続けてきた人々です。</p>
<p>彼らはまた上層階級の人々からは見下されてきた人々でもあります。黄色いベスト・デモに参加する人たちには、経済的理由に加え、感情的な理由も強く作用していると言われる所以です。</p>
<p>黄色いベスト・デモの参加者たちは、これまで一方的に傷つけられたプライド、自身のフランス市民としての尊厳を取り戻そうと初めて声を挙げたのです。</p>
<p>では<strong>なぜ</strong>このようなことが可能になったのでしょうか。一言で言えばそれは情報技術の発達によります。</p>
<p>これまで世論といえば、それを取りまとめる代表エリート、例えば、政治家、政党、労働組合、新聞などのメディアによって形成されてきました。直接フランス庶民が世論に訴えかけるということは不可能だったのです。</p>
<img class="size-medium wp-image-903 alignright" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/social-1206614_1920-300x233.png" alt="" width="300" height="233" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/social-1206614_1920-300x233.png 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/social-1206614_1920-768x597.png 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/social-1206614_1920-1024x796.png 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/social-1206614_1920-728x566.png 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" />
<p>ところがTwitterやfacebookなどによって、フランス庶民も意見を訴えて、直接的に政治に参加することができるようになったのです。SNSによる異議申立てには、即効的効果がありました。</p>
<p>その結果、黄色いベスト・デモは瞬く間に全国的規模のデモに発展しました。</p>
<p>マクロン大統領は事態を沈静化するために、即座に黄色いベスト・デモ参加者にとって好条件となる措置を採用しました。</p>
<p>このように即座に対応したこと自体、このデモが社会的、政治的に重要であることを物語っています。</p>
<h2>黄色いベスト・デモは革命に発展するのだろうか</h2>
<p>日本人ジャーナリストによる「パリは革命前夜？黄色いベストデモの実態」という挑発的な見出しの記事を見つけました。</p>
<p>この記事では1848年にフランスで勃発した社会主義的傾向の強かった2月革命を引き合いに出して、黄色いベスト・デモについて「パリは革命前夜？」と書いています。</p>
<p>本当に現在「パリは革命前夜」なのでしょうか。ここで1848年の２月革命と2018年以来の黄色いベスト・デモの二つの運動は似て非なる性質のものであることを認識する必要があります。</p>
<p>まず時代が異なります。150年前の出来事と今日のフランスを同じ次元で語ることはできません。</p>
<p>1848年のパリはまだ中世以来の街並みが残っていました。細い通りが多くバリケードを築けばすぐにデモや暴動を起こすことができました。その後パリはデモを避ける意味もあって近代化され、広い大通りが整備されました。</p>
<p>今日のパリでは、もはや「レ・ミゼラブル」のようなデモや暴動の温床とはなり得ないのです。</p>
<p>またここが最も異なる点ですが、1848年の暴動を直接引き起こしたのは失業者たちでした。一方黄色いベスト・デモの参加者は、失業者に加えて、社会の底辺で生活できている人も多く含まれています。</p>
<img class="size-medium wp-image-902 alignleft" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/instagram-3753436_1920-297x300.png" alt="" width="297" height="300" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/instagram-3753436_1920-297x300.png 297w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/instagram-3753436_1920-768x777.png 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/instagram-3753436_1920-1012x1024.png 1012w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/instagram-3753436_1920-728x736.png 728w" sizes="(max-width: 297px) 100vw, 297px" />
<p>1848年の２月革命を特徴付けたのは左翼的考え方、とりわけ社会主義的価値観でした。一方黄色いベスト・デモの中核となるのは極右派であり、政治的には正反対の立場です。</p>
<p>したがって黄色いベスト・デモは1848年のような急進的で労働者を中心とした2月革命のような発展をすることは考えにくいと言えます。</p>
<p>フランスはサービス産業化し、労働者の数が激減しました。そして今回のデモでは中産階級の人々の不満や思いがデモを突き動かしています。</p>
<p>黄色いベスト・デモの参加者たちは、生活条件の改善に加えて、自分たちの声を認知してもらいたい、という思いを込めて立ち上がったのです。</p>
<p>私が調べた限り、フランスの識者で、黄色いベスト・デモが革命に発展するかもしれない、と書いているものはありませんでした。</p>
<p>なぜかと言うと参加者の社会、経済的基盤が多様で、特定化できないからです。そうすると参加者の共通利害を割り出しにくいからです。</p>
<p>そのため黄色いベストデモは現状の政治を倒して、新しい政体を作り上げるほどの動員力がない、と言われています。それが従来のフランスにおける革命や「アラブの春」と異なる点です。</p>
<p>フランス革命勃発以来、フランス人は多くの政体の変容を経験してきました。それに加えて19世紀後半から20世紀前半には戦争を経験し、国境を紛争の原因としないために欧州統合を始めました。</p>
<p>現在グローバル化が引き起こす社会、経済、文化格差の問題に対しても、政治討論を通じて新たな民主的な解決法を見出して行くことでしょう。歴史は繰り返すのではなく、進化する。</p>
<p>間違いを正し、前に進んで行く、これがフランス式政治の考え方です。</p>
<h2>日本人旅行者として気をつけること</h2>
<p>最後に<strong>日本人旅行者</strong>としてフランスを訪れる際、黄色いベスト・デモについてどのような点に注意したら良いのでしょうか。</p>
