17世紀フランスの歴史映画ーバロックな恋愛とは?

今日は2020年4月29日。

実家に帰省することも見送ったほうがいいとの政府の勧告があり、こんなに静かなゴールデンウィークはこれまでも、今後もないことでしょう。(そうであることを祈ります)

一方では、これまでにないほど忙しい方々もいらっしゃるわけで、その方々に対して感謝をしつつ、家にいて負担を増やさないように心がけたいと思います。

この時期、フランス旅行を考えていて予定がキャンセルされた方もいるかもしれません。

今の時期はフランスでも緑が青々していて、でもそこまで暑くなく、こんなに素敵な時期はない、と言う頃ですよね。

でも日本もやっと気候が穏やかになってきました。今は、考えようによっては、普段できないことができる時期です。

例えば家にいつつ、フランス映画を見ながら、フランスの歴史に触れるなど・・・・。

ここでは17世紀フランス,つまりバロックの時代を舞台にした興味深い歴史映画を3つ紹介したいと思います。

取り上げるのは『巡り逢う朝』『恋こそ喜劇』『シラノ・ド・ベルジェラック』の3本の歴史映画です。

これらは、フランス人の恋愛観を知るのにとっておき、とも言える歴史映画です。

バロック音楽のすすめー『巡り逢う朝』

バロックとは17世紀ヨーロッパに主流となった芸術様式です。バロックとはもともと「歪んだ真珠」という意味があるそうです。あと「極端な」「誇張した」などの意味も。

バロック様式とは、その前のルネッサンス様式の反動でした。ルネッサンス様式は規則正しさ、直線、などの特徴がありましたが、その次のバロック様式は、それとは真逆な大げさで、不規則な形が主流となったのです。

代表的なバロック様式と言えば、ヴェルサイユ宮殿です。

『巡り逢う朝』(1991)はこのバロック時代を舞台とした歴史映画です。時代は1680年頃で、背景にはもちろん、ヴェルサイユ宮殿を建てたルイ14世による強い王権国家があります。

ただこれはあくまでも歴史背景であって、主題ではありません。この時代に宮廷に仕えるという世俗的な出世欲を捨て、ひたすら亡き妻を思い、二人の間にできた二人の若い娘を育てる寡夫の話です。

寡夫は稀に見る音楽家で、でも宮廷に仕えるというオファーすら拒絶して、ひたすら孤独に音楽の道を邁進します。

まあ設定から言えば、3つの歴史映画の中でもっとも地味かもしれません。

ただ淡々と描かれる辛い人生に対して、それを和らげるべく一貫して流れてくるのがバロック音楽です。

映画の物静かさによってバロック音楽の良さがより際立っています。

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現在わたしたちが見る映画に使われる音楽の多くは現代音楽、もしくはロマン主義の時代の音楽です。普段バロック音楽を聞くことはありません。

リュートなどの楽器が使われているバロック音楽がこの歴史映画の聞きどころです。わたしたちには馴染みのない音楽であるのにかかわらず、これらの音楽を聞いていると、思いの外気分が落ち着きます。

