フランス語の愛(amour)という言葉には、友人、家族、見知らぬ人をも介した幅広い人間関係に関わるあらゆる種類の愛が含まれます。もちろん恋愛も愛の一部です。
とは言っても恋愛は、友情、近隣関係、国際的な援助、師弟関係、親子関係とは異なります。
古今東西、恋愛には神秘性がつきものです。恋愛には「なぜあの人がこの人と?」という理性では推し量れない側面があるからです。恋愛のことを英語で化学反応(chemical reaction)というのはそのためです。説明のできない抗えない力が、恋する二人に働きます。
しかしどうしたら神秘的な出会いにたどり着くのかなどと説明することは不可能です。しかし、恋愛に特有の神秘性が何でできているのかについて考えてみることで、恋愛へ一歩近づくことになります。
ここではフランス的恋愛の神秘性への扉を開く「良い趣味」についてご紹介します。
フランス人は一般に合理的
フランス革命の一面は、科学主義の宗教に対する戦いでした。フランスを旅されると修道院の装飾などが破壊されていることを見かけますが、それはこの革命期の名残です。
フランス革命後の宗教に変わって、理性が人々の倫理基準、判断基準となりました。地球の始まりはアダムとイブの伝説か進化論か、この問題はアメリカなどでは現在でも終わりを見ない論争となっています。
しかしフランス人は進化論が誕生する以前から科学を信奉することを選んだのです。フランス人を知るようになると彼らが大変理性的に物事を考えることがわかります。それは彼らが小さい頃からこの合理主義、理性を重視した教育を受けた結果です。
もちろんカトリック教の影響が全く消滅してしまったわけではありません。フランスの革命派がカトリック教の伝統を破壊したときそれに一番反対したのは伝統に慣れ親しんできた国民でした。その結果ナポレオンは「大多数のフランス国民の宗教」としてカトリック教を復活させます。
しかし今日ではカトリック教を固く信じるフランス人は少数派になりました。それが端的に現れるのが自分の死後どうしたいかと尋ねた時のフランス人の反応です。
「お墓なんかいらないから灰を海に捨ててくれ」というフランス人が結構いるのです。それもまだ死について現実的に考えられない若いフランス人からではなく、もう終活を始めなければならないような年齢のフランス人が、です。
確かに合理的に考えれば、宗教、つまり死後の世界を信じていないのであれば、人間は死後消滅する、ということになってしまいます。フランス人の合理主義というのは半端なものではなく、徹底していると日本人が感じる瞬間です。
私たち日本人は普段の日常生活ではあまり宗教とかかわっていません。結婚式を教会で上げたいというのは多くの日本人女性の憧れですが、それはキリスト教を信奉しているからではありません。
そうは言っても多くの日本人は自分の家族が亡くなったり、また自分が年をとったとき、やはりなんらかの形で宗教にすがるのではないのでしょうか。その証拠に一般的に日本人は先祖の宿るお墓の管理を重視します。この点はフランス人と大きく異なる点です。
では少し想像してみてください。この合理主義に貫かれた社会に身を置いたらどんなものだろうかと。
フランスの合理主義は権威主義を育む
それまで仲がいいと思っていた人が急に自分に背を向けるようになった。また、それまでそんなに仲が言い訳ではなかった人が急に親しげに近づいて来るようになった。
合理主義が行き渡った社会でこのようなことが起こったとき、人は少し戸惑いを覚えると思います。そして直接的に相手との間に直接的な原因がなかった場合、私たちは相手が得か損かで自分に対する対応が変わったのではないか、と想像したくなるでしょう。
例えばこれまで全く自分に対して無関心だったフランス人が急に親しげになった。よく話してみると「近々日本に来る」ことがわかったなど・・・のことはフランスでは割と日常茶飯事です。
また合理的に行動する、ということは現存の社会的ヒエラルキー、権威主義を助長しやすい側面もあります。例えば自分の利益を守るためには、上司にもペコペコしたほうがいいと判断します。
合理主義、計算、理性が支配する社会、つまり自分の周囲との人間関係が利害関係を基調としたものであるとき、フランス人が唯一非合理な自分に戻れるのが、恋愛です。
一般に人は計算して、恋愛するわけではありません。思いもかけない時に石につまずいて転ぶように恋愛が始まります。その結果、特に女性以上に理性的な傾向が強いフランス人男性にとって、恋愛をすることによって、やっとそれまで彼をがんじがらめにしてきた重たい理性の鎖から解放されるのです。f
このような社会だからこそ、フランス人女性以上に合理的な考えをするフランス人男性の人生にとって、恋愛はとてつもなく重要な意味を持つのです。
フランス的恋愛の神秘性