<p>フランスではデモが頻繁に起こります。その多くは日本では報道されていません。まずそのことを理解してください。</p>
<p>今回の黄色いベスト・デモは日本のメディアでも大きく取り上げられましたが、これまでにもここまでの規模ではなくともたくさんのデモが発生してきました。例えば2018年には大学の制度改正に反対する学生によるデモがありました。</p>
<p>またデモではありませんが、昨年賃金値上げを要求する鉄道、航空会社のスタッフによるストライキなどによって外国人観光客にも影響がありました。</p>
<p>この全国的なストライキにおいて、全ての交通機関が麻痺してしまうことはありませんでした。一部の列車、飛行機のみ運休し、そのために予定を変更せざるお得なかった旅行客もいたでしょう。それでもなんとか交通機関を利用して移動することはできる状態でした。</p>
<p>一般にデモなどによってフランス国土が全面的に麻痺してしまう、ということはありません。デモは日本人には馴染みのないものではありますが、注意深く行動すれば、決して怖がる必要はありません。</p>
<p>例えば今回の黄色いベスト・デモの特徴として、土曜日にデモを起こす、という特徴がありました。デモ参加者の多くは月曜日から金曜日まで働いています。彼らは休みの時に活動を起こすのです。</p>
<p>ですから週の５日のうちは、旅行者としてデモに直接関わってしまうことはありません。</p>
<p>またフランスではクリスマス前後に社会、政治的不満が強まるという傾向があります。</p>
<img class="size-medium wp-image-870 alignleft" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/france-confectionery-83373_1280-1-300x225.jpg" alt="" width="300" height="225" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/france-confectionery-83373_1280-1-300x225.jpg 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/france-confectionery-83373_1280-1-768x576.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/france-confectionery-83373_1280-1-1024x768.jpg 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/france-confectionery-83373_1280-1-728x546.jpg 728w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2019/02/france-confectionery-83373_1280-1.jpg 1280w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" />
<p>実はパリの道路脇に駐車している自動車が破壊される、というのは今回の黄色いベスト・デモで初めて起きた事件ではありません。もう１０年以上毎年クリスマスから大晦日にかけて、都市部では自動車の破壊事件が起こっています。</p>
<p>なぜクリスマス前後か、と言いますと、フランス人はその時期に普段出会わない人々と会うからです。</p>
<p>クリスマスは楽しい時期でもありますが、それと同時に個々人がかかえ持つ不満やストレスも集合的に共有されるからです。黄色のベストデモの特徴は、これまでも起こってきた個々の出来事が同時多発するとともに、大規模化してしまった点です。</p>
<p>そうは言っても、マクロン大統領が打開策を採用した現在では、黄色いベスト・デモの中の「破壊者」たちも時間が経つに連れて疲弊し、暴力、破壊行為は次第に下火になって行くもの、と思われます。</p>
<p>旅行者として<strong>フランス</strong>を訪れる必要があれば、デモがどのような形態を取っているのか新聞、インターネットなどで把握して、土日については、デモが起こっている場所の近くには近づかないように注意することが大切です。</p>
<p>パリで起こっていると言っても、一駅離れたところ、通りを一つ隔てたところでは何も起こっていない可能性も大だからです。</p>
<p>こうしたパリの交通公団RATPのサイトやアプリを見ると、デモによって封鎖されたメトロ駅や路線運行状況を事前に調べることができます。ただしフランス語です。</p>
<p><a href="https://www.ratp.fr/travaux-manifestations/manifestations">https://www.ratp.fr/travaux-manifestations/manifestations</a></p>
<p>Globe編集長が読み解く今時の世界</p>
<p>フランスで吹き荒れる「黄色いベスト」、彼らはどこからきたのか、調査で見えてきた</p>
<p>山口昌子：「パリは革命前夜？黄色いベストデモの実態」</p>
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]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>フランス人男性の恋愛と年の差婚（２）</title>
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		<pubDate>Thu, 27 Sep 2018 04:28:23 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[francechapeau]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[フランス人男性]]></category>
		<category><![CDATA[フランス]]></category>
		<category><![CDATA[年の差]]></category>
		<category><![CDATA[恋愛]]></category>

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		<description><![CDATA[大ヒットした映画「アメリ」を見ていると、アメリが微妙に相手の外見を見て自分好みかそうでないかを瞬時に見極めてい...]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>大ヒットした映画「アメリ」を見ていると、アメリが微妙に相手の外見を見て自分好みかそうでないかを瞬時に見極めているシーンが出てきます。これは「フランス的な恋愛」を象徴した態度です。</p>
<p>「フランス的恋愛」においては、一般に外見から入ってそのあとで中身へと進んでいきます。</p>
<p>日本人男性が「おしとやかな女性」「ついてきてくれるタイプの女性」などというのと対照的にフランス人男性は髪の色、目の色、肌の色などで自分の好みの異性のタイプについて説明するのが一般的です。</p>