それは時間に急かされて生きている現代人とは違う時間の流れの中でできた音楽だからでしょう。その意味でわたしたちを異次元の世界に連れていってくれます。

映画としての見所は、ジェラルド・ドュパルドゥーというフランスの国民的俳優の息子のギヨームが若くイケメンの主人公を演じているところでしょうか。

父親のジェラルドがナレーションをし、主人公の晩年も演じています。親子が演じているところがフランス人を喜ばせました。

残念ながらその後ギヨームは若くして亡くなってしまいました。

原因はバイク事故の後の手術による感染が悪化してしまうという、普通だったら避けられるような、残念な原因によるものでした。

それもこの歴史映画になんとも言えない悲哀さを与えています。

田舎の単調な生活の中で、主人公の若き音楽家は寡夫の娘の一人と恋仲になります。

しかし彼は最終的にはこの家族を離れ、ヴェルサイユ宮殿のオーケストラに入っていきます。そして二人は別れ、娘は悲しみのあまり病気になり、亡くなってしまいます。

ちなみに恋に破れた結果、美しく麗しい若い女性が憔悴し亡くなってしまう、というパターンはフランス映画ではよく見るパターンです。

17世紀フランスのエリートだった貴族の暮らしぶりも見所です。考える映画ではなく、感じる映画。好きか嫌いかが分かれる歴史映画でもあります。

ちなみにバロック音楽に興味がある方は、映画とは関係ありませんがこちらをご覧ください。

『モリエールー恋こそ喜劇』

『巡り逢う朝』が物悲しいトーンだとすれば、それとは反対にコミカルなシーンによって思わず笑ってしまうシーンが多いのが『恋こそ喜劇』です。

この歴史映画は本当に笑えてしまいます。それもそのはず。

17世紀フランスを代表する喜劇作家モリエールの人生について扱った歴史映画だからです。

モリエールの空白とされる青年期に、その後の名作を生むきっかけとなる恋愛があったと仮定した、彼の青年期についてのフィクションです。

売れない作家、世に認められない作家だったモリエールは、彼からこっそりと喜劇について学びたい金持ちの商人、ジョルダン氏のところに「末娘の教育係」として居候になります。

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ジョルダン氏の妻エルミールは、モリエールの作品とは知らずに彼の書いたものを絶賛し、モリエールとエルミールは不倫の関係になります。

不倫といっても今日日本人が想像するようなニュアンスではありません。

中世の領主(つまり上司)の妻に対して騎士が一方的に精神的愛を捧げたことがフランスにおける恋愛の歴史的ルーツです。

この歴史映画もこの流れを汲んでおり、恋愛相手は社会階層的には自分よりも上の年上の既婚女性です。

17世紀フランスの上流階級でも結婚は家と家の間の政略結婚が通常で、二人の人間の感情と思考の関わりによる真の恋愛感情というのは、ある程度人生経験を経た年齢の女性との不倫以外にはありえませんでした。

なぜなら若い女性がこのような体当たり的な体験をしてしまうと、『巡り逢う朝』のような結果になってしまう可能性があるからです。

この話はフィクションですが、17-18世紀のフランスでは、上流階級の女性の卓越した文学的感性によるサポートによって、多くの作家が誕生した、というのは歴史的事実です。

例えば「シンデレラ」や「美女と野獣」などのおとぎ話を残した作家ペローは貴族女性が自宅で開いていたサロンに出入りして、卓越した感性を備えた彼女たちとの交流や会話から刺激を受けました。

庶民の話を題材に書かれたドイツのグリムと比べると、フランスのペローが書いた童話は同じ題材を扱っているのにかかわらずエレガントで上品なのはそのような理由です。

『恋こそ喜劇』はコミカルな場面が多いです。例えばモリエールがジョルダン氏に馬を演じるところを教えますが、見ているだけで笑えてしまいます。

結末は『巡り会う朝』と同様、悲恋で終わります。でも当事者たちはわきまえているため見ている側も悲しくなりません。

『シラノ・ド・ベルジェラック』

17世紀フランスバロックの時代を扱った3つ目の歴史映画は『シラノ・ド・ベルジェラック』です。

主演は『巡り逢う朝』と同じジェラルド・ドュパルドゥーです。

『シラノ・ド・ベルジェラック』はもともと戯曲です。17世紀フランスに実在した剣豪作家、シラノ・ド・ベルジェラックを主人公としています。

主人公の『シラノ・ド・ベルジェラック』は、哲学者であり、理学者であり、詩人、剣客、音楽家と多彩ですが、類まれな醜い容姿に深いコンプレックスを持っています。

映画では異常に大きい鼻が特徴です。ヒロインのロクサーヌは、シラノのいとこで幼馴染です。若く明るい美女。

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ロクサーヌは自分を一方的に愛するシラノを「お兄様」として慕う一方で、シラノの友人の美青年クリスチャンに恋をします。

