日本人女性はなぜフランス人男性との恋愛、結婚に憧れるのだろうか。

日本人女性がフランス人男性と結婚した、と聞いてあなたはどう反応しますか。

フランス人男性との国際結婚に、他国人男性との国際結婚とは違うニュアンスを感じ取る日本人女性もいるのではないでしょうか。

バブル経済のまっただ中に青春を生き、現在50歳以上の日本人女性(バブル世代)と、それより若い世代の日本人女性(ポストバブル世代)では、フランスのイメージは大きく変化しました。

遠きにあって漠然とした憧憬の対象だったのが、グローバル化、航空機運賃の値下げなどによって海外旅行が身近になるについて、フランスのイメージも、より具体的、現実的なものへと変化しました。

それなのにー

時代が変わったのに、ポストバブル世代の日本人女性も、バブル世代同様、フランス人男性との恋愛、結婚に対して憧れを持ち続けています。

日本人女性はなぜフランス人男性との恋愛、国際結婚に憧れを抱くのでしょうか。

日本社会における国際結婚の増加

日本では結婚しない人が増え続け、少子化に拍車がかかっているのは周知の事実です。

特に日本人男性の未婚率が深刻化し、50歳の日本人男性の未婚率は25パーセントに上ると言われています。

日本人男性の未婚化は、日本人男女が求める、ライフスタイルの不一致によって引き起こされました。

地方に住む農家の男性にとって、結婚は、農作業、跡取りなどの問題と直結します。しかし日本人女性はそのようなライフスタイルを望まないからです。

その結果農家を営む日本人男性を中心に、国際結婚が増加しました。彼らは「良妻賢母的イメージが強い」アジアの女性と国際結婚する傾向が強く、このパターンが現在でも日本人の国際結婚のおよそ80パーセントを占めます。

この傾向が後押しして、日本人全体の国際結婚率は2006年頃に6パーセントまで上昇しました。その後若干減少し、現在日本人の国際結婚率は、人口全体の3パーセント前後で推移しています。

日本において経済のグローバル化は結婚のグローバル化を促進しませんでした。少子化が深刻化する日本ではありますが、日本人の国際結婚の割合はそれほど多くない、というのが現状です。

その一方で、国際結婚の内訳に変化が生じているのも事実です。日本人男性の国際結婚の相手の出身国がアジアの女性に固定化され、その数も横ばい傾向にあるのと比べると、日本人女性の国際結婚率が近年増加傾向にあります。

日本人男性とは異なり、日本人女性が選ぶ外国人パートナーの出身国を一般化することはできません。彼女たちは結婚に対して柔軟な価値観を持つため、相手の国籍もバラバラだからです。

このことは、日本人女性が経済的、精神的自立を得たことを示しています。その結果、彼女たちは結婚に際して「年齢、学歴、国籍、ジェンダー」などにこだわらず、好きという感情を重んじる傾向がある、ということです。

その一方で、国際結婚と聞いた時の日本人女性の反応は次の二つに一つではないのでしょうか。

羨ましいか、そうでないか。

様々あるケースの中で、日本人女性は、フランス人男性の結婚と聞くと憧れの気持ちを抱くはずです。ではなぜ日本人女性は、フランス人男性との国際結婚をポジティブに捉える傾向があるのでしょうか。

バブル世代の日本人女性にとって、フランス人男性との結婚は最上級の『シンデレラストーリー』だった。

フランス人男性との国際結婚、という一般の日本人女性にとっては雲を摑むような実体のないイメージを逆手にとって、もう15年以上もの間メディアの仕事をされてきた有名日本人女性がいます(ここでは某彼女とします)。

某彼女の例は、日本人女性が総じてフランス人男性との結婚に憧れる、ことを実証して見せました。

かつて日本で女子アナとして人気を博した後、現在パリで結婚して幸せな家庭を築いた某彼女。

某彼女はこれまでにパリ、フランスについて複数の著書を出版しています。フランス観光大使にも任命されたこともあります。現在でもその人気は健在で、自分の名前を冠したモックブックを出版しています。

テレビ番組でも時折某彼女の華やかなパリ生活が取り上げられているということは、やはり日本人一般の関心を引くのでしょう。

刻一刻と時代が変化する中、パリに住みつつ、フランス人男性の結婚を主軸にして、長年日本人女性の関心を引きつけた、というのはそれだけですごいことです。

某彼女は現在50歳手前。某彼女がフランスへ旅立った同時期に、別の女子アナも「自分探しのために」パリに住むことを決意しました。その頃別のもう一人の有名女優もパリに居を構えることを決意しました。この中でフランス人と結婚したのは唯一某彼女でした。