<p>ではフランス人男性が<strong>恋愛</strong>や結婚する時、女性の年齢についてはどう考えているのでしょうか。一概には言えませんが、フランスでは年齢は性格、個性や外見などの最重要条件の後に来るようです。</p>
<p>もちろんフランスにも若い女性を好むフランス人男性はたくさんいることでしょう。ジョニー・デップと別れてしまったヴァネッサ・パラディですが、彼女は10代のころ廃退的なセクシーさを全面に押し出した「フレンチ・ロリータ」的魅力を全開させて、フランスの国民的歌手に上り詰めました。</p>
<p>フランス語には日本語の「姉さん女房」に当たる言葉はありません。でもフランスにも「フレンチ・ロリータ」の対極にある姉さん女房もいます。「姉さん女房」に当たる言葉がないというのは、フランス人が日本ほど逆「年の差」婚について意識しないから、とも考えられます。</p>
<p>人の個性を重んじるフランスでは、一般に人を年齢によって判断することを良しとしません。</p>
<h2>ブリジット・マクロンさんのインタビューから</h2>
<p>逆「年の差」婚でまず思い浮かぶのは、エマニュエル・マクロンフランス大統領です。<img class="size-medium wp-image-575 alignleft" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/hand-3035665_1920-300x148.jpg" alt="" width="300" height="148" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/hand-3035665_1920-300x148.jpg 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/hand-3035665_1920-768x380.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/hand-3035665_1920-1024x507.jpg 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/hand-3035665_1920-728x360.jpg 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>マクロン大統領の夫人ブリジット・マクロンさんは、マクロン氏の高校時代の演劇の先生でした。一緒に演劇の脚本を書いたことから、先生と生徒の間を超えて恋愛が生まれたそうです。</p>
<p>その時ブリジットさんは39歳、既婚、そして三人の母親でした。二人の恋愛は最初の頃は、もちろん不倫でした。</p>
<p>その後恋愛関係が深まると、ブリジットさんは家族を捨てて、大学へ進学したマクロン氏を追ってパリにやってきました。出会いから14年間後、マクロン氏は29歳の時に、それまでの恋愛関係を結実させて、53歳のブリジットさんと逆「年の差」婚を果たしました。</p>
<p>ブリジットさんは最近の雑誌インタビューで、マクロン氏との逆「年の差」婚についてユーモアを交えて、次のように答えています。</p>
<p>「私は社会的常識よりも自分の個人的幸福を優先させました。」「人生において思い切った決断をしなければならないことがありますが、この結婚は私にとってまさしくそのようなきっかけでした。結婚して20年もの間後ろ指を刺されましたが、気にしません。一緒に朝食を食べる時、私にはシワがあり、彼は若いですが、それだけのことです。」(Elle France)</p>
<p>このインタビューから、マクロン氏だけではなく、と言うよりも彼以上に、ブリジットさんにとってこそこの逆「年の差」婚は勇気ある決断だったことが伺われます。それまで築いた家族を捨て、40歳前後で20才以上も年下の自分の教え子の恋人となったわけですから。</p>
<p>またパートナーの愛を信じることができたとしても、周囲からは結婚する前も後も常に好奇の目で見られてしまうという状況は変わりません。そのような状況でも恋愛や結婚を貫くために、彼女自身が強くなくてはなりません。</p>
<p>その意味でブリジットさんには人に流されない、並外れて強い自己が備わっているのは間違いありません。この女性らしい外見を忘れず、独立したマインドを持ち,自分の個性を持っているというのが、フランス人男性が求める理想の女性像かもしれません。</p>
<h2>現代フランスのカップルの年齢差</h2>
<p>マクロン大統領の例を紹介しましたが、このような形の逆「年の差」婚は現代フランスと言えども超例外的な結婚です。</p>
<p>今日でも、フランス人男性が女性よりも年上のカップルは全体の56パーセントです。つまり半数以上のカップルは男性の方が女性よりも年上ないわゆる「年の差」婚です。平均すると、フランス人男性はフランス人女性よりも２歳半年上です。</p>
<p>30パーセントのカップルは同年のカップルです。女性が男性よりも年上の逆「年の差」婚は残りの14パーセントを占めます。逆「年の差」婚と言っても、その大半は年の差が２歳から５歳程度にすぎません。<img class="size-medium wp-image-579 alignright" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/elder-3640683_1920-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/elder-3640683_1920-300x200.jpg 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/elder-3640683_1920-768x512.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/elder-3640683_1920-1024x683.jpg 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/elder-3640683_1920-728x485.jpg 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>6歳から10歳の年齢差の逆「年の差」婚は2.7パーセント、10歳以上逆「年の差」婚は１パーセントにすぎません。</p>
<p>つまりフランスの100組に1組が10歳以上の年の離れた逆「年の差」婚ということになります。</p>
<h2>フランス人男性と逆「年の差」婚</h2>
<p>女性が自分より若い男性を、もしくは男性が年上の女性をパートナーに選ぶ際、そこには様々な要因が影響しています。それは人口の動きと連動することもあります。</p>
<p>20世紀には二度の世界大戦がありましたが、この時多くの成人男性が亡くなりました。その結果フランス人女性は戦後、同じ年齢か自分よりも若い年齢の男性をパートナーに選ぶ傾向がありました。</p>
<p>現在フランスでは、世代が若くなるにつれて、逆「年の差」婚の割合が増加します。</p>
<p>1960年代には10パーセントの逆「年の差」婚がありましたが、2000年代になるとその割合は16パーセントにまで上昇しました。また逆「年の差」婚のカップルの平均的な年齢差も３歳から4.4歳へと上昇しました。</p>
<p>戦後に女性が社会進出したことが逆「年の差」婚を促進しました。働くことによって男性と同等、もしくはそれ以上のパワーを得た女性たちは、以前よりも年齢を気にしないでパートナーの男性を選ぶようになりました。</p>