容貌は美しいが文才のないクリスチャンは、シラノのサポートによって手紙や会話でもロクサーヌを魅惑し、二人はめでたく結婚。しかしまもなくクリスチャンは戦争で亡くなり、ロクサーヌは未亡人となります。

そして晩年までシラノとの交流を続けたロクサーヌはシラノが亡くなる時自分を才知によって魅惑した文才の持ち主が、クリスチャンではなくシラノだったことに気付きます。

でも「時すでに遅し」こちらも悲恋です。

この映画の見所は、シラノ・ド・ベルジェラックを演じるジェラルド・ドュパルドゥーの名演です。醜い外観に宿る美しい心が際立ちます。

彼はロクサーヌに対する深い愛を、クリスチャンを通じて、ロクサーヌに伝えます。ロクサーヌのクリスチャンとの愛が成就するように、自分の気持ちを押し殺して相手に尽くします。

シラノ・ド・ベルジェラックの助けなく、言葉に何の才覚もないクリスチャンに対して、ロクサーヌは興ざめをしてしまう場面があります。ロクサーヌはイケメンの外観と言葉に表現された美しい感情を天秤にかけた時、実は後者に惹かれます。

もしシラノ・ド・ベルジェラックにあそこまで自分の外観に対するコンプレクスがなかったら、二人の愛は成就していたかもしれません。外観より中身の方が重要なのです。フランスには「彼女は美しい、でも彼女はバカだ」ということわざもあります。

最後に

ここでは17世紀のバロックフランスを舞台とするフランスの歴史映画を3つ紹介しました。

話はそれぞれに異なるのですが、映画ポスターを並べると、同じような傾向があることがわかります。なぜかどれも自然が占める割合が大きく、中心となるのは男性です。

エリート社会で繰り広げられる歴史映画。3つの歴史映画ではどれも美しい恋愛シーンが描かれていますが、それらはどれも続きません。

さらにバロックの恋愛には常に芸術が関わっています。『巡り逢う朝』では音楽、『恋こそ喜劇』では喜劇、そして『シラノ・ド・ベルジェラック』も文才です。

わたしたち現代人は、ハッピーな恋愛感情を結婚に押し込めて永遠のものとしたい、という願望を持っています。

このような思い込みはハリウッド映画などにも表現されていますが、今日紹介したフランスの歴史映画からは、そのようなことは不可能だ、とのメッセージが読み取れます。

こうした文化背景を持つフランス人というのは恋愛に対して、現実的で冷徹な視線を持っているのかもしれません。

最後にこれらの3本の歴史映画の時代背景となった17世紀という時代についても少し説明しておきます。

一般に17世紀は「危機の時代」と言われています。ヨーロッパ各地では政治的危機や戦争が頻発し、農民の反乱が起き、人口も少なくなりました。

おまけに気候変動もあって住みにくい時代だったそうです。

上層階級の貴族の男性は度重なる戦争に兵士として出かけていかなくてはなりません。それこそ命がけの人生です。

そんな中、17世紀フランスでは貴族と国王の関係が徐々に変化し、貴族たちはパワーを失うとともに、この時代から徐々に商人たちが経済力を背景に力を増していきます。このように経済的にも転換期でした。

それぞれの映画でも貴族出身の人、商人の家の人などが出てきて、マナー、振る舞いや価値観が違ったりします。フランスはイギリスと異なり、貴族階級がなかなか商人たちを仲間とすることを拒み両者は異なる社会グループとして存在し続けました。

登場人物が貴族か商人かを意識して見るだけでも面白いでしょう。

死と裏腹の人生、自分が愛する人と結婚できない人生、愛する人を死で失ってしまう人生、身分が高くとも、お金があっても何かと苦しいことが多い世の中を生きる中で、束の間の真実の愛が綺羅星のように輝いていたのでしょう。

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こんにちは。 フランスやイギリスで10年ほど暮らしました。 現在は東京に住んでいます。 フランスの女性、文化、おしゃれ、ニュースなどの多彩な情報を発信していきます。 どうかよろしくお願いします。