その後有名人がパリに移住したという話を聞かなくなりました。最近の傾向では、有名人たちはパリよりもロンドンに住む傾向があります。

そういう意味では、元女子アナの某彼女は渡仏した最後の芸能人世代でした。

それでも現在に至るまで、フランス人男性との結婚から醸し出されるイメージを武器に、ブログ、広告、テレビ、モデルなどのビジネスを継続しています。

某彼女のクライアントの中核は、昭和40年代前後に生まれた日本人女性です。東京オリンピック開催後の、日本経済の高度成長期に生まれた世代です。

バブル世代の日本人女性が幼少の頃、それは、ようやく各家庭に固定電話が普及し、テレビ、洗濯機、冷蔵庫などの家電を持つことが少しづつ当たり前となっていった時代です。

バブル世代の日本人女性が成人した頃、バブルの全盛期でした。女子学生が、お金の心配をすることなくクラブ(当時はディスコと呼ばれた)に出かけ、男性に貢がせ、毛皮やブランド品を身につけた時代です。

その後バブル経済ははじけ去りましたが、バブル世代の日本人女性の心の中では、その余韻はずっと続いているでしょう。某彼女の美しい姿はこの心の余韻に訴えかけます。

某彼女は渡仏する前、テレビ局の看板女子アナの一人でした。

まだバブル経済たけなわのころ、某彼女は美味しいもの巡りの番組を担当していました。今でも、地方の有名なうどん屋さん、お惣菜屋さんなどに行くと、20年以上前の、番組撮影時の某彼女を囲った記念写真が飾ってあるのを見かけることがあります。

エルメスのスカーフとバッグ、一目見て高価と思われる洋服。きらびやかなアクセサリー。

バブル経済で湧く日本で、さらにその上をいく華やかさを身にまとった20代の頃の某彼女。お店の人、テレビ関係者、某彼女が映った記念写真の中で、某彼女一人が突出していました。

まもなく某彼女はテレビ会社を退職しました。

そしてイケメンで裕福な出自の、でも全てにおいて割り勘を通すという、フランス人男性との結婚を決め、渡仏しました。

いわゆる「三高」では飽き足らずその上を行ったということで、某彼女の生き様がシンデレラストーリーとなった瞬間です。

結婚を人生の最重要課題と位置付けるバブル世代の日本人女性は、自分と某彼女の境遇の違いを冷静に受け止めつつ、某彼女のパリでの生き様に暖かい眼差しを向けました。

バブル世代の日本人女性が某彼女に憧れるのは、それがシンデレラストーリー、つまり夢物語だからです。

元女子アナの某彼女は純粋だったのでしょう。パリでの生活には、常人にはわからないたくさんの苦労があったことでしょう。

それらを全て乗り越え、長いパリ生活の末、見た目だけでなく内面的にもパワフルな某彼女は、さらに洗練されて綺麗に進化しています。

バブル世代の日本人女性は某彼女のシンデレラストーリーがハッピーな進化を遂げていることに安堵します。それは、某彼女の生き様が、夢、憧れの対象であると同時に、家庭に入るという選択が間違っていなかった、という自己承認にも繋がるからです。

その結果、某彼女の不思議な「パリビジネス」は今も活況を呈しています。

パリ:「花の都」から「ファッションの都」へ


バブル世代の日本人女性が元女子アナの某彼女のフランス人男性との結婚に関心を寄せるのは、彼女たちが「花の都」パリというきらびやかなイメージに囚われた最後の世代だからでもあります。

「花の都」パリとは、明治の開国以来日本人に影響を与え続けてきたイメージを指します。

40年ぐらい前までは、パリに行く、というのは特権的意味合いがあり、有産階級の姉弟、作家、芸術家に限られていました。

さらにこの特権的意味合いを強めたのが、ヨーロッパまでたどり着くための移動手段です。なんと1970年代初頭まで、日本人は船旅でヨーロッパへ渡っていました。

時の流れを気にすることなく、四方を海に囲まれつつ、怠惰、優雅に身を任せ、これから起こるであろうエキサイティングな旅行を夢想する。船旅による渡仏は、現在のスピード重視の旅のあり方とは異なるものでした。