<p>しかしフランス人女性の学歴が高くなるにつれ、逆「年の差」婚も増えるという統計結果はありません。一般に日本でもフランスでも男性は自分よりも学歴の高い女性を好みません。</p>
<p>しかしフランスでは学歴が高くなるにつれて、男性の方が女性よりも年上という傾向自体は弱まりを見せます。大卒ではないフランス人男性の62パーセントが年下の女性を選びますが、大卒のフランス人男性の場合、この割合は49パーセントに減少します。</p>
<p>これは出会いの場が影響していると考えられます。<img class="size-medium wp-image-565 alignleft" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/sunrise-2125136_1920-300x174.jpg" alt="" width="300" height="174" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/sunrise-2125136_1920-300x174.jpg 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/sunrise-2125136_1920-768x446.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/sunrise-2125136_1920-1024x595.jpg 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/sunrise-2125136_1920-728x423.jpg 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>学歴が高い人は学生時代にパートナーと出会う確率が高く、そのためカップルの間の年齢差が縮まる傾向があるからです。</p>
<p>最後にカップルの一人が移民だった場合も（移民とは外国籍を持って外国で生まれた人、その国籍は問わない）カップルの大半は男性が女性よりも年上の年の差婚となります。</p>
<p>先ほどフランス人男性の55パーセントが男性が年上の逆「年の差」婚カップルだと書きましたが、移民のカップルではこの割合が62パーセントに、二人とも移民の場合にはその割合は71パーセントにまで上昇します。</p>
<p>北アフリカ、アフリカ出身の移民同士のカップルになると、男女間の平均の年の差は7歳となります。ちなみに移民のカップルはフランス人カップルに比べ平均収入も低くなります。</p>
<p>つまり世帯収入が低い場合、逆「年の差」婚は急激に減少します。</p>
<p>一般に収入、生活水準が高くなれば、人は日常生活以上のことを考えるようになります。そして恋愛感情を重視した結婚生活を考え、社会的規範から見ればとんでもない、と思えるようなカップルが誕生すると考えられます。</p>
<p>以上のことから,年の差が大きい逆「年の差」婚というのはある意味、生活に余裕のあるカップルにしかありえません。マクロン大統領（24歳差）、ナポレオン（6歳差）はその際たる例です。彼らは絶大な政治的権力を持ちつつ、私生活においては年齢を気にしないで純粋に愛する女性と結婚したのです。</p>
<h2>逆「年の差」婚のメリット</h2>
<p>日本ではメディアで逆「年の差」婚のメリットについて、などの記事は見かけません。日本でも女性が年上の逆「年の差」婚がないわけではありませんが、少なくとも日本人男性が積極的にこうした記事を書くとは思えません。</p>
<p><img class="size-medium wp-image-577 alignleft" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/woman-3034836_1920-300x274.jpg" alt="" width="300" height="274" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/woman-3034836_1920-300x274.jpg 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/woman-3034836_1920-768x701.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/woman-3034836_1920-1024x934.jpg 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/woman-3034836_1920-728x664.jpg 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" />フランスの歴史を紐解くと、元来年上の女性をパートナーとする、つまり逆「年の差」婚がそれほどタブーなことではありませんでした。</p>
<p>今日でも、日本同様フランスにも逆「年の差」婚は存在します。ただこのテーマをわざわざ話題にするほどの社会的寛容性がフランスにあったわけではありません。</p>
<p><strong>フランス</strong>社会において、逆「年の差」婚を厭わない男性は同性愛者の置かれた立場と似ているようです。最近フランスでは同性愛が受け入れられるようになるとともに同性婚が合法化されました。</p>
<p>それと同じようにネット上では年上の女性と恋愛するのが好きフランス人男性がカミングアウトするという傾向も珍しいものではなくなりつつあります。</p>
<p>逆「年の差」婚を好むフランス人男性にとって、周囲の目が最も大きな障害になるそうです。家族の行き来が日本よりも頻繁で、食事などを一緒にする習慣が根強いフランスでは、家族に年の差が開いた年上の女性をパートナーとして紹介することにはまだまだ抵抗があるようです。また職場の人にも言いにくいとの声もあります。</p>
<p>それでも年上好きのフランス人男性は以下の10の理由から逆「年の差」婚のメリットを挙げています。</p>
<ul>
<li>精神的に安定していて、物事を俯瞰した立場から眺めることができる</li>
<li>自立している</li>
<li>男性のニーズと欲求がよくわかっている</li>
<li>カップルの間のコミュニケーションにも学習が必要だが、その辺をよくわきまえており相手が嫌がるようなことを話題にせず、言葉を選んで話すことができる</li>
<li>豊かな経験を持っている。特にカップルがうまく行くための状況、感情の入れ込み方、相手に対する小さな配慮についてよくわきまえている。</li>
<li>財政的にも共同生活をうまく切り盛りすることができる。</li>
<li>若い女性よりも化粧が薄く自然体。それは自分自身の魅力をよくわかっており自信があるから。</li>
<li>これまでに様々なカップルの経験をしているために無駄足を取らない。若い女性のようにわがままではないので男性の方でも時間を無駄にしなくても済む。</li>
<li>自分が年上であることを意識して果てしない夫婦喧嘩などを避けようとする。限られた時間を意識してその一瞬一瞬を楽しむことができる。</li>
<li>フランスで若い女性とカップルになった時には女性の方がすぐには子供を欲しがらずキャリアを優先させることが多い。しかし年上の女性ならすぐに子供を産もうと賛成してくれる。</li>