フランス人は恋愛に神秘性を求めます。なぜだかわからないけどその相手に魅かれてしまう。その相手を唯一無二のパートナーとして選ぶ。そのような場合、上に書いた権威主義、社会階層などは全く意味を持たなくなり、フランス人は全てを犠牲にしても恋愛に走ることがあります。そしてそれについて、周りのフランス人も理解を示します。
ではその神秘性とは何なのでしょうか。それは誰にもわからないものです。サン・テグジュペリの「星の王子さま」はこの愛における神秘性についての話です。
星の王子さまはなぜあのわがままな赤いバラの世話をして、手名付けたのでしょうか。そこに合理的な理由はありません。でもそれが愛で、それは目に見えないものであることは確かです。
しかしフランス人が恋愛に神秘性を求める、というのは相手のことがわからないから神秘的というのとは異なります。
日本では相手の男性が真剣にコミットしてくれるまで、つまり結婚するまで、女性は自分を完全には明け渡さない方がいい、というようなことを言います。そのような視点からみれば、フランスではコミットメントをする前に、旅行に一緒に出かけたり、バケーションを過ごしたり、同棲したりして、全て手の内を明かしてしまうように思えるかもしれません。
同棲をして朝起きたばかりのノーメークですっぴんのところも見られ、もしくはトイレに行くところもあらかじめ見られてしまいます。そのような日々の生活の場面を隠して、自分を神秘的に演出する、ということは恋愛にとって必要なことですが、ここで問題としている愛に内在する何か神秘的なもの、とは意味を異にします。
結婚した後の日常生活においてこそ恋愛感情を持続させなくてはならない、と考えるフランス式恋愛において、神秘的なものが結婚後も二人に付いて回ることになります。
多くの結婚した日本人のカップルは、二人をつなぐものは子供だろう、子はかすがいと言うでしょう、と答えるでしょう。フランス人にとっても子供はもちろん大切ですが、子供が存在したとしても、相手との間に愛がない場合には離婚に発展します。また現在の夫よりももっと素敵な人から告白されて、家族を捨ててその男性を選ぶフランス人女性もいます。
フランス人は、子供ではなく、カップルとしての二人の中に内在するものの中から、永遠に二人をつなぎとめる「何か」を探そうとします。
その「何か」を支えるのは会話です。フランス人男性にとって、パートナーとの会話はとても重要です。それも日常生活の、ここに何がある、あそこに何がある、ということではなく、自分の内的世界に関わることについて会話することを好みます。
これは教養のあるインテリのフランス男性、女性だけのことではありません。教養とは直接関係のない仕事をしているフランス人男性、女性にも、文学が好きだったり、映画が好きだったり、音楽が好きだったり、スポーツが好きだったり、と色々あります。そんな趣味の話が二人を神秘的な関係へ導いてくれることもあります。
愛に宿る神秘性とは、ファッション、コスメなどの外見に関するものではないのです。
恋愛を発展させるには、お互いの趣味がマッチすることも重要です。趣味とは、何が好きか、衣服、飲み物、食べ物、食材から文房具、住居、そして生き方で何を重視するか、といった哲学的な問題まで網羅します。
そのような選択が全てある種の美意識に貫かれていれば、その人は洗練された人、ということになります。
「良い趣味」とは何か。
これらのこまごまとしたものを見る目を総合したもの、もしくはそのエッセンスをフランス人は「良い趣味」(le bon goût, good taste)と呼びます。
良い趣味というのは18世紀にフランスの宮廷から派生して、ヨーロッパの上流階級全体に波及した感性を指します。当時の人が書いた書物を読むとおしなべて「良い趣味」について言葉で説明することはできない、と書かれています。
「良い趣味」とは物、文学、態度、人間関係などあらゆることを指しました。日常生活から社交生活まで、建築、絵、料理、会話、壁紙、内装、衣服、文学、言葉遣いなどに関わることに関してヨーロッパの上流階級の人々はこの良い趣味を意識して、自分の生活環境を整えたり、マナーを身につけるようになりました。
フランス人のライフスタイル、ファッションなどが世界的に注目されるのは、フランス人がこの「良い趣味」の伝統の発祥地だからです。フランス革命によって一時的に追いやられた王室の伝統でしたが、その後復活し、現代まで続くフランスの文化的伝統となりました。
「良い趣味」の反対は「グロテスク」です。いわゆるグロいものです。例えばドイツやスペインの美術の一部には、グロテスクを強く求める傾向が見られます。それは革命を経てもなお正統な王室文化として「良い趣味」を継承するフランス文化に対する反発とみなすこともできます。
しかしフランスではあくまでも革命後も正統な美意識が続きました。そのような文化土壌において「良い趣味」とは美しいもの、美しい人(立ち居振る舞い、身なりなど)、美しい文化に触れることによって育ちます。
パリが美しいのはそのような「良い趣味」が街のいたるところにあるからです。そしてパリに住む人々は、日常の美しい経験から、自分自身にとって美しいものとそうではないものを見分ける目を育てていきます。