南回りで、スエズ運河を通過、地中海に出て、最初の上陸地点がフランスのマルセイユでした。

船旅の時代、日本人がヨーロッパ文明に最初に遭遇するのがパリであり、日本人のヨーロッパ文明に対する思い入れを凝縮してパリは「花の都」と呼ばれるようになりました。

船旅という戦前の渡仏の習慣は戦後にも受け継がれました。明治の政治家や文学者だけでなく、ファッションデザイナーとしてパリで成功したケンゾーも船でフランスへ渡ったといいます。

1970年代まで海外に持ち出せるお金も制限されていたため、当時フランス人男性と結婚できる日本人女性はある意味特別な女性に限られていました。

この頃女優の岸恵子さんがフランス男性と国際結婚をしました。もしパリが「花の都」でなかったら、岸恵子さんは果たしてそのような決断を下したのでしょうか。

1970年代以後、飛行機による渡仏が一般化していくにつれて、日本人のフランス旅行は次第に大衆化していきました。フランスは次第に普通の日本人の手に届く夢になりました。

フランスのイメージが民主化するにつれて、「花の都」パリのイメージもそれ相応に、より具体的なイメージへと進化を遂げました。そして1980年代までに、パリは「花の都」から「ファッションの都」へと変化を遂げたのです。

この点で女性ファッション雑誌が果たした役割は大きいものでした。その中心的役割を担ったのが、現在でも存続する雑誌、アンアンでした。

JJがアメカジファッションを前面に押し出して、典型的な女子大生から中産階級的結婚への花道を一つのライフスタイルとして引導したのに比べ、アンアンは既定路線とは異なるライフスタイルを提案しました。

アンアンは黒づくめ、ヨーロッパのエレガンス、奇抜なDCスタイルなどに代表される個性的なファッションを重視しました。

1986年に男女雇用均等法が法制化されました。同時期に『結婚しないかもしれない症候群』という本がベストセラーになりました。

この時代の波に乗って、自分の個性を発揮して、やりがいがある、もしくはクリエイティブな仕事を持ちたい、そして仕事を持つことによってかっこいい女性になりたい、と望む日本人女性が現れたのです。

既定路線とは異なった、一風変わった、でも既定路線以上にお金のかかる路線を目指す日本人女性。彼女たちにはある特徴があります。比較的裕福な家庭に育ち、その多くは高等教育を受けています。流行にも敏感でブランド品を好みます。

これらの日本人女性は、1980年代にこぞってアンアンの読者になりました。そしてアンアンで紹介されている個性的なファッションに身を包み、同時にそのライフスタイルが示唆するストーリーを自分の人生の中に取り込もうとしました。

その一つが自分で働いてパリに旅行へ行くことでした。

負け組女子とフランス人男性との恋愛、結婚

それからずいぶんと時が経ちました。

バブル経済がはじけた後、日本は長い「失われた十年」のトンネルをやっと抜け出ることができました。

そして気づいたら格差社会が到来していました。

時代は変わりましたが、女性の生き方、ライフスタイルの選択肢は、バブル時代と驚くほど変わっていません。

ポストバブル世代の日本人女性も、一部の両立組を除けば、結婚も仕事も、というよりは、相変わらず、結婚か仕事か、どちらかを選ばなければならない状況を強いられています。

しかし今日では、女性の二者択一的生き方を表現するのは、女性ファッション雑誌の役割ではなくなりました。

変わって、両者の生き方は格差として捉えられるようになりました。

結婚できた人は勝ち組、できなかった人は負け組、というふうに。実際勝ち犬、負け犬の言葉は単なる流行ではありません。そこには日本社会における女性の社会的立場の深刻な問題が隠されています。

働く日本人女性の数が増えたのにかかわらず、その多くはプロレタリアート化しているという現実があります。日本人女性の多くは派遣などの立場に甘んじ、男性に比べると収入も少ないのです。

それだったら早く結婚して経済的に安定したほうがいいじゃん、という考え方です。そしてこのような考え方は社会の風潮がますます保守化している現在の社会環境ともマッチしています。

この勝ち組、負け組のレッテルを貼られるのは、主に現在30歳以上50歳未満の、ポストバブル世代の日本人女性です。

もちろん、勝ち組を目指すポストバブル世代の日本人女性にとって、本道から外れるフランス人男性との結婚は、断じて、憧れの対象ではありません。

フランス人男性との国際結婚と聞いて、それを羨ましいと感じるのは、働いて、精神的にも自立して、一人で生きていけるような「頼もしい」女性たちです。

2018年現在、パリとはもはや遠くから憧れ眺める「花の都」、「ファッションの都」でありません。望めば旅行をしたり、住んだりできる比較的「身近な」場所になったのです。