</ul>
<p>などなど。</p>
<p>この１０の条件から見えてくることは、逆「年の差」婚を厭わないフランス人男性とは、真摯に充実したカップル生活を送りたいと望んでいることです。そして当然のことながら、彼らは外見、年齢ではなく、女性の経験、個性こそを重視します。</p>
<p>逆に言えば、逆「年の差」婚を選ぶフランス人男性には、相手を育てていこうというところがない、とも受け取れます。そこには自分が上になって相手を包み込むというよりも包み込まれたいという欲望が見え隠れします。</p>
<p>また最後に「すぐ子供が欲しい」とのリクエストが挙げられていますが、これは言外に「子供の産めないほどの年上の女性は求めていない」と言っていると解してもいいでしょう。</p>
<p>逆「年の差」婚が珍しくなくなりつつある現代フランスですが、マクロン大統領ほど相手への愛に殉じた逆「年の差」婚というのはかなり珍しい、と言えます。</p>
<p>おわりに</p>
<p>ここでは現代フランスにおける逆「年の差」婚の実態、そして逆「年の差」婚を好む（？）フランス人男性の声を紹介しました。<img class="size-medium wp-image-578 alignleft" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/wine-cellar-1329061_1920-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/wine-cellar-1329061_1920-300x200.jpg 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/wine-cellar-1329061_1920-768x512.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/wine-cellar-1329061_1920-1024x683.jpg 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/wine-cellar-1329061_1920-728x486.jpg 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>一般に、フランス人男性がパートナーを選ぶ際に、女性の年齢は最重要条件ではありません。そうではありませんが、逆「年の差」婚が一般的なカップルの在り方でもありません。</p>
<p>特に大学に行かずに働き始めたフランス人男性や移民の間では男性が年上である、いわゆる通常の年の差婚が一般的です。</p>
<p>ところが大学を出た人、もしくはそれ以上の学歴のフランス人にとっては、年齢差は相対的にさほど重視されなくなります。彼らはカップルとして生活の質、とりわけ充実した会話を求めて恋愛、結婚をします。彼らの多くは大学時代の恋人と結婚することが多いので、カップル間の年齢差は縮まります。</p>
<p>自分で人生を切り開いていけるような野心的なフランス人男性は様々な苦難を乗り越えてきているため、実際の年齢以上に人間的に成熟しているものです。そのような個性に見合った女性を探すとなると、必然的に年上の女性となりやすいのかもしれません。</p>
<p>女性も30歳を過ぎるとそれまで考えていなかったようなパートナーの選択が可能となり、年下の男性との逆「<strong>年の差</strong>」婚も視野に入ってきます。以前フランスで一人の女性が10歳年下のボーイフレンドができた途端、その周囲の同じような年齢の独身女性が数人バタバタと年下のフランス人男性と結婚したことがありました。</p>
<p>女性も自分が相手の男性よりも年上であることについて萎縮せずに、それを経験、個性、成熟と捉えることができれば、恋愛や結婚の可能性がぐーんと広がるのがフランスです。そういう意味では女性が死ぬまで女性として生き続けていくことができる社会です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>フランス人男性の恋愛と年の差婚 （１）：ナポレオンとジョゼフィーヌ</title>
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		<pubDate>Thu, 27 Sep 2018 03:14:45 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[francechapeau]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[フランス人男性]]></category>
		<category><![CDATA[フランス]]></category>
		<category><![CDATA[年の差]]></category>
		<category><![CDATA[恋愛]]></category>

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		<description><![CDATA[フランスの歴史に名を残した政治家、君主などの伝記を紐解くと年の差婚に遭遇します。 例えばアンリ二世(1519-...]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><strong>フランス</strong>の歴史に名を残した政治家、君主などの伝記を紐解くと年の差婚に遭遇します。</p>
<p>例えばアンリ二世(1519-49)は自身が7歳で捕虜としてスペインへ送られた際、20歳年上のフランス人貴族ディアーヌ・ド・ポワチエの世話になりました。その後成人したアンリ２世は未亡人となったディアーヌを寵姫として迎え入れました。</p>
<p>ナポレオンは10年に及ぶフランス革命を終結させ、帝国を築き、国内を安定化させました。一方ヨーロッパ大陸を支配すべく、10年以上も戦争に従事しました。そんなナポレオンの最初の配偶者は６歳年上のジョゼフィーヌでした。</p>
<p>ここでは近代フランスを築いたとも言われるフランスの国民的英雄ナポレオンとジョゼフィーヌの恋愛と年の差婚について紹介します。</p>
<p>権謀術数に長け武力でヨーロッパ大陸を支配しようとしたナポレオンはどのような経緯から年の差婚をすることになったのでしょうか。周囲の人々は彼らの年の差婚どのように受け止めたのでしょうか。年の差婚はナポレオンの政治支配に関わっていったのでしょうか。</p>
<h2>ナポレオンの配偶者、ジョゼフィーヌ</h2>