何を食べるから、どのような器で食べるか、何を着るか、何を履くか、どこへ行くか、何をして働くか、まで一つ一つ自分で丁寧に決断を下していかなくてはなりません。その際「美」を基準に選択することが要となります。
これは単に美しいもの好き、という意味ではありません。美しいものは快適さをもたらしますし、幸福感を増長します。
同時に美しいものには倫理感が伴い、見るひと、触れる人の人としての、道徳的、倫理的向上にとっても意味がある、と考えられています。
毎日できるだけ美しいものに触れるように努力すること、そして自分の日常生活にも美しいものを取り入れようと配慮すること、その小さな選択の積み重ねによって、長い時間をかけてその人の全人格的な「良い趣味」へと繋がっていきます。
「良い趣味」がきっかけとなったあるフランス人女性の出会い
実は恋愛においても「良い趣味」はとても重要です。「良い趣味」を支える美的感覚はある種の倫理観に支えられ、「良い趣味」はそのままこの人!と見極められる臭覚となり得ます。その結果「良い趣味」が神秘的な愛への扉を開くきっかけとなることもあるのです。
フランス語には地下鉄、仕事、夜寝に帰る(métro boulot dodo)という言葉があります。この表現は、毎日変わりばえをしない職場と家の往復ばかりという、あまり楽しくない、単調なパリでの生活を指します。
パリの地下鉄に乗ったことのある日本人ならご存知かと思いますが、はっきりいってパリの地下鉄には暗いイメージがあります。
そこに乗っている人々は仏頂面をして人間的な側面を全く見せません。それは見せてしまったらどんな厄介なことと関わりを持つようになってしまうかもしれない、と用心しているからです。
ところがそんな場所も出会いの場所です。モニカにとっては格好の出会いの場となったのです。
モニカはパリにある会社で秘書として働いています。パリ郊外に住んでおり、毎日片道45分も地下鉄に揺られて職場まで通勤します。45分というのは長いので、なるべく地下鉄の車両内では席を確保し、音楽を聞きながら小説を読むことにしています。
ある日いつもと同じように車両に座って音楽を聞いていると、周りの乗客たちが彼女を見てニヤニヤしていることに気づきました。そしてモニカはイヤフォンを取ると、その時初めて車内放送が彼女に向けられていることに気づきました。
「ルイ・アラゴン(フランスの作家の名前です)は恋愛について次のように書きました。『学習してから人生を生きようとしても、それでは遅すぎる。』僕は生きていくために無駄な時間をかけたくありません。だからあなたについて知りたいのです。毎朝7時55分に同じ車両に乗っているあなた、仕事帰りに僕といっぱいワインを飲みませんか。あなたはいつも車両の最後尾に立っています。そうあなたです。かわいい若い女性、褐色の髪の毛で、長い赤いオーバーを着て、小さな茶色いバッグを持ったあなた・・・・」
それはモニカのことでした。モニカは急いでそれまで自分が読んでいた本を取り出して、その本に次のように殴り書きしました。「ちょうどそのパッセージを読んでいたところ」と。そして自分の携帯電話の番号を書き添えました。
その時のモニカの状態は「私の体だけが自然に動いて、脳はあたかも眠っているかのようだった」そうです。
地下鉄が終点に着くとモニカはその本を持って地下鉄の運転手のところまで行きました。相手をちらっと見て、本を手渡して、そして即座にそこから立ち去りました。同じ日の夕方に二人は出会い、恋に陥りました。
そしてその晩からモニカの人生は変わりました。モニカには当時婚約者がおり、結婚の日取りも決まっていましたが、地下鉄の運転手、ヴァンサンに一目惚れしてしまったのです。
モニカがヴァンサンを好きになったのは、それは外見が好みだったからだけではありません。ヴァンサンとは不思議と気が合いました。二人の感性が似ているため、二人は同じ本を読んでおり、話が通じました。
後にヴァンサンはなぜ彼が地下鉄の車両内のアナウンスを利用したのか、について次のように説明しました。
それはある小説がきっかけでした。「この女性主人公の生きかたを知ってあなたに近づこうと思ったのです。生きるためには勇気を持たなければいけない。特に人を愛するときには勇気が必要。あとで後悔しないためにも。」そしてその小説をモニカに手渡しました。
モニカもその小説を読みました。それはとても美しい愛のストーリーで、愛する自由、愛する勇気について書かれていました。モニカも婚約者と別れる決心をし、一目惚れをしたヴァンサンと一緒に生きていくことを選択しました。
モニカとヴァンサンを一目見るなり「ビビビ」ときたのですが、二人の関係はそのレベルにとどまりませんでした。その「ビビビ」はさらにその奥にある二人が共有できる「良い趣味」で彩られた精神世界への扉となったのです。彼らにユニークな外面、内面的な要素が融合して、神秘的な出会いとなったのです。