その結果、フランス人男性との結婚も、漠然と憧れるというものではなくより現実的な選択肢となりました。

フランス人男性との恋愛、結婚に憧れを抱き続けるポストバブル世代の日本人女性がいるとすれば、ズバリ、それは負け組の日本人女性でしょう。

いわゆる日本の適齢期を過ぎて、まだ未婚で仕事も続けている。でも結婚を諦めたわけではありません。出産のタイムリミットにはまだ時間があるため、人生のリベンジの可能性は残っています。

世間的に負け犬と呼ばれる日本人女性は、実際には視野の広い女性たちです。美術館、新しい本、映画などに真っ先に興味を示すのは彼女たちです。海外旅行も経験しているため、日本社会の価値観に固執するのではなく、世界に目が向いています。

社会的対面を強く意識し、自分が結婚を勝ち取った勝者であることを誇りに思いながら、実際のところは自分一人で生きていけず、生活保障のために結婚を手放せないでいる勝ち組の日本人女性。彼女たちとは対照的に、負け犬日本人女性は、自分自身がより幸せに生きていくため、自由でいられるための結婚の可能性を模索します。

フランス好きの負け犬日本人女性なら、こう考えるでしょう。

フランスでは女性が仕事をするのは当たり前。フランス人男性は女性を年齢のみでは判断しない。年上の女性もおばさんではなく、女性として生きている。愛の国、フランスでまだ自分の人生に花を咲かせる可能性は残っている、と。

まずは短い旅行をしてフランスの住み心地の良さを経験した後、フランスに長期滞在ができないか模索し始めます。

フランスのスーパーを訪れると、品揃え、雰囲気は日本のスーパーと変わりません。生活水準という意味では、フランスと日本は似ているので、違和感を感じずに、日常生活を送れることを実感します。

まずは、語学習得に加え、フラワーアレンジメント、パン、お菓子作り、美術、ワインのテースティングなどの文化的な習い事に精を出す日本人女性も多いのではないでしょうか。またこうした文化的な嗜みを好む女性ほどフランスでの生活は楽しくなる、という相乗効果があります。

負け犬世代に続く負け犬予備軍の日本人女性も顕在します。グローバル化の進展に伴い、経済的に恵まれた家庭の子供達は早くから留学することを目指します。その中には、音楽、美術などを勉強するために、フランスへの留学を希望する若い日本人女性もいます。

日仏の間にはワーキングビザの制度もあるので、金銭的に親に頼れない若い日本人女性でも手軽にアルバイトをしながら、フランスに住めるようになりました。

バブル世代とは異なり、フランスに憧れを抱くポストバブル世代の日本人女性にとって、仕事と恋愛、結婚はセットになっています。

フランス文化が好きで、文化、芸術などの仕事に携わりたいポストバブル世代の日本人女性にとって、女性が働くことと恋愛、結婚が両立しやすいパリ、フランスは「花の都」「ファッションの都」とは別の意味で、憧れの対象であり続けています。

さいごに

明治開国以来、日本人は「花の都」としてパリの芸術、文化に溢れたイメージに魅了されてきました。

それは、自分の現実の生活とは対極にある、純粋な夢としてのパリでした。

「花の都」の中に、フランス人男性との恋愛、結婚に対する漠然とした憧れも含まれていました。このマジックは明治開国以来バブル世代まで日本人女性に呪縛をかけました。

そして1980年代になってフランス旅行が一般化すると、パリは「花の都」から「ファッションの都」へと変化しました。

一方、渡仏が日常的なものになったこと、多くの情報にアクセスできるデジタル時代の到来とが相まって、ポストバブル世代の日本人女性たちは現実的なものの見方でパリ、フランスを理解するようになりました。

ポストバブル世代の日本人女性は、パリで生きていくことがたやすいことではないと知っています。負け犬としての人生の経験値があるため、プリンセスストーリーに対してバブル世代の日本人女性ほどには強い憧れを抱くこともありません。

現在の日本では、日本人の男性と、社会進出が当たり前になりつつある日本人女性の間では、双方のライフスタイルが全く噛み合っていません。

そのような状況が続く限り、フランス人男性との恋愛、結婚というテーマは、一部の負け犬日本人女性にとっては、一つのニッチとなるでしょう。フランス人男性は、独立心を持って生きてきた彼女たちを両手を挙げて受け入れる可能性があるからです。

 

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こんにちは。 フランスやイギリスで10年ほど暮らしました。 現在は東京に住んでいます。 フランスの女性、文化、おしゃれ、ニュースなどの多彩な情報を発信していきます。 どうかよろしくお願いします。