<p>若く無名の軍人だったナポレオンは、恐怖革命直後 (1795年)にパリの民衆の暴動を軍事力で抑えたことがきっかけとなり、時の権力者から注目されつつありました。<img class="size-medium wp-image-560 alignleft" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/napoleon-bonaparte-62860_1920-249x300.jpg" alt="" width="249" height="300" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/napoleon-bonaparte-62860_1920-249x300.jpg 249w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/napoleon-bonaparte-62860_1920-768x927.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/napoleon-bonaparte-62860_1920-849x1024.jpg 849w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/napoleon-bonaparte-62860_1920-728x879.jpg 728w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/napoleon-bonaparte-62860_1920.jpg 1591w" sizes="(max-width: 249px) 100vw, 249px" /></p>
<p>当時26歳のナポレオンはそんな政治的混乱と反動的な機運が混在するパリの社交界で、複数の有力政治家の愛人だったジョゼフィーヌと出会いました。</p>
<p>二人が出会った当初、夫を恐怖政治で失ったばかりのジョゼフィーヌはパリ社交界の花形でした。ナポレオンは、コルシカから出てきたばかりの、経験の浅い軍人でした。</p>
<p>二人の力関係は断然ジョゼフィーヌがナポレオンに優っていました。当時のナポレオンは経験があり成熟した女性らしさを身につけた年上の女性、ジョゼフィーヌをとても魅力的に感じました。</p>
<p>ジョゼフィーヌはカリブ海のフランス植民地マルチニック島生まれで、砂糖農園を経営する富裕貴族の娘でした。<img class="size-medium wp-image-566 alignright" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/caribbean-1822544_1920-300x242.jpg" alt="" width="300" height="242" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/caribbean-1822544_1920-300x242.jpg 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/caribbean-1822544_1920-768x620.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/caribbean-1822544_1920-1024x826.jpg 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/caribbean-1822544_1920-728x587.jpg 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>ジョゼフィーヌは16歳でフランスへ渡り、貴族の中でも名門のボーアルネ氏と結婚し、一男一女を得ました。しかし夫の暴君的態度に耐えられず、若いジョゼフィーヌは別居を決意し、一旦故郷のカリブ海へ戻りました。</p>
<p>その後フランス革命が始まるとジョゼフィーヌは再び本国フランスの夫の元へ戻りました。恐怖政治の時代には大貴族を象徴する名字が災いし、夫婦共々投獄され、夫は処刑されました。</p>
<p>しかしジョゼフィーヌは運良く処刑を逃れました。恐怖政治が終焉した後、ジョゼフィーヌは夫という財政的後ろ盾を失って一文無しでした。ジョゼフィーヌはパリで未亡人として生きて行くことを余儀なくされました。</p>
<p>彼女はその美貌と人付き合いの良さで、当時もっとも影響力のある政治家を何人も愛人として迎え入れることによって金銭的援助を得て、社交界の花形となったのです。</p>
<p>また洗練された物腰と貴族女性らしい優雅なマナーをもったジョゼフィーヌは、恐怖政治で味わった未曾有の恐怖心を忘れるべく、浪費生活と数多くの恋愛を楽しみました。</p>
<p>後にジョゼフィーヌはナポレオンとの子供ができなかったため離婚を余儀無くされます。前夫との間には子供ができた彼女がナポレオンとの間には子供ができなかったのは、恐怖政治を体験してショックから子供を産めない体になってしまったからだったのではないか、と言われています。</p>
<h2>ナポレオンとジョゼフィーヌの出会い</h2>
<p>26才のナポレオンがジョゼフィーヌに出会った頃、ジョゼフィーヌは33歳の女盛りでした。当時愛人の一人だった有力政治家バラスはジョゼフィーヌを手放したいと考えており、バラスを通じて二人は知り合ったという説があります。</p>
<p>ナポレオンはジョゼフィーヌを一目見て気に入りました。二人が出会って2週間後にナポレオンは軍の最高司令官に任命されました。それまでナポレオンに対して無関心だったジョゼフィーヌですがこの時からナポレオンを再婚相手候補として見るようになったと言われています。</p>
<p>その結果ジョゼフィーヌは年下のナポレオンにアプローチするために、次の手紙を送りました。</p>
<p>「あなたはあなたを愛している友人に会うことはもうありません。あなたは完全にわたしを捨てました。 あなたは間違っています、わたしはあなたに愛着があります。 明日わたしと一緒に昼食に来てください。 わたしはあなたに会い、あなたの事について話す必要があります。」</p>
<p>これに対してナポレオンはすぐさま返答しました。</p>
<p>「何が理由で、あなたはあのような手紙を書いたか私には想像すらできません。あなたの友情を最も望んでいるのは私以外の何者でもないのですから。また必要とあれば、私は自分の気持ちを証明するために何でもする所存です」</p>
<p>これらの手紙を交換してまもなくしてから、二人の恋愛が始まりました。二人はフランス人ではありましたが、いわゆるフランス本土ではなく南方の出身でした。ナポレオンは16世紀までイタリアの支配下にあったコルシカ島という地中海の島の出身でした。</p>
<p>ナポレオンとジョゼフィーヌの出会いと恋愛はフランス革命の時代に見合ったものでした。正確にはこのころは若いナポレオンが一方的にジョゼフィーヌに対して恋愛感情を抱いていました。ナポレオンにとってジョゼフィーヌとの関係はまさしく初めて本気になった恋愛でした。</p>
<p>多くの男性を虜にしてきたジョゼフィーヌにとって、恋愛経験の浅いナポレオンをその気にさせてしまうことは容易いことでした。ナポレオンはジョゼフィーヌが自分に関心を持ってくれたことを純粋に喜び、彼女に全身全霊を傾けました。</p>
<h2>ナポレオンがジョゼフィーヌに魅かれた理由</h2>
<p>ではナポレオンは６歳年上のジョゼフィーヌのどこに惹かれたのでしょうか。決め手となった一番の理由は美貌ではありませんでした。</p>
<p>後にナポレオンは、ジョゼフィーヌの「洗練されたマナーと経験知」に惹かれたと告白しています。また当時ジョゼフィーヌの周りにいた人々も次のような証言を残しています。</p>
<p>「ジョゼフィーヌはパリの社交界で一番の美女ではありませんでした。でも彼女は最も魅力的な女性でした。その理由は気分が安定しており、性格がわかりやすく、親切だったからです。彼女の話すフランス語には、カリブ海特有のアクセントがあったことも彼女の女性としての魅力を強め、全ての男性がジョゼフィーヌに魅了される理由でした。」(a)</p>
<p>「ジョゼフィーヌはこの頃まだ若かったです。歯並びが良くなかったので、口を閉じて少し離れたところから見ると、若く可愛らしい女性に見えました。美人とは言えませんが、彼女の持つ独特の何かが、彼女と関わる全ての男性にアピールしました。」(a)</p>
<p>ジョゼフィーヌは当時虫歯に悩まされており、それを隠すために笑うときに必ず口に手を当てていたが、それがまた優雅な所作だったと言います。<img class="size-medium wp-image-561 alignleft" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/rose-2980163_1920-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/rose-2980163_1920-300x200.jpg 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/rose-2980163_1920-768x512.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/rose-2980163_1920-1024x683.jpg 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/rose-2980163_1920-728x485.jpg 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>このようにジョゼフィーヌは外見的に十分魅了的でしたが、美女と呼ばれるタイプではありませんでした。</p>
<p>しかし彼女は関わる全ての男性を虜にするほどの強烈な外見上、そして内面から醸し出される魅力を持ち合わせており、多くの男性のハートを鷲掴みにしました。</p>
<p>ジョゼフィーヌは肉体的にも、精神的にも、女性らしさ、フェミニンさを全面に押し出した女性だったのでしょう。</p>
<p>南の島で生まれ、育ったためにジョゼフィーヌにはフランス本土で育ったフランス人の貴族女性にはない、ふくよかさ、ナチュラルさ、シンプルさ、また刹那主義的な生き方、そうしたものをすべて持ち合わせていました。</p>
<p>同時にジョゼフィーヌはかつてフランスの超有名貴族と結婚をしていたため、パリ社交界における立ち居振る舞いについても完璧でした。</p>
<p>さらにジョゼフィーヌは人心術にも長けており、当時無名の野心家で孤独だったナポレオンが求めていたもの、気遣い、優しさ、安らぎなどを即座に差し出すことができるような女性でした。</p>
<p>そしてジョゼフィーヌはパリ社交界で新参者のナポレオンを虜にし、年の差婚と相成りました。</p>
<h2>ナポレオンとジョゼフィーヌの年の差婚</h2>
<p>ナポレオンはジョゼフィーヌと出会った当時地方育ちの裕福な出の女性と婚約をしていました、しかし彼は迷うことなくこの婚約を破談にしました。</p>
<p>ナポレオンは当初ジョゼフィーヌが資産家だったと思っていた節があります。ところがそうでないとわかってからも、彼の結婚の意志は変わらなかったと言います。つまりナポレオンにとっては正真正銘の恋愛結婚でした。</p>
<p>ではジョゼフィーヌの方ではなぜナポレオンとの年の差婚を決めたのでしょうか。</p>
<p>当時のフランスの上流階級では恋愛と結婚は一致せず、ましてや未亡人で無一文となったジョゼフィーヌがナポレオンとただ恋愛感情だけで結婚したとは考えられません。ジョゼフィーヌは自分が若くないことを自覚し、金銭的な理由からナポレオンのプロポーズを受けて結婚したと考えるのが妥当です。</p>
<p>ナポレオンは、その後結婚が引き起こす政治的困難、つまり世継ぎの問題についてはそこまで自覚しておらず、またジョゼフィーヌ自身の思惑についても全く無頓着でした。</p>
<p>ナポレオン個人にとって、恋愛が何よりも勝りました。そして自分の恋愛感情を優先してジョゼフィーヌと<strong>年の差</strong>婚を果たしました<strong>。</strong></p>
<p>ところがナポレオンの故郷コルシカに住む実家の人々は二人の結婚を快く思いませんでした。</p>
<p>特に敬虔なカトリックの信者であるナポレオンの母親はジョゼフィーヌが年上で、既婚だった事実については目を瞑ることができましたが、何人もの愛人を持ったジョゼフィーヌを断じて自分の息子にふさわしい結婚相手としては許すことはできませんでした。</p>
<p>そのため、ナポレオンは実家には結婚についてなんの事前報告もせず、ジョゼフィーヌと極秘結婚しました。<img class="size-medium wp-image-563 alignright" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/france-1489367_1920-300x300.png" alt="" width="300" height="300" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/france-1489367_1920-300x300.png 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/france-1489367_1920-150x150.png 150w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/france-1489367_1920-768x768.png 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/france-1489367_1920-1024x1024.png 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/france-1489367_1920-728x728.png 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>革命以来結婚式は役所で執り行われるようになっていました。ナポレオンは自分自身の結婚式に二時間遅れてやってきたと言います。そして仕事が忙しかった、と言い訳したそうです。</p>
<p>実際のところ、ナポレオンはわざと遅刻したのではないかと言われています。ナポレオンは彼特有のエゴイズムで自分が愛している人を含めた全ての人との関わりにおいて、常に自分が優位な立場になることにこだわりました。ナポレオンには感情的に幼稚なところがあった、と言われる所以です。</p>
<p>ナポレオンとジョゼフィーヌは年齢を偽って結婚しました。彼らの婚姻記録には、ジョゼフィーヌは実際年齢よりも３歳若く、ナポレオンは実際年齢よりも３歳年上の年齢が記載されています。</p>
<p>これらのことから６歳の年の差婚といえども、年上の女性と結婚するということは、19世紀初頭のフランスの支配階級では社会的仕来りに反する側面があったことが理解されます。</p>
<h2>結婚後のナポレオン</h2>
<p>結婚後もジョゼフィーヌの浮気癖は続きました。ナポレオンがしばしば戦場に赴いたためにパリで浮気をするのは難しくなかったのです。また戦場に来て欲しいというナポレオンの要請にも耳を貸すことはありませんでした。</p>
<p>ナポレオンはエジプト遠征中にジョゼフィーヌと美男で若い騎兵大尉との浮気について聞き知り、ジョゼフィーヌに浮気を止めるよう手紙を送りましたが、その手紙がイギリス軍に渡り、イギリスの新聞にすっぱ抜かれてしまいました。</p>
<p>この時ナポレオンは怒り心頭でついにジョゼフィーヌとの離婚を決意しました。しかしジョゼフィーヌの二人の連れ子に嘆願され情を絆し、また自身はジョゼフィーヌを愛していたことから、離婚を思いとどまったそうです。</p>
<p>その後ナポレオンはトントン拍子に出世し、フランス帝国の皇帝の座に就きます。彼の成功は上流階級のマナーを熟知し、人脈が広かったジョゼフィーヌのサポートなしには考えられませんでした。</p>
<p>ナポレオンが皇帝になった頃にはナポレオンとジョゼフィーヌの力関係は逆転していました。その頃ジョゼフィーヌはナポレオンを真摯に愛するようになり、一方ナポレオンは浮気をするようになりました。ナポレオンはパリ以外の土地でジョゼフィーヌ以外の愛人を持ち、私生児も誕生しました。</p>
<p>一方政治的にもナポレオンにとってジョゼフィーヌとの結婚は不都合なものとなっていきました。1804年に世襲制の皇帝の位に就いた後ナポレオン皇帝は現実問題として「世継ぎ」が必要となったからです。</p>
<p>ナポレオンは1806年にプロイセンとの戦争に突入しますが、この時既婚のポーランド貴族女性に一目惚れしました。この女性はナポレオンにとって最もお気に入りの愛人だったと言われています。</p>
<h2>ナポレオン法典とジョゼフィーヌ</h2>
<p>ナポレオンは「近代民法の祖」と言われるナポレオン法典を編纂しました。ナポレオンはフランス革命以前にあった伝統的な家族観を復活させ、それを近代的な民事的結婚の制度と結びつけました。</p>
<p>ナポレオンはナポレオン法典における家族についての項目を編纂するにあたって、フランス社会の秩序安定化を何よりも優先させました。</p>
<p>自身は恋愛感情から後先について考えずにジョゼフィーヌと年の差婚を実現させたのにもかかわらず、ナポレオン法典では「結婚は家族の地位の維持、向上の手段として重視される」と規定し、結婚を何よりも社会秩序安定の手段と捉えました。<img class="size-medium wp-image-468 alignleft" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/hammer-719066_1920-300x225.jpg" alt="" width="300" height="225" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/hammer-719066_1920-300x225.jpg 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/hammer-719066_1920-768x576.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/hammer-719066_1920-1024x768.jpg 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/hammer-719066_1920-728x546.jpg 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>ナポレオン法典において、夫が浮気をした妻を殺すことすらできることになっている（姦通罪）のは、ナポレオンがジョゼフィーヌの浮気に散々悩まされたからだとも考えられます。しかしこれは象徴的なことで、実際フランス社会でこの法律が運用されたことはなかったそうです。</p>
<p>またナポレオン法典は嫡子、婚外子との間に権利上の差を設け、婚外子には相続権が認められませんでした。</p>
<p>ジョゼフィーヌはナポレオンとの子供に恵まれない一方で、ナポレオンには婚外子がいましたが、ナポレオンはこれらの子供を世継ぎにすることはありませんでした。この点でもナポレオンが社会の秩序の安定化を第一義に考えたことがしのばれます。</p>
<p>唯一ナポレオンが自身の状況を考慮して草案したと思われるのが、ナポレオン法典が離婚を認めた点です。この点では自分の世継ぎの問題が頭をかすめたのではないのでしょうか。</p>
<p>そしてナポレオンは1810年にジョゼフィーヌの気持ちを慮って遅れ遅れにしてきた年の差婚をご破算にして、離婚を決意します。そしてオーストリア皇帝フランツ1世と同盟を結ぶために、その長女マリー・ルイーズと再婚しました。</p>
<p>ナポレオンは自虐的に「腹と結婚した」と言ったと伝えられています。ジョゼフィーヌとの離婚はナポレオンにとって大きな心の葛藤が伴う決断でした。</p>
<p>1811年にマリー・ルイズはめでたく男児を出産しましたが、その後ナポレオンはヨーロッパとの戦争に敗れ、敗退したため、世継ぎの問題も消滅しました。</p>
<h2>終わりに</h2>
<p>離婚によってジョゼフィーヌは大きな心の痛手を受けました。しかし同時にナポレオンから手厚い保護も受けました。彼女は多額の年金を受け取るとともに、離婚後パリ郊外のマルメゾン城に住み、そこで静かに余生を暮らしました。彼女はバラが好きでイギリスなどから珍しいバラをたくさん取り寄せて、美しいバラの庭園を作りました。<img class="size-medium wp-image-562 alignright" src="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/rose-174817_1920-300x225.jpg" alt="" width="300" height="225" srcset="https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/rose-174817_1920-300x225.jpg 300w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/rose-174817_1920-768x576.jpg 768w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/rose-174817_1920-1024x768.jpg 1024w, https://francechapeau.com/wp-content/uploads/2018/09/rose-174817_1920-728x546.jpg 728w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>ナポレオンがエルバ島に流された後もジョゼフィーヌはナポレオンにできうる限りの支援をしたと言います。一方ナポレオンが生涯をかけて愛したのもジョゼフィーヌでした。彼の臨終の際の最後の言葉は「ジョゼフィーヌ」だったと言われています。</p>
<p>フランス革命の頃から<strong>恋愛</strong>結婚が始まったと言われるますが、ナポレオンとジョゼフィーヌの恋愛、年の差婚はそれを象徴しています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>『ジョゼフィーヌ―革命が生んだ皇后』 白水社、1989年</p>
<p>&nbsp;</p>
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